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00's日本激情シーンとGauge Means Nothing / Interview with Kasanuma #1

#1: 00's日本激情シーンとGauge Means Nothing

2010年代終盤から2020年を周り世界的にやってきた何度目かのEmo-Hardcoreムーブメントの1つは「skramz」として再定義され、そしてその文脈からも逸脱をしていく。2000年代の日本国内激情、そしてskramz界のカルト的存在として再評価されるGauge Means Nothing… (リイシューが最も待たれるバンドと言って過言ではない、実現するのか?)
2016年当時、Kowloon Ghost Syndicateでも活動しているMr.90年代こと笠沼さん(from Kowloon Ghost Syndicate,ex.Gauge Means Nothins,P.S Burn This Letter,Still I Regret)に行ったインタビューを再掲。


「ニュースクールハードコアを掘っているつもりがいつの間にかちょっとずれていった」

3LA: 笠沼さんのこれまでの活動遍歴について教えてください。
今では「激情」と呼ばれる音楽も世代が断絶されて、かつて活動していたgauge means nothing のことを知らない人もいるかもしれないので改めて。僕の知らないことも多いと思います。これまでどのような活動をしてきたのでしょうか?改めて教えてください。

笠沼: (gauge means nothingについて)
高校のときになんとなくバンドがやりたくなってベースを買ったんだけど、本格的にバンドを始めたのは大学に入ってから。最初は軽音部でコピーとかしてたんだけど、そのうち曲を作ろうってなって軽音部の部員とStand Aloneっていうバンドを始めた。
その頃はEnvyとSwitch Styleが一番好きで、あとはDOLLのNew Skool SxE特集ってニュースクールと銘打っているのに紹介されているバンドがEbullitionやBloodlinkのバンドばかりで、ニュースクールハードコアを掘っているつもりがいつの間にかちょっとずれていったというか、メタリックでエモーショナルな雰囲気のバンドを聞くようになった。当時は今で言う「激情ハードコア」という言葉はなくて全部「エモ」って言ってた気がします。で、Stand Alone名義でデモテープを出したのがもう’00年の9月とかかな。

「単純にお金がなかったのと、自分たちでやってみようというただそれだけの理由」

それから’01年の10月にメンバーが代わったことを機に、Uranusの曲名から取ってgauge means nothingというバンド名に変更しました。バンド名が変わっても特に音楽性を変えようと意識はしてなくて、曲も引き続きStand Aloneの頃に作った曲をやっていたんだけど、自然とメタリック要素は薄れていったんじゃないかな。

そして’03年9月に「残響も失せた過去と諦めに彩られた未来に」という人生初めての4曲入りCDをリリースしました。レコーディングは府中の公共施設に宿泊施設とスタジオが併設してあるところがあって、そこに自分たちでMTRを持ち込んで一日13時間くらい籠って3泊4日くらい合宿して録った。

宿泊とスタジオ込みで一人あたり一日3,000円とかそのくらいで利用できたんだよね。日中はずっとスタジオでレコーディング、スタジオの利用時間が終わって部屋に戻ってもラインで録音できることは夜遅くまで作業を続けたりして結構がんばってました。今振り返ると当時特にDIYにこだわっていたわけではなくて、単純にお金がなかったのと、自分たちでやってみようというただそれだけの理由です。でもレコーディングについて大したノウハウがあったわけでもなかったので、3泊4日でもレコーディングが終わらず、その後半年くらい断続的に録ることになって大変でした。今となってはいい思い出です。

その12インチ盤をアメリカのI’ve come for your childrenという友だちのライアンが始めたレーベルの第一弾としてリリースしました。ライアンとは彼が一時的に日本に留学していた時期にEnvyのライブで出会って、それからずっと今に至るまで関係が続いている大事な友だちの一人です。

Endless/Nameless Collective
http://endlessnamelesscollective.net/

I’ve come for your children
http://www.discogs.com/label/140078-Ive-Come-For-Your-Children


初の海外ツアー、そしてMy Preciousとの日本ツアー

更に’03年12月にその頃はまだ結成して間もないTialaとCoholとの3バンドでマレーシアとシンガポールへツアーを敢行。それまで海外に行ったことがなくて人生初の海外旅行はバンドのツアーで行こうと決めていた夢が叶った瞬間です(笑)。
1週間ほど滞在して4回のライブという決して長いツアーではなかったけど、ツアー自体は最高としか言いようのない体験が出来て一生忘れる事の出来ない思い出です。

その翌年の’04年12月にシンガポールのライブをブッキングしてくれたり、泊まるところを手配してくれたりでお世話になったMy Preciousの日本ツアーを企画して、北は新潟から西は北九州まで9日間で9回ライブをやりました。これも最高に楽しかった。ツアーの際にMy PreciousとのsplitCD「missing tom split cdep」をリリース。split CDが届いたのもツアー初日でツアー中にみんなでジャケットなどを組み立ててたし、今となっては間に合ってよかったけど、とにかくすべてがギリギリで、でもそういうことのひとつひとつが楽しかったかな。もちろん大変なこともたくさんありすぎたけど、各地のみんなが毎日すごくよくしてくれたので、なんとか乗り切ることが出来ました。あのときお世話になった人たちには今でも感謝しています。


「みんなの得意なことを活かそうとすると音楽性がもうエモからも遠ざかっていく」

「missing tom split cdep」のレコーディングは前回の反省とツアーまで時間もあまりないことからレコーディングスタジオを利用しました。このときにはもうバンド活動開始時にあったメタリックっていうキーワードはもう自分の中になくて、更に自分のやりたいことと僕以外のメンバーのやりたいこと、やれることが多分最初からだけどかみ合ってなくて、みんなの得意なことを活かそうとすると音楽性がもうエモからも遠ざかっていくということにレコーディングが終わって完成したものを聞いてから気が付いて、でもそれはそれで面白いからいいやと適当に考えていたかな。
音楽性についてはもうあまり具体的な指針はなかったというか、そういういことを追求できないくらい時間がなくて、だいたいレコーディング突入してるのにまだ歌が完成してなくてメロディを探りながら録っていたくらいで、もう出来上がったものがすべてでした。今考えると相当行き当たりばったりだった。この頃はそれまでと聞いているものはあまり変わってなかったけど、メンバーで共通して好きだったのはキウイロールとかKeep Away From Children、The T.V. Dinnersなどだったんじゃないかなと思う。

そしてツアーを終えたら、それまであったツアーやリリースなどの目標がすべて一段落してしまって、音楽的にも活動的にももうやりきったような感じがバンド内にあった。そこで話し合いの結果、解散という結論に至り、’05年12月のクリスマスイブとクリスマスの2日間に解散ライブをやってgauge means nothingは解散しました。

最後に作りかけの曲があったからそれを完成させて一曲だけレコーディングして「ザ・ラストソング」というタイトルでライブ当日にCD-Rで売りました。これもsplitのときの路線を更に押し進めた感じでなんともカテゴライズのしようのないすごく変な曲だと思う。バンドとしての終着点はこんな感じだったのかなと今振り返るとそう思います。


「まるで自分のことのように身近に感じられて燃え上がっていった」

3LA: いまでこそ僕はGauge Means Nothingshは国内激情黎明期のエモという感じで捉えているんですが、当時としてはニュースクール系の流れとして捉えていたんですか?

笠沼:国内でエモを意識してやっていた最初期のバンドというとやっぱりEnvy、SwipeとかKulara、Wise Upとか僕らよりも4,5年前に活動を始めていたバンドになるんじゃないかと思う。

最初はとにかくSwitch Styleが大好きだったから自然とメタリックな感じになった。でもメタリックハードコアは好きだったけど、自分でバンドをやるときはレギュラーチューニングにこだわっていて、同時にEnvyも大好きだったから、重さよりも旋律を追求したい、こんな哀愁のある曲をやりたいと漠然と思うようになった。それと当時ニュースクールと言われているバンドのファッションとか考え、タフな雰囲気も自分と合わない気がして、エモの方がいいなと思うようになったのかな。

なんとなくジャケの雰囲気とか曲名がポリティカルだからっていう理由で買ったGroundwork、Struggle、Born Against、Madison、Inside Out、Refused、UnbrokenのAnd/Fall on Proverb、V.A. Some Ideas Are Poisonousとかがその頃よく聞いていたバンドなんだけど、最初は一聴して良さが理解できたわけじゃなくて、当時はお金もなかったからそんなに気に入らなくてもせっかく買ったし……と繰り返しレコードを聞いて、同時に歌詞やアートワークを眺めているとやがてどういうわけかその内容がまるで自分のことのように身近に感じられて燃え上がっていったというか、その当時英語も全然できなかったから英語のブックレットを少しずつ読むことで理解していく過程もまた自分の成長をリアルに感じ取れるような新しい発見があって、自分の聞きたいもの、やりたいものはこういうものなんだとだんだんそういったバンドにのめり込むようになっていきました。

(続く)


そして2024年になって笠沼さんが書いているnoteもあります↓

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