MISHIMANIAX

MISHIMANIAX【三島家①】
なぜ? 曾祖父の時代 古文書 家系図 武具を帝国旧軍とGHQに略取されたか?
【ある神官のこたえ】
大三島(瀬織津姫)に縁のある三島家だけにそれが行われた。
明治に現人神として室を持ち上げた時、それよりも古い家系図があるのは不都合だった。
徳川も藤原も古来から家系買い、家系狩りはされてきたこと。
海部を最古の家系図と急遽短期間で認定されたりしたのもおかしなことだった。
それ以外の古代豪族、特に大山ツミ、瀬織津姫につながる三島明神の現体、血脈の物証になるものは略取隠滅焚書され、神名消し、置き換えにあってきた。


MISHIMANIAX【三島家②】
曾祖父三島平介
三井と軍事機密になる海図、
航路を作成していた。
その時代にあってインド洋~地中海を往航し
海底測量をしていたそう。
この職掌はヤタガラスの異名を持つ御祖
三島湟咋耳神からの変わらぬ職掌のひとつ。


MISHIMANIAX③
【祖父はスパイ?】
長崎神ノ島にあった曾祖父の墓碑が
いつのまにか消えている。
そして祖父の方は
戸籍上からも生死不肖として消えている。
写真の一枚、写りこみさえ無い。
まったくの痕跡なし。
祖父の名はタケル。(偽名か?)
山口の佐々木家から三島の家に婿入し、
三島タケルとなった。
三島家の古文書、家系図、武具の一部は
このタケルが持ち出したとも聞く。
父がまだ幼い頃に、消えたまま。
ぼくが近年長崎市役所で古い戸籍を遡って
色々調べてもらったら、この祖父だけが
痕跡が途絶えている。
職員さんも
「今時こんなことはないんですけどねえ」と
扱った事の無いケースと首を傾げていた。
都市伝説に聞く
戸籍の無い組織ヤタガラスの一員なのか?
ムー的やね

MISHIMANIAX④【ゆく先にカラス】
父が九州を出て引っ越した先は「美和」団地。
ヤタガラスこと家の御祖(みおや)
三島湟咋耳神(ミシマミゾクイミミノカミ)の娘たち、
セヤダタラヒメとホトタタライススキヒメが
祀られる狭井神社のある「三輪」山と同じ名。
しかもその団地には、カラス神社があった。
祀られる地名を市木町谷耳田。
「谷太」ヤタガラスの「ヤタ」の真ん中に、
三島湟咋耳神の「耳」を発音しないのに、
表記には残した氏族、部民(かきべ)の思い。
イチキシマヒメの市木と、湟咋耳の耳の地。
さらにこの地豊田市は
「挙母」町と「百々」町の合併で
「挙母(ころも)」は神衣を織る姫から、
「百々(どうどう)」町は、百百襲(ももそ)姫~
ヤマトトトビモモソヒメから
夜麻登鳥飛百百襲比売は、別名
勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)
ヤタガラス(三島湟咋耳命)の姫神子
神衣織る姫タクハタチヂヒメは
第二次高天ヶ原といわれる長崎の千々石に
住んでいたとされるのだけれど、
ぼくの母は
そのタクハタチヂヒメの千々石の海人家
姓はワダツミ神社の宮司が本姓の代わりに
ふだん名乗る姓と同じ。
なので現在は
三島海神とワダツミ系海神の血潮。


MISHIMANIAX⑤【そのカラス神社】
美和 市木町 谷耳田の カラス神社
https://bit.ly/2sQGezz

MISHIMANIAX⑥【ヒミコと八咫】
扱い注意の案件で
自分こそ末裔としている人はそれこそ数多
昼間の太陽より
夜照らす月の方が崇敬を集めた古代
赤い丸は太陽ではなく、月
月同様に日の光を照らす鏡で
「鬼道(祈祷)」をなしたのがヒミコ
祭祀の姫神子(ヒメミコ、ヒミコ)は
日照りの不作、不漁(猟)の年、
日蝕の兆しをはずしたりすると
ジサイといって自身が人身御供に
されることもあった
クシナダヒメだって
クシ稲田ヒメ=稲田のクシ=人柱説もある
スサノオが櫛にしてヤマタノオロチに挿した
ヤタガラスが発った九州
その伊都国(今の福岡糸島)に「平原王墓」がある
世界最大の銅鏡が5面も、通常の銅鏡も39面も
出土し、さらに唯一平原でしか出土していない
「耳とう(ピアス)」の発見でヒミコの墓といわれる。
この鏡の円周が「八咫(2尺)」=八咫鏡
装飾した体の部位はその氏族や地域にとって
別格の意味がある
九州で「耳」は王の尊称
ヤタガラスと呼ばれる三島湟咋耳命
「耳」と「湟(海皇)=三島ミゾクイ耳命にしか
用いられていない字」=同格の神がない
坂田護の研究によると
ヒミコ=ヤタガラス=三島ミゾクイ耳命
祭祀の邪眼は未知の限界域に入る時
他国の魑魅魍魎、怪異、祟り神を祓う象形
「省」で表される(白川静)
目の上に鳥の足のような、
海神の三又矛のような象
「先導」を古来は「省導」と記した
先導者ヤタガラスは邪眼を持つ祭祀の血脈と
多くの人や鉱石、建材、炭燃料も運べる海運
の氏族だ
そして平原王墓の周囲には現代でもぐるりと
三島姓が囲んで現存し、この王墓の女王の姓
伊都国王を三島氏とする研究者もいる
その研究者によると
半島ミマナ日本総督府倭人の王も三島とか
三島家の古文書、家系図を
慌ててなきものにしたかった事情は
そういうところからも
ヒミコの血脈だったから
吉野ヶ里から巻向へ遷宮後、三輪山で
その姫神子セヤダタラヒメ、ホトタタラヒメが
祭祀を継承し、男王の出雲大物主、大和神武が
婿入りしているくらいだから
ヒミコでなくても
祭祀の血脈として尊ばれたのは間違いない