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宝塚「VIOLETOPIA」観劇感想

RRRが宝塚でやる!と聞いて、絶対に見たい!となって、連れていってもらった、宝塚ほとんど見た事ない私が、後半に演じられたヴィオレトピアに衝撃を受けたので、この気持ちが冷めないうちに備忘録的に書いておきたいと思って書き出します。(と言いながらかなり経ってしまったので途中は気が向いたら書き足すことにします)

・宝塚現地観劇今回で3回目(過去観劇はるろうに剣心、ガートボニート)
・宝塚のことはあんまり知らない
・友人が買ったパンフを公演後チラ見させてもらった
・常識程度にニュースは見る(今回の感想の性質上がっつり触れます)
人の感想です。所謂宝塚用語分からないので〇〇のところ~みたいに書きます。あと、手元にパンフもないので全て観劇した一度の記憶で書いています。
間違いや記憶違い等あってもご容赦ください(特に場面抜け、順番間違えあるとおもいます)
書きたいことだけつらつら書きます。しかもほとんど妄想です。
マジで自分向けなので読みにくいです。

※以下ネタバレあり



・見終わった時に1番強く思ったこと

この舞台は今、この演目と同時にやる意味があるなと思いました。事実、終わった瞬間に連れてってくれた友人に「すごく今、ここでやる意味がある公演だね」と一番に言葉に出ました。友人はとても困惑していましたし、「宝塚に連れてきてかっこよかったとか可愛かった以外の感想が一番に出る人はじめて」と言われました。
RRRという、一般的に興味を持っている人が多い演目と同時上映で、私のようなあまり宝塚を見ない、もしくは初めて見るようなそういう人が多い公演でこそやる意味のある公演だと思いました。
こんなにメッセージ性の強いものをここまでセリフが少ない状態で伝えるのかと、宝塚のみなさん(役者さんも演出家や裏方さんにも)の表現力にすごく驚きました。

・この舞台の主題はなんなのか

ヴィオレトピアという造語は、トピア「場所」にヴィオレ「すみれ」をつけている事から宝塚のことなんだなというのはまあそうですよね。(なんですみれなんだろって思ったけど調べたら宝塚はすみれが大切なんですね)
これを踏まえて考えると、全体を見た感想は「ヴィオレトピア(=宝塚)が今後ディストピア(廃墟)になるのかそれともユートピア(理想世界)になるのか」みたいな事が根幹にあるのでは無いのかなと思いました。
「夢と虚構をいかに現実にするか」このあたりもキーワードとしてはあるのかなと。そんなことを思いました。

・ストーリーの初め

物語は一人の旅人風の青年がやってくることから始まります。すごいヌルッと出てきて、え!?始まるの!?って感じでした。
この時点ではこの方は何者でもないということかなと。
でも舞台上のすみれに触って、そのすみれが光り、舞台が代わった瞬間からその舞台の中心がこの方になります。
すみれ≒宝塚と考えた時に、宝塚と出会って何者でもなかった人が特別になるんですね。
廃墟だったところがキラキラした特別な場所になって、最終的にその旅人みたいな人までキラキラした衣装に変わります。
ここで一気に「これは幻だ。夢の世界だ」ということを表してるんだなーと。
私たちはここから夢の世界を魅せられるのだと一気に理解します。
この後入ったのが傘のシーンであってます……?ちょっと自信ないので割愛します。

・裏方の少年の夢

ステージの主役が裏方の少年に移ります。
裏方の少年は花嫁役の人が気になっている様子。花婿役の人といい感じになるシーンを見て複雑そうというかちょっと嫉妬してる?感じでした。舞台が終わって花婿役の人が着ていた衣装を来た瞬間、夢もしくは幻想の世界へと入り、先程の花婿役が自分になり、花嫁役の方といい雰囲気になるのは自分になります。夢が叶った状態です。ここでも現実(元が現実だったのかというのは少し疑問あるかもですが、この少年にとっては確かにヴィオレトピアの劇場は現実だと思うので現実とします)がキーアイテム(洋服、コート?)によってキラキラとした自分の理想の世界へと変わると言う演出です。
服装的に60年代風?すこし昔な雰囲気がありました。
ここから、どんどん演目は現代に近づいていきます。(そして今へ繋がるって意味かな)

あと全然関係ないのですがこのシーンのワンピースがめちゃくちゃ好きで!テキスタイル風と言うか、なんというか。もう少し日常のデザインに落として今年の夏向けに似た感じのを作ろうと思います。

・サーカスのシーン

虚偽と空想。去っていったもう戻らない素晴らしき日々(人々)
※気が向いたら追記

・中世ヨーロッパの観客と有名になりたい人達

観客が求めているものと提供する側のギャップ。
※気が向いたら追記

・楽屋に忍び込む紳士()たち

音源にだけ入っている女性の楽屋に忍び込む紳士風の男たち。おそらく彼らはこの楽屋の持ち主である声の主のファンで忍び込んでも彼女は誰のものにもならないというシーンなのですがすごい皮肉が効いてるシーンだなと思いました。宝塚がそうかはわからないけれど、やはり人気商売である限りこの手の「やばい」ファンというのは存在してしまうものなのかなと思ってます。これは禁止されているような追っかけ行為、過激なファン活動をしても決してあなたの好きな彼や彼女はあなたのものにならないよというメッセージかなと。それをコミカルに描くのがすごく上手ですね。

・ドラッグクイーン風の男と男装の麗人と狂乱する客

虚構と嘘と嘘をホントにする力
※ここは出来たら追記したい

・夢からの目覚め

騒がしかった舞台から一点、それぞれのシーンの幻想側を代表する人達が出てきて、そして消えます。
寂しくなったその場所で幻影を追い求める青年は舞台のすみれをさわります。
このとき、最初と同じようにすみれに触って、でも魔法はおきないんです。
ここで現実は現実であり、夢では無いってことを暗喩してるのかなと思いました。
この時に気づいたんですが、舞台上すみれが5つあるんです。宝塚のチームも5つ(これは友人にあとから確認)
宝塚は現実と空想を結びつける夢のような世界だった。でも色々な事があり、もうここは以前のような場所ではなくなってしまった。夢の世界をそのまま享受してた時代は終わりを告げたんです。
それを今度はこの青年が彼の力で新たな場所をつくっていくんだと思います。
そしてここで一旦の区切りかなと。

・音符に翻弄される指揮者とラインダンス

自分たちが手段として使っているものに翻弄される?ここだけ本当に意味が読み取れず。

・匿名性とそれでもわかる個人

個人的にはここがこの舞台の肝かなと思ってます。
初めにでてきた人、全員目線サングラスかけてるんです。でも私でも一部の人は〇〇やってた人だなってわかったので、宝塚ファンの方ならたぶんみんな目線入れてたってわかりますよね。これ、目線サングラスは今のネットやTwitter(私は絶対Twitterって呼ぶ)などの匿名化社会を暗喩していると思っていて。でも誰かわかるという部分で匿名と言っていても根本としてそこに実在する個人がいて、本当の「匿名」はない。ということを示しているのかなと。
これ、すごい深いですよね。ある人は見た目で、ある人は動きでその人が誰かを示している。名前や顔が見えなくったってそこに確かに「個人」がいるんです。
そこに誰かがいる。目に見えない誰かもをAさんを攻撃しているつもりかもしれないけれどその先には人がいるし、あなたもBさんとして攻撃してるつもりかもしれないけど「あなた」というのは消されることはないよ。と……

・三度目の正直

三回連続で起きたことは現実になってしまうので3度目で手を取らなかった世界は宝塚が無くなる世界なのでは?
※出来たら追記

・まとめ

事件について無かったことにすることも、考えないこともできません。確かに貴き一人の命が失われている事実があり、それはもう取り返しのつかないことです。でもこれからどうして行くのか。また同様のことが起きてしまうような場所にするのかそれともそういうことが起きない所にするのか、今回の件を機に衰退していくディストピアになってしまうのか、それともユートピアになるのか。この劇では確かに宝塚という場所を「ヴィオレトピア」にしていくという決意が感じられました。そしてそのためには劇中で観客が沢山出てきたように、私たち見る側にも変わることが求められているのだとおもいます。
ただこの解釈は私がこの劇から勝手に読みとったもので、それが正解では無いし、むしろ深読みしすぎだと思います。
でも、それでもあの空間で見せられたものからみんな何かは感じ取ってそれぞれ自分なりの「ヴィオレトピア(宝塚)」を考えるというそれがこの劇の目指していた所なのかなと思いました。
まあこれも私が勝手に思ったことですが

追記 : これを公開するかグダグダか悩んでいる間に少し動きがありました。ご冥福をお祈りします。少しでもいい方向に変わること願っています。

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