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源爺物語   園さん?(その3)

ThePoliceのコンサートの思ひで

1980年、アルバム「白いレガッタ」を引っ提げて初来日を果たしたザ・ポリス。言わずと知れたスティングが在籍したイギリスを代表するビッグバンドの一つである。

ROCKにレゲエの要素をふんだんに取り入れ、ホワイトレゲエと呼ばれたその音楽性は、アルバムタイトルの白いレガッタ(白いレゲエ)からもうかがい知ることが出来る。

ネット情報によれば、1980年2月18日愛知県勤労会館でコンサートとあるので正しくその日においらは、ポリスのコンサートの裏方の一人として、このコンサートに立ち会った事になる。まだ当時のポリスはデビュー2年目。ブームに火がつき始めたころで、後からも記述するが、熱狂的なファンはいたものの、超がつくメジャーバンドに躍り出るまでに、更に数年の歳月を要した。この事は、勤労会館はキャパシティーが2000人ほどのホールであったことからも、また名古屋飛ばしと呼ばれた大物外タレの日本公演に習わなかった点からも推察できる。

当時バイトに課せられたメインの仕事は、音響機器の搬入設置、終了後の搬出作業、チケットのもぎり、コンサート開催中の警備と多岐に渡った。そして音楽好きにはたまらない役得の一つが、タレントや外国人スタッフ相手のこまごまとした身の回りの世話だった。たまたまこの日その大役に抜擢されたおいらは、開演前スティング本人が、メロンが食いたいと駄々をこねたため、キョードー名古屋の社員からの「近くのフルーツパーラーを探してメロンを買ってこい」の命令に従った。この話には逸話があり、件のキョードーの社員からは、「いいか?バイト君、間違っても編み目のしっかり入ったマスクメロンなんざ買ってくるでないぞ。あんな奴に食わせるメロンは、チープなプリンスメロンで上等だ」的ニュアンスの厳命を仰せつかったのだった。今そんな話を当のスティング本人が聞こうものなら「もう二度と名古屋なんか行ってやんねー」ぐらいの事を言いそうで怖い。まあスティングには多分日本語は通じないだろうが…

そうこうすったもんだの後、コンサート開演時には、舞台と観客席の間に某大学の応援団員と共に陣取ったおいらは、興味半分で後ろで演奏するポリースの演奏を背中越しに、淡々と聞いていた。実はこの時のおいらは、ポリースの良さもスティングの才能にもさほどの関心を寄せてはいなかったというのが正直なところだった。コンサートが終わりに近づき、一旦舞台に下がったポリースの面々が再び姿を見せ、シングルカットされた当時の代表曲の「ウオーキングオンザムーン」を演奏し始めると、手薄だった二階席でコンサートを見ていた一人のおたんちんの坊やが舞台袖に設えた巨大スピーカーに乗り移り、そこから舞台へ飛び下りてスティングに抱き着くという蛮行におよびゃーがったからたっまたもんじゃない。おいらは即座に某応援団の幹部と一緒に舞台に飛びあがり、おたんチンの首根っこをひっ捕まえて12発のビンタをお見舞いした。そして舞台袖まで引きずり女でございますの後、お説教はキョードースタッフに任せ、事なきを得た訳だが、もし仮にたんちんが、光物でも所持していたら?と思うとぞっとする。

世界に燦然と輝く超一流アーチストは、この世に存在しなかったわけであるから。まさにダコタハウスの二の舞になりかねない状況をおいらは、応援団団長と共に救った正義のヒーローだったんだ。うーん我ながら「あんたは、エライ」とだけ付け加えておこう。

それではサイナラ、サイナラ、サイナラ!    


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