自分のために生きる人生 vs 誰かのために生きる人生
いきなりですが「100万回生きたねこ」という絵本をご存知でしょうか。
1977年に発売された絵本で、とある猫の一生を描いた本です。
ストーリー
ストーリーは単純。
何回死んでも生き返って、異なる人生(猫生)を送ることができるオス猫が主人公です。
猫は様々な猫生を味わい、死に、そしてまた生き返り、それを何回も繰り返します。
一貫しているのは、主人公の猫は自分が大好きであるという事。
自分が一番大事であるという事です。
絵本の途中、主人公のオス猫が多くのメス猫をたぶらかしてモテモテである描写も描かれています。
自分が大好きで、自分本位に行動し、異性からもモテて、死んだら生き返ってそれをまた繰り返す。
そんな、一見パラダイスに思える猫の一生は、とある猫との出会いによって変わります。
とあるメス猫と出会い、何となく惹かれてしまった主人公のオス猫は、彼女と一緒になります。
やがて子供が生まれます。
子供達も大きくなり、その成長を喜びつつ、自分にとって一番大事なのは自分ではない事に気がつきます。子供達、そのメス猫の事が、自分よりも大事な存在になっていたのです。
そんな幸せな生活の中、メス猫は衰えてしまいます。
そして死を迎えます。
メス猫の横で泣き疲れた主人公の猫は、そのまま死んでしまいます。
そして、二度と生き返る事がなかった、というお話です。
解釈
いくつかの解釈が存在すると思いますが、僕なりに解釈してみます。
まず序盤、猫は様々な猫生を送り、様々な経験を積みます。
王様の猫だったり、海賊の猫だったり、おばあさんの猫だったり、サーカスの猫だったり泥棒の猫だったり。
そして彼らは、猫が死ぬ度に必ず泣きます。
主人公猫の飼い主は、全員主人公猫の事を大切に思っているからです。
しかし猫は泣きません。
途中、猫は「しぬのなんかへいきだった」という感情表現をしています。
これはある意味、普通の感覚です。
自分の死を想像すると悲しい、という人はあまり聞き慣れませんが、誰かの死を悲しむ人はたくさんいます。
自分の死を想像すると涙が出る、という話もあまり聞いたことがありません。誰かの死を想像すると涙が出る、というのはなんとなくわかります。
ここにヒントが隠されています。
人は自分のために悲しんだり泣いたりする事はあまりできないけれど、他人のために悲しんだり泣いたりする事は大いにある。
それが人間の感情なのだ、という示唆を序盤に交えています。
この時の猫は「他人より自分が一番大事」です。自分より大事な対象は存在しません。
この世で一番大事な存在が自分である時、その死(自分の死)を悲しみ涙する、という事は無い
という事が、この段階までで伝わってきます。
だからこそ猫は、自分が一番大事である段階では涙する事がなかったのです。
しかし主人公猫は、ある猫と出会い子供が産まれ、メス猫と子供達を「自分よりも大事な存在だ」と認識します。
この時の猫は「メス猫と子供達が自分より大事」です。自分より大事な対象が存在します。
そしてメス猫が死に、悲しみ涙します。
この世で一番大事な存在が自分以外の誰かである時、その死(誰かの死)を悲しみ涙する、という事はある
という事が伝わってきます。
そしてなんと、100万回も生き返って100万回も生きた猫は、2度と生き返る事がなかったのです。
なぜ主人公猫は、生き返らなかったのでしょうか。
僕が思うに、それはきっと満足したからなのだと思います。
誰かを愛し、その誰かのために生きた事は、100万回何の考えなしに色々な生き方をしたり、自分のためだけに生きる事よりも、価値があるという事。
自分より大事な誰かと生きた時間は、その誰かがいない状態で生きた時間の100万倍も価値があるという事。
きっとそれを伝えたかったのではないでしょうか。
自分のために生きる人生 vs 誰かのために生きる人生
じゃあ誰かのために生きる事は、即ち幸せか、というとそこまで単純ではないと思います。
自分の人生ですから、ある程度自分の人生を生きる事は幸せの重要な1ピースです。
しかし
自分のためだけに生きる人生は、そうで無い人生の100万倍薄い、虚しい人生だよ
という事をこの絵本は伝えている気がするのです。
自分のためだけ、というのはやめた方が良い。
ある程度自分のために生きるのは良いが、100%自分のためだけ、というのは虚しくとても持たない。
自分より大事な誰かを見つけ、彼らのために生きつつ、ある程度は自分のためにも生きる。
人生の目的のバランス。
自分より大事な誰かを見つけて、その誰かに自分の人生の目的を少し分けてあげる。
100:0=自分:他人だったのが、30:70=自分:自分より大事な人、くらいの具合に割り振る。
それが豊かな生き方の条件だよ
そう作者が囁いている気がします。
もちろん、自分より大事な人だったら自分よりも多くのウェイトを割り振る事になるでしょうね。
とはいえ僕は、誰かのためだけに生きる人生もどうかと思います。
自分の人生です、ある程度自分のやりたい事や挑戦したい事、自由があってこそ幸福を感じる事ができるでしょう。
自分のためだけの人生、誰かのためだけの人生ではなく、基本は誰かのために生きつつもある程度自分のためにも生きる。
当たり前のようで忘れがちな、人生における重要な示唆を与えてくれる絵本だと思います。
あまりに好きなので、もうアラサーですが家に本があります。
あなたは今、何回生きた?
部活に注力し、部活と恋愛で頭がいっぱいの中学生。
自分の将来のために、とにかく自分のために受験勉強を頑張っている高校生。
仕事が忙しい中で休日に家族のために時間を使うお父さん、育児や家事に奮闘するお母さん。
人生の色々に疲れて、何のためにどう生きるのか、生きる指針を見失いそうな時、ふとこの絵本をめくると大事な事を思い出させてくれるはずです。
そう、あなたもこの主人公猫のように、育ってきたはず。
母親、父親、祖父母、近所のおばちゃん、学校の先生、あなたの人生に登場してきた、あなたという猫の「あらゆる飼い主」に愛されて、「猫が死ぬたびに涙」してきたと思います。
何回も生きて死に、生き返ってきたでしょう。
そして自立し、自分が大好き自分が一番という時期もあり、「別に死ぬのは怖く無い」という時期が誰にもあったかもしれません。
それは自分が一番大事で、自分より大事な誰かがいなかった、若い頃のあなた。
まだ生き返っていますね。
大人になって自分より大事な人ができて、その人が死んでしまったら「悲しくて涙する」事でしょう。
その時あなたは、もう生き返らないかもしれません。
この猫は読者を表しています。
あなたの人生が、この猫に重ね合わせてどの段階にいるのか、それはあなたにしかわかりません。
しかしながら、もし人生や生き方に迷いが生じた時、この猫のように生きたければ、自分がどうするべきなのか、答えを導く1つのヒントになるでしょう。
あくまで1つのヒントに過ぎません。
決して正解ではありません。
「人生の目的のバランス」をどれくらいに割り振るか、それはあなた次第です。
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