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「場所の雰囲気やカルチャーに安易に乗っかるだけではなく、バンドはいいライブをやらないとそこから何も生まれない」 / Interview with Mr.Kasanuma #4

インタビューは本来の内容からどんどん外れていった完全に雑談レベルに…。しかし重要な内容もあったので敢えての完全収録!


前回までのあらすじ


#4. ライブハウスシーンから外れたもうひとつの可能性を語る(完全に余談)

「スタジオライブはライブハウスでのライブに対するカウンター」(過去と今)

3LA : 過去のバンドについて今でもyoutubeにいくつかのスタジオライブ映像が上がっていますが、当時はどのような意味合いを持ってスタジオライブを行っていたのでしょうか?
笠沼:「スタジオライブはライブハウスでのライブに対するカウンター」って言ったらライブハウスが悪いわけではないんだけど、ライブはライブハウスでやるものという前提を覆す、もう一つの新しいアイデアという気がしてそこに魅力を感じた。あとは自分で見に行ったときにバンドとの距離が近かったり、ステージがないことが、バンドだけではなく見に来ている人もそのムーブメントに参加しているという意識を持たせられるという、人によってはデメリットに感じるだろうけど、そういう良さも大きかったかな。スタジオライブをやる側としては自分たちのキャパシティにあったスペースで安価にライブが出来て、お客さんにも入場料を安くできるというのもやりやすくてよかった。
あとはこれは個人的な話だけど、お金の問題とかでライブハウスとうまく関係性を作ることが出来なかったことが何度かあって、それならやっぱり自分たちでコントロール出来る範囲でライブをやりたいと思うようになったのが大きかった。今だと自分たちとほぼ同じ価値観の人がライブハウスで働いていることが多いし、ライブをやるにあたっての数ある選択肢の一つとしてスタジオライブ自体が完全に定着している感があって、いい意味でもうカウンターではないかな。
スタジオライブを始めたのはDriving Boxという、現在SoonやEncroachedのメンバーがかつてやっていたバンドが最初という話があるんだけど、最初はどういう意図や意味合いがあって始めたのか聞いてみたいところだよね。Driving Box自体はBorn Againstっぽい音楽性だったとは伝え聞いているんだけど、デモが存在しているらしいです。

Soon @ Club Earch-Ootorii, Tokyo

Encroached Noise Room Sessions

「やっぱり場所の雰囲気やカルチャーに安易に乗っかるだけではなく、バンドはいいライブをやらないとそこから何も生まれない」


3LA : スタジオライブに関しての個人的見解として「当時のスタジオライブを選択する意味」と現在のそれとは違うように思います。いまはそれほどステージとフロアが双方向にコミュニケートすることもほとんどない、というか。かつてほどスタジオライブの意味というものは薄れていると感じます。(僕が見ているのは東京だけですが…)

笠沼:先に答えたように、今ではスタジオライブは定着しているし、昔は確かにスタジオライブだから何か意味が込められているという側面もあったと思うけど、今はどこでやろうとライブの内容とかそれ以外のポイントがより重要になっていると思う。コミュニケートという点についてはそこはライブを主催する側が意識してそういう雰囲気を作らなければなかなか成立しないよね。やっぱり場所の雰囲気やカルチャーに安易に乗っかるだけではなく、バンドはいいライブをやらないとそこから何も生まれないと思います。Fugaziの初来日の映像がライブハウスでのライブなんだけど、ものすごい雰囲気よくて、バンドの持つエナジーとお客さんの期待とがいいように作用している好例だと思う。

Fugazi in Tokyo Pt. 1

「SNSに簡単な感想書いて書かれた側もエゴサーチしてそれ見て終わり」

3LA : 当時のDIYパンクシーンの人達の中でも、そのシーンが「従来のパンクシーンに対して、オルタナティブな可能性のあるもの」だという認識はあったのでしょうか?また、その当時の色々があったからこそ、今のwhat’s upやbushbashが存在しているのだと思いますが、環境が出来たが故に甘えてしまっている部分もあるのかもしれません。
笠沼:その認識はあったと思う。リアルタイムでは知らないんだけど、Nukey Pikesの「ネオハードコアテイル」という企画があって、日本でハードコアというととりあえず鋲ジャン着てというのが主流だったところに、アメリカのハードコアの影響を受けたバンドが出始めて、ジーパンにTシャツという普段着でライブをやり、音楽性の幅も広がって新たな流れが始まった。そこから更に深化したDIYシーンが日本でも登場して、最終的には僕はそこに猛烈な影響を受けた。そこではバンドだけじゃなくてお客さんでもファンジンを作ることで意見を表明をしたり、ディストロをする人がそのセレクトで自らの審美眼をアピールしたり、そこにいるみんなで新しい何かを作ろうという雰囲気はあったと思う。でも同時に「そういうのめんどくさい、音楽だけでいい」という考えも存在していたと思うし、その頃は僕も何がなんだかわからないままにライブを見たり音源を聞いたりしていて、周りの人がみんなすごい人たちに見えて自分の意見なんて薄っぺらくてとても言えたものじゃないという風に思っていた。

その頃デモテープ聞いていいなと思ったら手紙書いたりメール書いたりしたものだけど、今はそういうことないよね。SNSに簡単な感想書いて書かれた側もエゴサーチしてそれ見て終わりって感じで。それはそれでこれまでの状況に対するオルタナティブな楽しみ方の一つなのかも知れないけど。
今の状況に対する更なるオルタナティブなアプローチってなんだろうって考えたんだけど、今でもライブで新鮮な感覚を覚えるときはあるし、僕らに限って言えば、Gleamedやilill、Sans Visage、DEVIATIØNといった20歳前後の若いバンドともちょっとずつ接点を持てたりしているので、水谷君の問題視しているようなことはあまり実感してないかな。今後はそういった若いバンドともっとライブをやっていきたくて、自分たちより若い世代にハードコアの魅力を伝えられるようになりたいなと思っています。

Nukey Pikes 2You — Music Free Magazine -

http://2youmag.com/2youmag_old/interview/2011/no23/nukey.html?source=post_page-----2f2a0ea071b2--------------------------------


Grealmed bandcamp

Sans Visage


3LA : 完全に余談ですが、Cosmic Neuroseの多摩センターの▲広場ライブ(youtubeにある)は伝説的なアクトとして語り継がれているように思いますが、そのライブ「荒魂フェス」を主催しているレジェンド石浦氏はやはりああいうロケーションでああいうバンドを企画に呼んで伝説を作り上げるが故にレジェンドだなぁと思いました。DIYってたぶん作ったものを自分達の手で広めていくところまで含めてDIYだと思うんです。なのでやはり時代ごとに新しいアイデアを継ぎ足して、それを面白いもの、クールなものとして伝えていく作業ってすごく必要だと思いますがそういうのって最近はあまりないかなと思います。バンドもレーベルもディストロもそこは変わらないかなと思うし。あ、そういえばTrikoronaの都営荒川線パワーバイオレンスお座敷列車みたいなのは映像で見せてもらって面白かったですけど。
笠沼:他人がやってない新しいこと、面白いことは、実現するとなると様々な困難が生じるから誰もやらないのであって、多分思いついてもなかなかやらない/やれない状況なんじゃないかと思います。今は失敗を必要以上に恐れる風潮があるような気がしてならないんだけど、僕も結構色々とチャレンジしては失敗したこともあるし、でもそれ以上にこれまでに得たものはたくさんあったと思う。10年くらい前は大変過ぎて「もうやりたくない」って思ってたんですけど(笑)、最近また公共施設でのライブに興味が出てきて、またなんか面白いことが出来ないかななんて思ったりしています。

COSMIC NEUROSE — 多摩センター三角広場

TRIKORONA @ 都電荒川線

荒魂ギグ

3LA : 笠沼さんの中で、逆にいま新鮮に感じるところって具体的にはどんなライブや場所だったりしますか?僕は文化そのものを発信するところはとても少ないと思っているので、今ポレポレポレで行われている試みなどは新鮮に感じるところがあります。
笠沼:ライブ以外に面白そうと思っていることは、水谷君の言うようにトークイベントかな。高円寺VESPERAで行なわれているVegan Extremeとか、もう閉店しちゃったけど、ポレポレポレでの水谷君のネオクラスト講座とか、僕とみちのくさんの「激情ハードコアとは何か」とかそういったイベントは普通のライブと違って面白かったと思う。ライブハウスでのライブだとどうしてもライブが主体になっちゃうから、お客さんとのコミュニケーションとなると会話の時間も場所もなかったりする。やっぱり会話は大事。あとそのときおいしい飲み物・食べ物もあるとなおいい。そういう意味では大音量の音響設備も必要ないし、飲食店でのトークイベントに可能性を感じます。

Vegan Extreme

Vespera’s Falafel

臨時ブログです — 5/22(金・夜) 3LA座談会のお知らせ(仮)



最後に:2024年の追記

この4回にわたるインタビューでは多くの引用元やリンク先のURLを記録していましたが、そのいくつかは既に存在しておらずnoteへ再掲するタイミングで削除しました。
永遠に見えるインターネットにも終わりはある。みんなのSNS投稿だってすぐに色褪せて消えて無くなる。これはもう絶対の真実なんだと思う。
僕からのメッセージとしては、真剣に語れ、書き残せ、ということです。

これからのインターネットは全てが平等ではなく、より勝者総取りの時代になります。個人のブログ、アンダーグラウンドな試み、その面白い部分や盛り上がった動きは、資本のある大手メディアや大企業が横取りしていくことが確定しています。その原理から距離を置き、競争から降りる。



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