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恋愛成就のチケット

いきつけの喫茶店に吉岡隆子が訪れるのは決まってウイークデーの昼休みである。リーズナブルなうえに食後のコーヒーまでついたその店の日替わりランチは、隆子にとってのささやかな平日の楽しみであり、午後からの仕事の活力源であるとも言えた。

空いていればいつも指定席にしている窓際の二人掛けの席は、表を行きかう人々のざわめきや、季節の移り変わりを肌で感じ取れるお気に入りの席でもあった。

彼女はその日も正午を回ってすぐの早い時間にやってこれたため、お決まりの席のお決まりの椅子に腰を落ち着け、友人からのLINEの返信をせねばと、足元に置いた手提げかばんに目をやった。するとその時、そのすぐ脇に見覚えがあるひらがな二文字の社名のチケット販売店の封筒が目に飛び込んできた。

おもむろに隆子はその封筒を拾い上げ、店のオーナーでもあるママ裕子が注文を取りに来た時に渡せばいいやとテーブルの隅に置きなおした。

いつ来たのかさえわからない、たまたま隣の席に居合わせた同じ課のお調子者の後輩が、目ざとく封筒を見つけ話しかけてきた。

「センパーイ、なになにそれ、なんかの前売りチケット?」

隆子は毅然とした態度で

「足元に落ちていたから拾っただけよ、他人の忘れ物を一々詮索しなーい」

つい語気を荒くした隆子の言葉に反応して、そそくさと傍らに現れた裕子がチケットを手に取り中を確認すると、正にその日の夜開演が予定されている、誰でもが名前ぐらいは聞き覚えのある大物ロックミュージシャンのプレミアチケットが入れられていた。

御大層にチケットを周りの客に見せびらかしながら裕子は

「うあ~これ隆ちゃんが行きたがってたやつじゃん」

「お店が休みだったら私が行っちゃうところだけどそうもいかないし、一枚だけしか入ってないから隆ちゃん貰っときな、これも神様の思召しよきっと」

「そんな私困ります、まだ落とし主が現れないとも限らない訳だし」

「それもそうね、じゃあ夕方まで預かっておくから、それまでに誰も現れなかったら、ただの紙くずになっちゃう訳だし、帰る時取りにおいで、みんなそれで異論はないわよね」

裕子は強い口調でそのチケットを持ち主が現れなかったら隆子が手にすることがさも当然のことのようなもの言いで周りをけん制した。実をいえば隆子にとってそのチケットは、欲しくてたまらないにも拘らずどうしても手に入れられなかったチケットなのである。

周りの手前、多少気恥ずかしい気持ちで昼食を済ませた隆子ではあったが、知らず知らずのうちに張り切って午後からの仕事のノルマをこなし、素直に裕子から改めてチケットを受け取った。

隆子は、夕方のラッシュ時の人の流れにやきもきしながら、コンサート会場のドーム球場に開演時間ギリギリに到着したにも拘らず、隣の席は未だ空席のままだった。

突然照明が落とされた次の瞬間、地鳴りのような観客の歓声に導かれて代表曲の一つのイントロが流れ始めた時、ふと再び隣の席に目を向けると、同期入社の営業マンの一人である黒田栄二がどうした事かいつの間にか隣りに立っていた。

前の人にすら声が届かない喧騒の中で隆子は、必死になって栄二に呼びかけた

「一体全体どういう事よ、どうしてあんたがここにいるのよ」

声を振り絞って尋ねる隆子に栄二は照れ笑いを浮かべて

「どういう事って、こういうことだよ」

訳の分からぬ返事が返される中、痺れるようなリードギターの演奏が始まるとそれからあとは次々に送り出される名曲の数々にどっぷりとはまり込み、栄二が隣にいることさえ忘れるほどに、隆子は圧倒的な迫力のライブにわが身を忘れた。

アンコールが終わり会場が元の明るさを取り戻した時、ようやく我に返った隆子が思い出したかのように隣の栄二に目を向けると、同じ様に上気した顔で彼がこうつぶやいた

「びっくりさせちゃったね、卑怯な手を使って悪い悪い、実はこれ裕子さんに頼んで一芝居売ってもらったわけよ。何とか隆ちゃんを誘いだす方法はないかって」

隆子は思った

「さすが百戦錬磨の裕子さんよねえ、こんなシチュエーション用意された日にゃ誰だって一コロじゃん」

、今にして思えばこの時こそ、入社当時から結構好印象の栄二と付き合ってみるのも悪くないかと考えた瞬間だった。

「それにしても、告白するだけに五年の歳月を費やした栄二との交際、前途多難な幕開けであることに間違いはなさそうである」

               了

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