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変人─三雲的中二病論─


全ての始まりは、小学校の頃にハマっていたアイカツ!だった。
個性を伸ばそう、というのが、アイカツ全体のスローガンというか、メインテーマの一つだった。
それを見た日から、私は「個性」を追求し始めた。

他の誰とも違う私らしさを見つけてアピールしようとした。
クラスやクラブ活動、部活動、縦割り班などの自己紹介では、何かしら誰とも被らないことを言うように努めた。
自分が自分であると感じる瞬間を喜んだし、それを他の人にも知って欲しかった。
流行りにも乗りたがらなかった。周りの子がみんなレピピを着ていた時も、韓国アイドルブームが始まった時も、私は素知らぬ顔をしていた。
ちなみに、緑が好きになったのも小学3〜4年生くらい。理由はもちろん、他の女子と被らないから。

そんな中で、欅坂46と出会った。
当時、音楽番組をつければ皆が肩を組んで恋を歌い、マイクに向かっては希望を叫んでいた時代。
何を聞いてもn番煎じで私にとってはつまらなかった音楽シーンに、「強いメッセージ性」という紹介文句を引っ提げて現れたアイドルグループ。
君は君らしく生きていく自由があるんだ。
one of themに成り下がるな。
みんな揃って同じ意見だけではおかしいだろう。
普通なんかごめんだ、僕は僕でいさせてくれ。
カメラを睨みつけ、世間を皮肉って歌う彼女たちの姿に、私は虜になった。
欅坂46の歌が、その後の私の個性追求の後押しとなったことは言うまでもない。
同時に、周りの誰も推していなかった欅坂46を推すことで、自分自身の個性を強めようとしたことも否定しない。

小学6年生の時、当時とても仲が良かった(親友と呼んでも過言ではないだろう)友達に、こう言われた。
「零霞ちゃんって変人だよね」
え、と思った。困惑した。
なんと当時の三雲、個性強め≒変人であることに気づいていなかったのだ。
そもそもその友達のことを変人だとすら思っていたから、逆にその子に自分が変人だと言われたことに少なからずショックを受けた。
今思えば、人はみな自分を基準に物事を見ているのだから、自分と全く違うタイプの人間を変人だと思うのも当たり前なのだが。

その日以降、私は「自分が人から見ると変人である」という意識に付き纏われた。
中学に入るとその意識はさらにエスカレートした。
自分が発するひとこと一言、一挙手一投足が、周りから変だと思われているのではないかと怖くなった。
そもそも、中学校という環境も影響していたのかもしれない。
みんなが同じ制服を着て、同じ髪型をして、同じ空間で同じ勉強をし、同じテストを受け、同じ行事に同じように参加する。逆に違うことの方が少ないのではないかというくらいだ。
小学校の頃よりも、同じであることを求められる状況。
なんだか私以外の人がみんな同じに見えた。
そんな中で1人だけ自我を主張する勇気も覚悟も、当時の私にはなかった。
そして私は普通を目指すようになった。

手始めに、当時流行っていたジャニーズアイドルとTWICEを勉強した。
ジャニーズにはハマらなかったが、キンプリとSexyZoneあたりは覚えた。
TWICEに関しては、クラスメイトに激推しされてTSUTAYAでCDを借りたりもした。頑張って9人全員の顔と名前を一致させた。YouTubeでMVも見た。結果、一時的ではあったがハマった。(三雲は意外とチョロい。)
それから、雑誌のnicolaを読み始めた。
結果、おしゃれや流行には多少詳しくなった……かもしれない。
あとは、文房具を流行ってそうなデザインのものでまとめた。
ユニコーンやコスメがデザインされたペンケース、謎に流行っていた洗濯マークモチーフの財布(実は変えるタイミングがなくて今も使ってる)、カフェドリンクが描かれた定規(これもまだ使ってるわ)などなど。

しかし、肝心なものがどうしても変えられなかった。
人格である。
それまでずっと、何事にも個性を意識して生きてきた分、どうしても没個性にはできなかった。
例えば喋り方。
これは未だにコンプレックスなのだが、早口すぎて聞き取ってもらえなかったり、タメ語で喋る所になぜか敬語を混ぜてしまったり、上手く言葉が出てこなくて変なところで詰まってしまったり。
相手の顔を見て話せなかったり、相手の意図していない所で笑ってしまったり、声のボリュームがデカすぎたり。
普通に喋ろう、普通に喋ろうと思っても、言葉というのは咄嗟に出てくるもので、おかしなことを言ってしまうのはどうにも直せなかった。
結果、私は話しかけることに消極的になった。コミュ症女の完成だ。
私に話しかけられたら、みんな迷惑するのではないか。本気でそう思った。今もそう思っている。

学校で何度かあったいじめも、私にプレッシャーをかけた。
私は全く被害者ではなく、むしろ加害者といってもいいくらいだったが(この話は後々すると思う)。
中2の時にいじめられて一時期不登校気味になっていた子が、私と少し似ていた。それも内面の悪いところが。
次のターゲットは私になる。そう思ったから、ますます目立たないように気をつけた。
クラスや部活で浮いてしまうのはどうしようもないが、せめて動いて目立つくらいなら、動かないで目立った方がマシだと、当時の私はそう考えた。

見た目のコンプレックスも大きかったが、なんかもう言い出したら長くなるので割愛。

中3の時、ついに私はクラスでぼっちになった。
ちなみにこの時期のおかげで今でも一人行動が得意なので、悪いことばかりではないが。
中2の時に同じクラスだった害悪男子と離れたおかげで、クラス自体は平和だった。班員にも恵まれた。
でも、毎日学校に行くのが楽しいかと問われたら、即座に「否」と答えただろう。

中学校で学んだのは、「認められるべき良い個性と、排除されるべき悪い個性がある」ということ。


受験を無事乗り越え(といっても特に努力とかした覚えはないが)、私は高校生になった。

高校に入ると、かなり環境が良くなった。
やはり偏差値高めなのが関係しているのか、周りの人は誰にでも平等に優しく、さも当たり前のように私のような下等生物にも話しかけてくれるようなハイレベルな陽キャばかりだった。
いじめのいの字も聞かなかった。
クラスに仲のいい友達もできた。

それでも、まだ私は個性を積極的に出せなかった。
周りのコミュニケーション能力が高いからこそ、自分のコミュ症度が際立ってなんだか情けなかった。

数年の間没個性を目指していたわけだが、おそらく個性を出したい欲も私の中で燻り続けていたのだろう。
欅坂は櫻坂に改名しても推し続けたし、人と違うことを積極的に行っている人を見る度に憧れの感情を抱いていた。

転機は、高一の一月だった。

ゆきむら。殿に出会った。
殿は滅茶苦茶に個性が強い。外野から見たら「ザ・変人」だろう。そのせいで叩かれることも人一倍多いけれど。
でも、殿はとても堂々としている。良い個性はもちろんのこと、悪い個性だって隠さず曝け出す。
殿は、自我を主張する勇気と覚悟を持っている人だった。

こんな風に個性を主張してもいいんだ。
変な人でもいいんだ。

こんな人は今まで見たことがなかった。私は衝撃を受けた。
私の中に燻っていた“個性欲”、自己顕示欲は解き放たれた。
こうして殿の存在に背中を押されて、私の個性追求は数年越しにリスタートを切った。

で、今に至るというわけで。
今では個性を表現することに殆どマイナスな感情を覚えなくなった。
もはや「変人」なんて褒め言葉だ。どんどん言ってくれ。三雲は変人です。
他にも「唯一無二」とかね。
むしろ「普通」のほうが私にとっては甚しい罵倒である。
ただ、おかげで集団行動に苦手意識を覚え始めたのはまずいかも。協調性の欠如が加速している。そのせいでライブもちょっと苦手。この先冗談抜きで社不になってしまう。

さらに、私は小説を書く側になった。
芸術家と芸能人の最たる敵は没個性であると私は思っている。
こちとら芸術家の端くれ(の端くれ(の端くれ(の端くれ)))なので、これからも、誰にも紡げない言葉で、誰にも思いつけないストーリーを描き出していこう。



これが三雲的中二病論──三雲が中二病に犯された経緯である。



あ、でも良い個性をもっと伸ばしていかないといけないな。