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はじめてメガネをかけた時の話

早速タイトルと関係ない話で申し訳ないですが、昨日走ったせいで足の皮が少しめくれてしまいました。大した距離じゃなかったはずなのに2ヶ月まともに歩いていないせいで身体は思っていたより影響を受けているらしい。走らないと。。。

良い話をあげると、外出自粛のお陰で肌のターンオーバーには成功したらしく人生の中で今が1番、肌が白い。嬉しいけどちょっと気持ち悪いくらいな気もしてる。

さぁ、そんな話はさておいてタイトルの話をしましょう。昔話ばかりで申し訳ないですが自粛も相まって、メガネをする時間が増えて思い出したのでせっかくなので残しておきたいと思います。

今の私の視力は0.01以下らしい。兎にも角にも悪すぎる、ということしかわからないしあまり正確な数値は自分でも知りません。乱視も混ざってきてしまったのでなかなか分厚いメガネをしています。(写真がうまく上がっていればそれ)

もちろん薄くなる加工をしてはいるけども結構限界らしく、加工した後でもフレームからはみ出てしまう分厚さで割と重い状態。レンズが分厚いので選べないフレームもあるし、長時間かけると耳が痛くなってしまい、とても丸一日はつけられません。

余談ですが、今使っているメガネはミニオンのゴーグルをモチーフにしたもので結構気に入っています。弟とお揃いです。

そう、目が悪いのは恐らく遺伝です。

最初に見えなくなりはじめたのは恐らく小学1年生の終わり頃。その頃は目が悪くなるという概念がよくわからなかったし、視力テストでは当時の私は目的がわかっておらず、再検査にならないように努めていました。あのCの向きが分からないなんて言ったらまずいことはなんとなくわかっていたので前の人の言っているものを暗記したりして答えていました。あとは雰囲気でなんとなく。
無駄な努力の甲斐あって私の目が悪いことは全然バレなかったし、私は2年生になっても空気が霞んでるなぁくらいに思っていて黒板が見えない時は友達に教えてもらったり先生の言っていることを写してなんとかなっていました。あとは雰囲気でなんとなく。

三年生くらいになってやっと親に相談して、眼科に行った。速攻メガネをかけることになってしまった。かけ始める前はすごく嫌だったし、出来るだけ使わないようにしようと決めていましたが、かけてみるとあまりにはっきりと綺麗に見えるもので常にかけていました。

もちろん視力はどんどん下がってしまいましたが。。

案の定、学校ではかけた途端いじられました笑

もうそれはそれはいじられた、今でも忘れません。コナンの決め台詞に私の名前を入れて弄ってきたクラスメイトのことを。

とはいえあんまり傷付くことはありませんでした、だってその子もメガネだったもん。

今思えば仲間ができて嬉しかったのかなぁ、とか思ったりします。

もちろん、からかわれないのが1番ですけどね。

その時の先生がとても優しく良い先生で、色々と配慮してくださったお陰もかなりあったと思います。

きちんと注意してくれたし、わざわざ先生もメガネをかけてくれたりしていました。(私のためかはわかりませんけれど)

とにかく何かあればこの先生ならなんとかしてくれる、という安心感は子供ながら感じていました。

あれ、実は結構いじられてたのかなぁ。笑

個人的にその先生との出会いも私の人生においては大きなイベントで今でもいい思い出ばかりです。素敵な友人とも出会えた時期なのでメガネをかけた程度今になってみると小さな出来事です。

もしコンタクトが作れない世界になったらどうしよう、としょっちゅう思います。

手に入らない状況になることはありえない話ではないと思っているので考え始めるとやっぱりメガネは大切だなぁと改めて感じる日々です。この時代に埋めれたことに感謝しています。

メガネがない時代は目が悪くなるという概念や、共通認識はあったんでしょうか。(Dr.STONEというアニメの中にそんなシーンもありました、個人的に中々面白かったです。興味ある方は是非。)

今でこそありませんが小学生くらいの子どもだと人のメガネとっちゃたり、借りたりしちゃうんですよね。取られた側からすると、死活問題なんですけど伝わらなかったりします。知らないって怖いですね。

同じような時期に松葉杖をついて登校していた時もあったのですが、松葉杖も結構取られました。珍しかったんだとは思いますがまぁ、死活問題ですよね笑

あ、同じくらい気遣ってくれたりする友人はいたので問題はありませんでしたよ。ありがたい!

なんだか暗い話になってしまった気もしますがそんなことはなく、色々な経験ができた小学生時代でした。

この時の私にとってのメガネのような、松葉杖のようなものが、もっと分かりにくい目に見えないものであることもあると思うのです。

例えば家族だったり、仕事だったり、友人であったり、恋人であったり。趣味であることもあると思います。気づかないうちに人からそれらを奪ったり、傷つけたり、侮辱したり、無くしてしまわないように努めたいものです。

相手にとって価値のあるもの、大切なもの、欠かせないもの、心の拠り所であるもの。その逆に相手にとって悲しかったことや、傷ついたこと、恐れていること、思い出したくないこと。それらはきっと想像よりも分かりにくく、また伝えにくいものだと思うから。

私たちには自分から見えた色しか知ることができないけれど、少しでも想像して思いやって生きていけたら素敵ですね。

あれぇ、なんか重たくなってしまった。

とりあえず今日も走れたのでちょっと勉強して、寝ようと思います。明日にはサウナスーツのようなものが届くはずなので来月にはナイスバディ間違いなしですね。楽しみです。

今回は2350文字でした。ではでは、みなさま良い夢を。



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