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一時帰国:娘との再会(その3)

元夫と娘と再会し、夜ご飯を浅草で食べた後、バス停のある上野に向かった。(この日の夜に出発する夜行バスで、東北の実家に行く予定であった。)

上野で待ち合わせしたのに、タクシーで浅草に行き、また上野に戻ると言うムダな移動。元夫と一緒にいるとこんなことは日常茶飯事だ。

人生にムダな事は無く、たまに目的も無く移動することも大事だと思っているけども、上野にもたくさんの店があるし、ここからバスに乗るのに、わざわざタクシーを使って浅草に行くのはムダ以外の何ものでもない。

元夫は今はお金はあるらしいが、これにお金と時間を割くのはもったいないと思わないのだろうか。


浅草の店を出たのは20時頃で、22時に上野発の夜行バスに乗ればよかったので、急いではいなかった。

元夫はこの辺を良く知っている様なので、とりあえず後をついて歩く。

大通りまで来たところで、「ここをまっすぐ行けば上野だ。このまま歩くか?」と聞かれたので、ちょうどいい運動だと思い、3人で歩く事にした。夜で人も少ないし、たくさん食べたので、ちょうどいい運動になる。

歩いていると、娘も少しづつ話しをする様になってきた。「何食べる?」とか「あれ取って」などの事務的な事ではなく、「友達のXXちゃんがね、・・・」と言った、たわいもない話題だ。

そんな何でもない事を娘が話し出した事が、何より嬉しかった。

少しだけ、二人の距離が縮まった気がした。


歩いていると、急に元夫が「ここをまっすぐ行けば上野だけど、見せたいものがあるから、こっちに曲がる。」と言い出した。

言われるままに歩いていくと、元夫が先にある建物を指さし、「ここに前住んでいたんだ」と言う。

その建物の2階に住んでいたのだそうだ。

元夫は、インドの家を出た後、アメリカの母親と妹の所に行っていた。その後、いつの間にか日本に戻っており、江戸川区→江東区と移動し、息子が日本に行ってしばらくしてこの浅草の家に引っ越しした。

夫によると、息子が江東区の部屋が狭いと大騒ぎしたので、しぶしぶ引っ越しを "してやった" のだそうだ。

こうやって聞いていると、どっちもどっちであきれてしまうのだが、

まず夫は、「息子がうるさかったから引っ越しをしてやった」と、息子のいう事を聞いてはいけないと思うのだ。子供が独り立ちするまで親に責任はあるが、どこにどんな住まいになるかは、親が収入を基に決めるべきである。

また、どんな理由だったにせよ、自分で引っ越しを決めたのであれば、後から色々と文句を言うべきでもない。お金を使うと決めたのは元夫なのだ。

一方、息子は、家にお金を入れない限りは、子供は親に従うべきである。(虐待などでない限り) 親や家に文句があるならば、自分で稼いで、自立することはどんなものなのかを知るべきであった。たとえ、父親が嫌いでも、お金を出してもらっている以上は文句は言えない。

そんなことを思いながら、建物を見せられてもあまり感銘は受けず"へー"とだけ答えた。

ここから、元夫の息子への文句が始まる。

大学だって、高校の成績が悪かったし、全然願書を出さないから決まらないし、受かったのはカナダの大学のみだったから仕方なく行かせてやったのに。。。

これも、引っ越しと同じで、親が行かせてやれる大学に制限があってもよいのだ。

海外からカナダの大学に行かせるのは高額な資金が必要だ。計算の結果、無理なら、行かせてやれない、と最初から言えば良かったのに、入学後、半年近く経って、"お前の素行が悪いからやっぱり払わない"では、流石に息子がかわいそうだ。

息子は今、カナダに残る方法を必死に探している。元夫にとっては、その努力も評価できるものではないらしく、滞納している学費を払う気にはならないらしい。

元夫とは違う方法で、努力はしているのだから、少しは認めてやって欲しい、と思うのだった。



ゆっくり歩いたが、9時過ぎには上野に着いた。娘に会えて満足だった私は、ここでお別れしようと思ったが、出発まで待つという。

まあ、いいですけど。。。

近くのパブに入り、バスを待つ。ここからはバス停が見えるので、子供(娘)を連れて行くのは気が引けたが、まあいい。

パブなのにオレンジジュースやウーロン茶を頼んで、バスが来るのを待つ。元夫は再び同じことを話し始めた。

元夫はこうやって、何度でも同じことを、こちらが合意するまで永遠に続けるのだ。諦めないことは悪いことではないが、交渉の余地はない。

娘に会えたので、元夫への怒りなどは既に下火になっており、いつもよりは落ち着いて対応できていたが、あまりにも何度も同じことを言われると段々と腹が立ってきてしまい、つい、強く反論してしまった。

ああ~。。。またやってしまった。

もうやり直す気はないこと、

子どもたちのためには協力すること、

を、もう一度伝えると、元夫は少し黙り込んだ。この人にも、相手に合わせるということができる様になったのだろうか。

時間が私達人間に与える影響は大きい。

大きく変わるものもあるし

全く変わらない物もある。



出発の15分ほど前にはバスが到着し、乗客が搭乗を開始し始めた。

私もパブから出て、バスに乗り込んだ。

夜行バスなので既にカーテンは閉められていたが、隙間から娘に手を振ると、手を振替してくれた。

娘に会えてよかった。嫌われてなかった。

会わせてくれた元夫に感謝したい。

次に会えるのはいつになるかわからないけど、きっと娘は大丈夫だ。

そう思いながら、夜行バスで東北へ向かったのであった。



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