一時帰国 : 書類の入手と離婚手続きの確認
日本に到着し、空港内で必要な用事を終えて、私は横浜市内の区役所に向かうことにした。
帰国の目的の一つ、免許の更新手続きに戸籍の附票が必要だからである。
空港で会った同僚が教えてくれた通り、京急線でまずは横浜駅に向かう。
久しぶりに見る、日本の風景。
もう何年も経つのに、不思議とまだちゃんと記憶に残っている。
横浜には、息子が生まれて日本に帰国してすぐに住み始めた。
実家は東北だし、
大学は静岡で、
首都圏の土地勘はゼロだったが、
友人のお祖母様が住んでいるお家で空いている部屋があるとのことで、格安で借りれる事になり、ご厚意に甘えた。
20年前の日本で、横浜だったら外国人も多いのではないか、と思ったこともその決心を後押しした。その効果の程は分からないが、少なくとも、東北の実家よりは、確実に外国人は多かった。
その際に、本籍をこちらに移してしまったため、今回はわざわざ書類を取りにいかねばならなくなってしまった。
本籍を横浜に移した後、東京に引っ越しし、さらにはインドに移住してしまったため、誰も横浜にはいない状態になってしまった。書類の入手とか、中々に面倒である。
必要ないなら、戸籍は実家に残して置くのが便利だとしみじみ感じるのだった。
横浜で、東急東横線に乗り換える。
市内に住んでいた時も横浜は「週末のお出かけの場所」であったが、東急沿線は「生活の一部」であったため、更に懐かしい景色が広がる。
横浜駅から菊名駅までは特急で行った方がいいことも覚えていた。
大倉山駅で降りて、外に出る。
記憶にある景色と同じ様な気もするし、違っている様な気もする。
少なくとも、スターバックスは駅前になかったな。
区役所が最寄りであることは覚えていたが、どっちに行けばいいかをすっかり忘れてしまっていた。道行く人に教えてもらい、歩き始める。
荷物が多い日に限って、雨なのが残念だ。
歩き初めてしばらくすると、記憶が戻って来たので、自信を持って歩みを進める。交差点で、既に区役所の建物が見えて来たので、気持ちもはやりつい急いでしまったが、
残念、区役所は道路の反対側だった。。。
区役所は目の前なのに、通りを挟んで向こう側にある。
交差点まで戻って、通りを渡り、無事に区役所に到着。証明書発行は建物に入ってすぐだったので、まずは戸籍の附票の写しを入手だ。
久しぶりに、日本の役所でこのテの申込みをすると、すぐに理解できずに戸惑う。
免許更新に必要だけど、全員分記載が必要か? いや、いらないかも。。。この申し込み書にハンコっているんだっけ??
分かる範囲で記入して、印紙を貼って、列に並ぶ。
カウンターで、期限が切れた免許の更新で必要だと伝えると、他に同じような状態のもいるのか、細かい点を教えてくれ、身分証明書を確認してから、受付してくれた。
書類を受け取った後、相談はどの窓口になるかを教えてもらった。
戸籍課で相談は2階とのことで、上に向かう。窓口について、誰もいないが、一応番号札を取る笑
係りの人に呼ばれて、今、インドで離婚手続き中であることにして、決定した場合の手続きについて教えてもらった。
係の人は、離婚が決定した後の日本の役所での手続き(基本、すべての市町村で共通)、本籍の場所についてのアドバイス、親権についての基本的な決まり、私の苗字の変更と戸籍について、国際離婚の場合の注意点や、日本における共同親権の現状を教えてくれた。
非常に丁寧に教えてもらったし、私の立場に寄り添って情報提供をしてもらえたと思う。非常にありがたい。
本籍については、今後の事を考えると、両親が住んでいる実家が一番だし、何よりすぐに思い出せる。本音を言うと、その時の便利さを取って移動した横浜の本籍地は、書類を見ないと分からない(笑)
離婚の報告についてはよく理解できたし、親権についてはどちらかの片方の親のみになる事も分かった。今後は、元夫がアメリカに行って娘と一緒に暮らす(少なくとも数年は)ことになるだろうから、一緒に住んでいる親が親権を持つのが望ましいだろう。(これも私が勝手に決めた、と思われるのだろうが。。)
娘は、来月からアメリカの学校に転校することになっているので、元夫も彼女についてアメリカに行くことになっている。(と言うか、そもそも、私は8月に入って初めて転校の話を聞いた。)夫には「離れて暮らしている場合に、どちらかの親の名前を登録しておく」とでも言って、署名してもらおうと思っている。
・・・ウソではない、ウソでは。若干の心苦しさがあるけど。
必要な情報を入手できたが、どちらにしても、ある程度の情報を伏せるとはいえ、元夫と娘と向き合わないことには、書類手続きは勝手にはできない。
ここまでの情報を入手できれば今日は十分なので、横浜の区役所から成田の妹の家に向かう事にした。
大倉山は渋谷より横浜の方が近いので、横浜にまずは出ることにした。
機内食はしっかり食べたが、午前6時頃に着陸しているので、さすがにちょっとお腹が空いてきた。横浜に出たら何か食べて、スマホも充電しよう、と思いながら、再び東横線に乗りこむ。
横浜から成田までは1時間以上あるので、さすがに横浜に着いた時点で何か食べていくことにした。
ドトールコーヒーなら、スマホの充電もできると思い、ミラノサンドとカプチーノを注文して座ったが、残念ながらここの店舗では電源は無かった。。。笑
でも久しぶりのドトールのコーヒーとミラノサンドは美味しかった。アボガドとか、生ハムとか、インドではあまりお目にかかれない食材。幸せ。
横浜~成田であれば、リムジンバスだと乗り継ぎもなく、荷物も預けられて非常に楽なのだが、お値段は片道3,700円だ。時間もあるし、荷物も羽田から発送していて身軽だし、日本には今日から1カ月近くいるので、できるところは節約しよう。
そう思ってJR・京成線で向かうことにした。総武線で船橋まで行き、船橋で京成線に乗り換える。公津の杜駅が妹の家の最寄りになる。今日は移動の為にお休みを取っているので、ゆっくり行こう。
昨日、家を出てからずっと移動し続けているため、電車に乗っていると、やはり黙って座っていると眠たくなってしまう。何度もガクリと頭が下がって、慌てて目を覚ましてきょろきょろしてしまう(笑) 何とか大きな失態をせずに済んだが。
睡魔と戦いつつ、何とか公津の杜駅に到着する。
妹から「駅を出て左側で待っている」と言われているが、どれが妹か分からない(笑) 一台の車が停まっていて、それらしき人物がいるが、自分の視力も弱っている上に、妹の車はあれではなかった気がする。
他に誰もいないので、手を振ってみると、手を振り返される。
どうやら妹だったらしい (笑)
妹と久しぶりの再会をし、子供たちにも手を振って挨拶するが、反応無し(笑) まあ、しょうがない、4年ぶりなんて、子供たちにとっては人生初めて会ったと等しい。過去の記憶なんて無いに違いない。
3日後の妹の用事にあわせて、慣れてもらって、妹なしでもお留守番できるようにするしかない。
妹の車の助手席に乗せてもらい、やっと今日の宿(=妹の家)に向かったのだった。
(続く)
サポートいただけた場合は、「子供が売られない世界をつくる」を掲げてインドでも活動をしている、かものはしプロジェクトに寄付します。