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トイレットペーパーがねぇなって思い出したこと

2月28日(金)

「みーんち(みーの家)、トイレットペーパーまだある?」

彼からLINEが来たのは夕方だった。
snsをうろうろしているのでTwitterからトイレットペーパーがお店にない!という情報はお昼に知っていた。

(まあ...なんとかなるっしよ)

妹に聞くと秒で「もうないねー」と返ってきた。
自分で数を確認せず、私は次の日いつも通りに出勤した。
(高い所に置いてある。うんしょって背伸びして見るのがただめんどくさい)


次の日、仕事が終わってからドラッグストアへ連れて行ってくれた。私に危機感はなく、ただぼーっとしていた。

1軒目、ない!
2軒目、ない!
ん...ちょっとヤバイかも?
少しだけ考えた。妹の「もうないねー」を予想すると家にあるトイレットペーパーは、あと1個!(正解だった!)
3軒目に行く途中で、なんでドラッグストア巡りをしているんだろう...本当にヤバイって思った?自分に質問してみた。
この時ふと、思い出したことがある


思い出したのは祖母のこと

https://note.com/3mi109/n/ndd24911b7b5a

日に日に認知症がすすんでいるように感じていた。祖母はお米を研いだのに、数分後にまた研ぐのだ。
目を離していると家にはお水に浸かったお米が2つになる。多い時は3つになった。(1つは既に明日の予約タイマーになってる)
たくさん研いでも死なないが、お米が...!!!!
もう、毎日毎日イヤになったからお米の場所を変えた。

すると今度は「お米は?」の繰り返し...心に余裕があればいいが何度も聞かれると疲れる。もう聞きたくなかった。祖母がわざと聞いているわけじゃないから、余計にしんどかった。でも、本人が1番しんどいだろうけど。

私は家族から話しかけられるのが嫌になって、お風呂へ逃げ込むようになった。だけど、しばらくすると、お風呂まで確認しにくるようになってしまった...


ある日、父が大声で「ばあちゃん出ていったぞ!」とお風呂に入ってる私を呼ぶ。

反射的に服を着替えて家を出た。
いつも電気がついていない時間帯に、電気が付いていたお家があり覗いてみると、ばあちゃんがそこにいた。私が小学生の頃にお世話になった習字の先生のお家だった。


「ごめんなさい。ばあちゃん、かえるよー」


たぶん、そう言った。お邪魔する時、自分で何を喋っていたのか覚えてない

奥さんと、娘さんがいてお米を袋に入れてくれている所だった。ご近所さんだからこそ、恥ずかしさの方が大きかった。でも、ばあちゃんが無事だったことが何よりで、2人が優しくて泣きそうになった。事情を説明して、入れるフリでいいので何か袋を...とお願いした。


すると、とっても優しい笑顔で
「大丈夫なのね?それなら良かった。みかん、もってく?うち、たくさんあるのよー」

涙をとめるのは無理だった

「手話わからないけど、なんとなくは会話できると思うから遊びにおいでね。風邪ひいちゃうから、あったかくしてね!」

言葉にできないくらい優しくて、ばあちゃんを見ればへにゃへにゃ笑ってた。たくさんお礼を伝えて一緒に家へ帰った。


あの時、危機感がなかったのは

祖母のことがあったからなのかもしれない。

トイレットペーパーが足りなくなったらご近所さんに分けてもらおう。落ち着いたら、返しに行こう!という頭に切り替わっていた。
お店を巡ってくれているので「3軒目になかったら、お家帰ろー」とは言っていた。

たまたま運が良かったんだ。3軒目でトイレットペーパーが買えたから。ねぇなったら言ってください、お互い様ですから

モノがなかった祖母の時代にとってみたら、なくなったら貰う。足りたら返す。多く作りすぎたら、おすそ分け。というのは当たり前にしていたことなんだろうな...


うん


「遅いインターネット」が届いたから読もう。今日は、これが言いたかった!





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