見出し画像

中仙道ぶらり旅 弐

大井宿

中仙道47番目の宿場町大井宿は、岐阜県恵那市にある。そしてここは美濃16宿のなかで1~2を争う大きさの宿場町でもある。その道幅は中仙道随一を誇り、敵の侵入を防ぐための枡形と呼ばれる直角に折れる道の作りは計6ヶ所にも及んだそうである。

全国的に見れば、恵那市と聞いてもピンとこない人がほとんどだろうが、日本百名山の一つ恵那山を有する町?、栗きんとんで有名な町?
いやいやどちらも今一つ認知度に欠けるご当地自慢に他ならない。

ついでに付け加えるなら1957年度制作、映画「青い山脈」の舞台となった町こそ岐阜県恵那市だ!
宝田明、司葉子も訪れた街
これも時代錯誤かw

中山道ひし屋資料館

今回最初に訪れたのは「中山道ひし屋資料館」
江戸時代大井の町の庄屋として栄え、明治以降は金融業、養蚕研究で全国にその名が知られた商家らしい。
館内の展示物でひときわ目を引いたのが、長火鉢、大八車、足踏みミシン

SINGER製とある、ミシンはブラザーだけではない、蛇の目もシンガーも往時はよく見かけたものだった

それに昭和の始め、白物家電の電気冷蔵庫が各家庭に普及する以前に使われていたブロック氷を冷媒として使用する木製の氷冷蔵庫等、ノスタルジックな品々で溢れかえる空間である。

私の記憶が確かなら、足踏みミシンは子供の頃、母が内職で使用していたし、氷冷蔵庫も微かだが生家の土間に設えられていた思い出がある。

中山道広重美術館

次に訪れたのが、JR恵那駅と国道19号線の中間に位置する「中山道広重美術館」だ
当日は開館20周年記念春季特別企画展、「ゆる旅おじさん図譜リターンズ」が開催されていて、浮世絵に描かれた街道を行き来する旅人や町の住人の臨場感あふれる人物描写が数多く見られた。

ここで一つ気になることを述べると、私が子供の頃は歌川広重ではなく安藤広重と授業で習った覚えがある事である。

その経緯(いきさつ)をプラウザを開き調べたところ、安藤は本名、歌川は号、本名と雅号を混同させるのは好ましくないという意味合いから昭和58年頃の教科書以降は歌川広重という呼び名が定着したとのことである。些細なことだがこういった違いの一つ一つが今の若い人とのジェネレーションギャップを感じる要因でもある。

そしてなんと言ってもここのイチオシなのが、浮世絵重ね刷り体験コーナーだ、
当日私が挑戦した作品が
「冨嶽三十六景 凱風快晴」だが、流石に日本画や浮世絵で使われたであろう顔彩や岩絵の具でなく、一般的な現在のインク?を使用するため、当時の作品に比べ色合いがかなり薄めに出来上がる点を除けば、そこそこ納得がいく一枚に仕上げられる楽しみがある。

下の写真が実際の作品である。

残念ながらこうして見比べると、全く別物という事実が判明した。
中山道広重美術館、先に訪れたひし屋資料館で割引券をもらうと150円程度の割引がきく、くれぐれも訪れる順番を間違えないよう注意が必要である。

追伸
恵那での食事は、広重美術館からすぐの、あきん亭のラーメンをお勧めしたい。旨いとか不味いとか言う以前に不思議なラーメンだ。なぜなら出汁の味がわからない。大袈裟に言えば醤油を湯で溶いただけのような味だが、地元では絶大な人気を誇る。屋号の謂れのあきん亭のあきんは、万人受けし、飽きのこない味ののあきんであろう。
ラーメン激戦区の名古屋で生まれ育ったひねくれ者の私には、一回食べればそれで充分な気がしなくもないがはまる人ははまる味なのだろう。
だったら紹介するなよという声が聞こえてきそうで怖いが、物は試し一度ご賞味あれ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?