見出し画像

ポリハレビーチまで 1)阪奈トンネル

折谷ヨーコが死んだのは、2月の深夜のことだった。

(明け方にかけて冷え込みが厳しく明日は平野部でも積雪の見込みです)

今夜最後のニュースが伝えているとき、飲み仲間から着信があった。

電話の向こうの声は震えていた。

声が遠い、と感じた。
ラジオのチューニングがあまいとき、雑音に混じって聞こえてくる異国の言葉みたいに。

その声が「ヨーコが死んでしまった」という。

呑んだくれの友人はいつものようにほろ酔いでヨーコが経営するバーに向かい、規制線がはられたビルの入り口で野次馬から事情を聞いた。

そして泣きながら私に連絡してきたのだった。

やじ馬が言うには、どうやらヨーコが自分の店で首を括っているのがさっき発見された、ということらしかった。

最終電車も終わった時刻、私は車で友人が待つ現場へと向かった。
奈良から大阪へ、阪奈道路を西へ向かう。

県境の生駒山を貫く阪奈トンネルは全長5kmを超える。
ほの白い灯火に照らされる長いトンネル内はほかに走る車もなく、無意識にアクセルを踏み込む自分をときどき諫めなければならなかった。

もうヨーコは死んでしまった。
急いでも間に合いはしない。

焦って事故を起こして私まで死んでしまったら、ヨーコが道連れにしたのだと他人は言うだろう。
酒席では最後まで帰らない、寂しがり屋のヨーコ。
酔っ払ったときにはいつも、あの手この手で私を終電に乗せまいと企んだヨーコのことだから、と。

「うちがそんなことするかいな」

助手席にヨーコの気配がした。

一瞬視線を移せば、ヨーコは薄く開けた窓から器用にタバコの煙を吐きながら横顔で笑っていた。
手入れもしない中途半端な長さの癖毛が、窓からの風に嬲られてもお構いなしだ。
私の車は禁煙だと、何度言ったらわかるのだろう。

ヨーコと最後に会ったのはいつだったか。
多分1年ぐらいは会っていなかった。

口で言うほど忙しくもないのに、「その気になればいつでも会えるから」とSNSのやりとりで済ませていた。

離れていたって何かあれば言ってくるだろうと高をくくって、ときどき耳に入ってくるヨーコのよくない近況も真剣に受け取りはしなかった。
いい大人が助けを求められてもいないのにしゃしゃり出るのもおかしいし、と不義理な自分を誤魔化して。

全部、逃げていたのだ。

知っていたのに。

本気で困ったなら余計に、ヨーコが私に助けなど求めないことを。求められない質だということを。

同じ職場に勤め、毎晩のようにつるんで記憶がなくなるまで飲みちぎっていたあの時代からは、ずいぶん時が流れていた。
ふたりとも職場を離れ、ヨーコは夜の住人になり、酒は友ではなく腐れ縁の情人になっていた。私はすっかり酒を飲む機会も減って、酒は友ではなく遠い昔の知人だった。

「なんで死んだん? とも思わんわ」

ハンドルを握り、前を見つめたまま呟いた。

「そやろな」

ヨーコが低く掠れた声でこたえる。

「どうせ、癇癪起こして勢いでこうなったんやろ」

「バレてた?」

振り向かなくても、ヨーコがおどけて肩をすくめているのがわかる。
こんなときでもいつもどおりなのに呆れる。

「あたし、あんたが死んだからって『助けられたかもしれんのに』なんて思わんで。あたしはこのことで自分を責めたりせえへんって、今決めた」

「うん、ええんちゃう」

ようやく前方に小さく出口が見えてきた。
私はアクセルを目一杯踏み込む。小窓みたいに見える出口のアーチが、いきなりグッと迫ってくる。

「フミはいつでも間違うてへんしな」

思いがけず優しい声を残し、外界との境目でヨーコの気配が消えた。

アクセルを緩めて小さく息を吐く。
トンネルの外には、辛気臭いダークグレイの夜空が広がっていた。
こんな夜には星ぐらい見せてくれたっていいのに、と思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?