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実は適応障害を患いました

どうも、お久しぶりです。さんかくです。

タイトルの通り実は7月末ごろから体調をくずし、
適応障害と診断を受けていました。

自分は人よりストレス耐性もあるし、精神的な病気を
患うことはないだろうと思っていたけれど、案外脆いもんですね。





プライベートも順調、仕事も嫌いじゃない

私事ではありますが、6月に同棲していた彼女と入籍しました。

3年の同棲を経て、ようやく大きなきっかけをもとに
入籍し、家族や友人からも祝福され、幸せいっぱいでした。

仕事も自分のやってみたかった新人育成や、
職場内のポジションも良好でした。

ただ、今回適応障害を患った要因として心当たりがあるとすれば、
・職場内に苦手な人がいた
・自分のポジションは良好ではあるものの、管理職や
 リーダーなど、明確な名前がついているようなポジションでなかった
といったように、じわじわと追い詰められていたのかもしれません。


適応障害にて休職

8月の初め、重い腰をあげて精神科を受診
そこで適応障害と診断を受け、1ヶ月の休養。

症状として出ていたものとして、
・不眠
・何事にも無気力
これらが主な症状でした。

ひとまず睡眠導入剤と意欲低下を改善する薬を
処方され、8月中は服用しながらほぼ毎日家に
引きこもって生活をしていました。

当初の1ヶ月間の休養期間が経過しましたが、
まだ復職したいと思えるほどの気力は湧かず、
追加でもう1ヶ月の休養期間をいただきました。

そこからの1ヶ月、9月の間は毎日外に出て、
家に引きこもらないように過ごすように、と
精神科の先生から言われたので、
指示通り薬を服用しながらほぼ毎日外出し、
コンディションを整える期間として過ごしました。


本音を言うと死にたいとまで思っていた

メンタルが特に落ち込んでいた7月末〜8月中旬ごろまで、
生きていくことがしんどいと思っていた時期がありました。

ただ漠然としたこの気持ちを持ちながら過ごす期間は、
ひどく疲弊しながら生きていた、なんとか生きていた。

夜中に海まで足を運んでそのまま消えようかと思ったこともあった。
自分のめんどくさがりな性格なおかげで海まで行くことはなかった。
今回ばかりは自分の性格に感謝しよう。

もちろん今まで生きてきた27年間、
心が落ち込んだことは何度もあった。

それでもここまでの希死念慮を持ったことはなかった。

本当にどうしようもない気持ちでいっぱいだった。


なんとか生きていこうと思えた

最初にも書いた通り、結婚した。
家には共に暮らす人がいる、
家族として文鳥たちもいる。

家族のために生きていこうと思えた。

僕の奥さんは子どもが好きだ。
いつかきっと二人の間に子どもを授かるかもしれない。

まだまだ楽しいことや明るい未来があるかもしれない。

そう思うと生きたいと思えるようになれた。
奥さんや文鳥、未来の自分達の子どものために生きようと思えた。

きっと今ひとりで生活していたらこの世にはいなかったかもしれない。
今自分が生きていられるのは全て家族がいたから。
たくさん感謝しなきゃね。

今もこのnoteを書いている間にも可愛い文鳥たちが
手や肩の上でしつこく構え構えと鳴いている。



最後に。10月、いよいよ復職

このnoteを書いている翌日より復職の予定でいます。
長かったようで短かった2ヶ月。

正直まだまだ自分のメンタルに不安はあるけれど、
人間生きてくためにはお金も必要だしね。

今回自分が患った適応障害。
無縁だと思っていた精神科。

人間って案外脆いもんで、みんなも無理せず
ゆっくり休まなきゃいけない時もあると思います。

これからはたくさんの幸せや明るい未来があると願い、
家族と共に歩んでいきます。

さんかく

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