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ポリハレビーチまで 5)不思議な人
初夏の午後の光が、街路樹の葉の隙間をすり抜け降って来る。
私はところどころささくれた古いベンチに腰掛けて、自分の褪せた紺色のスニーカーに落ちる光の粒を眺めていた。
(何かに似てる)
ぼんやり考えていたら、氷がグラスの中でたてる音みたいに高い澄んだ音色が頭の奥の方で聴こえた。
ああこの光の粒が踊る様は万華鏡に似ているのだ、と思う。
頬を撫でて通り過ぎる風が、隣に座る人の香水の匂いを運んでくる。
名も知らない人とこうして隣り合って座っている不思議より、束の間なつかしさが沸いてくる。
この人をずっと昔から知っている気がしたが、もちろん初対面だ。
ここはアメリカ合衆国ハワイ州・カウアイ島。
隣に座るのは、ついさっき目の前のスーパーマーケットの入り口でぶつかりそうになった女性。
日本では滅多に見ない鮮やかな赤毛にふくよかな体形。
大きな花柄のワンピースがよく似合っている。
スーパーで買った炭酸水のペットボトルで足首を冷やしながら、
「痛みは引いてきたみたい」
と、流暢な日本語でこちらに笑いかける。
黄色いハイビスカスみたいな笑顔だな、と思う。
姉と母の間ぐらいの年頃のその人に、どれぐらいの距離感で言葉をかけたらいいかわからない。
いつだって私は人との距離感を難しく考えすぎる。
多分、曖昧な笑顔でいるんだろう。今。
「大したことはないだろうってわかってたけど、なんていうかあんな風に派手に転んじゃって恥ずかしかったし、それになんの段差もないところでつまづく自分にショックを受けたのよね。
ああ、こんなに年をとっちゃったって。当たり前なんだけど。変よね。」
フフフ、と人懐こい顔で笑った。やっぱりハイビスカスみたいだ。
「だから、あなたが声をかけてくれて、私がばらまいたものを拾い上げて、ベンチまでついてきてくれたのは、とっても嬉しかったのよ。
助かったわ。ありがとう」
私はまた曖昧に頷くだけだ。
見た目は日本人っぽくないのに日本語が上手なこの人にそのわけを訊くとか、もう少し会話の接ぎ穂を見つけたらどうなんだ。
そう思う自分もいるにはいるが、別になんだって、どうだっていい、という気持ちがいつも勝つ。
「ポリハレビーチへ行くの?」
突然問われた。
「ごめんなさいね。読んだわけじゃないんだけど、私、少し人の心の奥が見えたりするのよ」
私は今、どんな顔でこの人を見たのだろう。
ヨーコが死んだあと、友人たちが霊能者だという人に会いに行ったりするのを冷ややかに見ていた、あんな顔をしていたのだろうか。
霊能者が100%インチキだと思っているわけではない。
問題はインチキかどうかではない。
ヨーコのことを知らない誰かに、ヨーコの何がわかるのだろう。
そう思うだけだ。
けれどなぜか、この人の言葉には耳を傾ける気持ちになっている。
「ええ、行ってみたいんです。この目で見たくて」
その人は目を閉じて、優しくうんうんと頷いた。
「お友だち、あなたに見届けてほしいみたい。
寂しがりだった? 怖がりかな? 強がるくせに。本当は甘えん坊の可愛い人ね」
酔っ払って無邪気に眠るヨーコの顔が浮かぶ。
私の心の底の湖に、小さな波紋が起こる。
「やっちゃったとは思ってるけど、そこまで悔やんではいない。これはこれで仕方がないと割り切ってはいる。
でも甘えん坊が最後の最後にちょっと残っていて、誰かに見送って欲しいのね。
遠い外国へひとり旅立つ日の、空港のお見送りみたいに」
「ポリハレビーチで会えるんでしょうか」
尋ねる私にその人は少しいたずらな目でこちらを見た。
「あなたは今までにも何度も会ってはいるでしょう?
あれは夢でも空想でもないの。あなたは会ってる。あなたはうまく悲しめているし、そもそもそういうチカラもあるから」
「うまく悲しめているって?」
「大切な人が亡くなったとき悲しいのは当たり前なの。悲しんでいいのよ。けどね、悲しみ過ぎるのはよくないの。なんだって塩梅というものがある。悲しみ過ぎるというのは、たとえるならヘッドフォンをつけて大音量で何かを聴いているようなもの。そういうときって外界の音が聞こえないでしょ?
亡くなった人は、伝えたいことがあれば実はいつだって残された人の近くで呼びかけてるものなの。
けど悲しみのヘッドフォンをつけてる人には聞こえない。
お部屋のオーディオで適度なボリュームで聴いてる程度なら、ほかの音も聞こえるじゃない? そういう感じよ」
ヨーコが死んで、私はうまく悲しめていたんだろうか。
悲しみよりはずっと、ヨーコの不在を体感できないことが気持ち悪かった。
もうどこにもいないと、どうしても心の芯から納得できないのだ。
だからヨーコが死んで一年経っても慟哭とか号泣というほど泣くこともなく、ここまできた。
そんな自分を冷淡なのではないかと責めながら。
「さて、そろそろ行こうかな」
その人は立ち上がって「私はキャス。あなたは?」と尋ねた。
「フミです」
「フミ、あなたとはまた会える気がする。今日はありがとう。どうぞいい旅を」
キャスは「はい、これはお礼」とオレンジ色に熟したマンゴーを私に手渡すと、最後にまたハイビスカスのような笑顔を見せて、駐車場へ向かって歩き出した。
手の中のマンゴーは生き生きとしたオーラを発しながら、ほんのりと甘い香りを漂わせていた。
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