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チャンバラ

チャンバラという言葉を最近聞かなくなった。
子供の頃、時代劇なんて高尚な言葉を使う大人は、少なくとも私の周りには見当たらなかった。
向こう三軒両隣の貧乏長屋の親父たちは「今日は錦之助のチャンバラがあるんで、はよう風呂屋へ行っとかんと間に合わんぞ」ってな具合に風呂嫌いの愚息を風呂に入れさせるため、ケツを叩いて銭湯へ送り出したものだった。

当時の庶民の娯楽は、ナイター中継とテレビ映画が双璧だったと行っても過言ではないような気がする、というよりそれぐらいしか楽しみがなかったといったほうが正解かもしれない。
思い返すに、昭和の時代のはな垂れ小僧は、塩化ビニール性の安もんのオモチャの刀を振り回して「赤影参上」とやるのが普通だったが、お前は白影だとか、「だいじょうぶ、がってんがってんしょうち」の青影だとか、酷いときには悪役の金目教しかやらせてもらえない哀れなチビ助も大勢いた。
何を隠そう、正にその一人が自分だった。

近衛十四郎と言う役者がいたのを覚えておいでだろうか? 松方弘樹と目黒佑樹の父親といったほうがわかりやすいのかもしれない。
素浪人月影兵庫、その後放映された花山大吉、おからが好物で緊張するとしゃっくりが止まらない素浪人花山大吉と蜘蛛嫌いの焼津の半次を演じた品川隆二との絶妙な掛け合いは、断片的ではあるが今もなお記憶に残る。
Wikipedia曰く殺陣の迫力、美しさで言えば数ある時代劇スターの中でも近衛は別格らしい。
そして近衛演じる素浪人シリーズは、私の親父も目がなく毎回大笑いで一家揃って楽しんだものだ。

もう一人同じ時代に活躍したチャンバラスターに大友柳太郎がいる。
こちらのほうは、早くから多くの映画で主役を務め、前述の近衛十四郎がどちらかと言えば映画では悪役俳優のイメージが強かったのに対して、髷が似合う押し出しの強い爽やかな演技が売り物の役者だった。
しかしながら、武骨で演技力が少々乏しかった大友柳太郎は、次第に脇役に転じざるを得なくなり、晩年には現代劇にもその活躍の場を見いだし、テレビにも出演したのだが、最期は色々思い悩まれ、自死を遂げられたという悲しいニュースがテレビで告げられた時には驚きを隠せなかった。

悪役を演じた俳優もそれぞれに個性と品格を持ち備えていたことを付け加えるならば、私の中で特に印象に残るのが、月形龍之介の吉良上野介と、後にイメージを一新しておやじ太鼓というホームコメディーでも活躍した進藤英太郎である。
進藤英太郎は、戦前から溝口健二監督作品の多くで脇を務め、その後東映の、時代劇の悪役で独特のキャラクターを演じた一人だが悪代官を演じさせたらこの人の右に出る役者はいないだろう。東映の当時の社長、岡田茂が映画「ジョーズ」を見たとき、この鮫は進藤みたいやなあといった逸話が残っているらしい。

今は本当に便利な時代で、彼らの懐かしい姿をYouTubeで簡単に見ることが可能である。
本体に細長い四脚の足のついた16インチほどしかないダイヤル式の白黒テレビにかじりついて楽しませてもらったチャンバラ

松平健の暴れん坊将軍も、高橋英樹の桃太郎侍も、楽しい作品ではあるが、是非一度近衛十四郎の素浪人シリーズを見られることをお薦めしたい。古き良き昭和という時代を知る意味においても。

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