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命を見つめる③

自分のことが好きになれない人


 自分のことが好きになれない人は多いと思う。
他人と比べて自分は劣っていると考え込んでしまうことは良くある。
人と比較しても仕方がないと頭では理解していながら、我が道を行くのはすごく難しいものである。実際はコンプレックスに押しつぶされそうになり、人を羨む自分自身が嫌になることがある。
筆者の場合、そんな時は、いつも自分に「生きているだけでも大変だ、人生を歩み続けて、生活と生命と人間関係を維持するだけでも莫大なエネルギーの消費が必要だ、生きていることは奇跡であり、自分はよく頑張っている」と自分をほめることにしている。
命を維持して、生活を守り、周囲との人間関係に配慮し、様々なストレスにさらされながら、経済活動(仕事)を続けるのは、みんながやっている当たり前の行為なのだが、実は、当たり前のことではない気がするのである。

大海原をさまよう小さな舟


 世間という大海を自分という小さな舟で乗り越えるのは非常に困難な一大事業である、と筆者は考えるようになった。悲しく辛いことだが、多くの小舟が嵐に巻き込まれ、荒波を乗り越えられずに海の藻屑(もくず)となってしまうものである。誰もが操船(そうせん)が上手い訳ではない。櫂(かい)を握るだけで精一杯だったり、櫂を離さないことしか考えれない人もいるし、操船を誰かに手伝ってもらいながら、大波をかぶり、嵐に耐えながらも生きることを選び、舟を投げ出さずに人生という大海原(おおうなばら)を航海している人も多い。
筆者はそんな小舟に「櫂を離すな、舟を漕ぎつづけるんだ」とは言えない。度々、舟を降りて黄泉(よみ)の国に行く舟に乗りたくなるからである。
誰かに助けてもらっても、駄目な自分であっても他人と比べて許せないコンプレックスだらけの自分であっても、荒波に耐えながら嵐の中にあっても、舟を降りない自分をほめてあげてほしい。

沖縄の地で思う


 冒頭部分でも少し述べたが、筆者は、辛くなると「生きているだけで十分に頑張っている、生きていることは当たり前ではない、何もできなくても良い、他人と比べなくても良い、自分はよく頑張っている」と言い聞かせている。
それでも消えたくなった時は沖縄の
「命(ぬち)どぅ宝(いのちこそたから)」
という言葉を思い出すようにしている。
太平洋戦争で唯一の地上戦を経験した沖縄の先人の方々の言葉は重い。
沖縄の戦跡(せんせき)を巡った時につくづく実感した。南風原(はえばる)の陸軍病院壕やひめゆりの塔に足を運ぶと改めて命の大切さについて考えさせられる。
読者のみなさんも沖縄を訪れた際は是非とも戦跡を訪ねてみてほしい。

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