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あの葉っぱが落ちたら、私は・・・

晩になって暗くなってから、突然カミナリが鳴り出した。

空がピカッと光り、ゴロゴロと音がなるものの、雨は降ってこない。
気温はここ最近暖かくなっているが、カミナリが鳴っている今は、暖かさを通り越して、少し生温いぐらいだ。

春の訪れを告げる雨なんだと思う。春がすぐそこまで来ている。


今日は午前中に夫から電話がかかって来た。
面倒だが、電話には出る。
(いつになったら平気で無視できるようになるんだろうか。。。)

今回の用件は何かと身構えたが、
「健康診断に行って来たら、精密検査を勧められた」との事。

それだけでは、ただの「近況報告」であるが、もう少し聞いてみると、
「もう血圧が上は150を超している」
「医者に体重を落とせと言われた」
「精密検査の結果がどうなるか分からないけど、覚悟しておいて」
と、自分の体調が万全でないことを強調したいらしい。

かまってアピールだろうか。

夫は一緒に住んでいた頃から生活が不規則であった。
それは仕事によるとも言えなくもないが、何度かnoteでも書いている通り、どちらかと言うと自分のスケジュール管理がなってないからである。

「今は一日15時間働いている」と言うのだが、そうすると単純に考えても寝る時間も食べる時間も足りない。もう50歳を超しているのだから、体調第一でスケジュールを組んだらよいのに、無理をしているところを見せて、誰かに止めて欲しいと思っているのだろう。

夫は2年前に家出した後、しばらく路上で過ごしていたらしく、それが原因で今の健康状態になったと言うのだが、路上生活は長くても数か月であったはずだ。

どちらかと言うと、今までの不摂生が、この時の路上生活によって表面化してきた、と言う方が正しいのだと思う。

結婚してから数年後、事業を始めてから生活が苦しくなったため、私は一時的に会社員に戻ることを何度も夫に提案した。それは健康面の観点からも、経済面の観点からも、必要だと思われた。定収入が得られることもそうだが、保険に加入できることや福利厚生がある事など、会社に在籍する事で得られる利益は大きい。

まあ、夫が働いていた会社のいくつかは、そのような社員にとって最低限必要な保険も交通費すらも出してくれないブラック企業もあったので、会社にもよるのだが(笑)

「自分に何かあったら覚悟しておいてほしい」と言いだすので、思わずうなづきそうになったが、よくよく考えたら、今はまだ精密検査を勧められただけで、何一つ明確になってはいないのに、夫は既に余命宣告を受けたかの様な気持ちでいる。

まだ早いよ。もう少し、色々検査してからにして。

オー・ヘンリーの短編小説の一つに「最後の一葉」と言うのがある。

肺炎を患ってしまった画家のジョアンナは、生きる気力を失ってしまい、窓から見える蔦の葉がすべて落ちてしまったら自分の命も尽きると思い込むのだが、画家仲間のベアマンが嵐の中レンガの壁に描いた葉っぱのおかげて、ジョアンナは生きる気力を取り返す。(皮肉にも、ジョアンナの為に、嵐の中で葉っぱを描いたベアマンが、肺炎亡くなってしまう。)

Wikipediaより

夫の心情としては、ちょっとこれに似ていていると思う。

ジョアンナがどれくらい「私に構って」「私の心配をして」と思っていたかは謎であるが、「もうだめだ・・」と言う気持ちをあえて誰かに伝えるのは、諦めの中にも、誰かに「そうじゃないよ!」と否定して欲しい「かまってちゃん」の気持ちが多少はないだろうか。

(名作に対して、なんという大胆な解釈)

そうじゃなかったとしても、夫のスイッチが入るのが早すぎる。

もう余命宣告を受けた気持ちでいるが、まだ何一つ明確になってはいないのだ。

往々にして、「もう私ダメだわ」と言う人に限って長生きすると言われる。夫もそうやって周りに(構って、構って~!!)と振りまきつつ、恐らく120才ぐらいまで生きるのではないかと思う。

本気で余命を心配しているのであれば、持っている資産の振り分け、負債の処分をして欲しいのだが・・・・。

とりあえず、検査の結果を待ちたいと思う。


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