「合格」
私が、30年間受験生を指導して来られたのは、生徒達が成長し続けてくれたからである。
もう一つ、私は私が『どんくさい』人間だということをよく知っていることも一因だ。
生徒には、早い時期に「行きたい学校」を尋ねることにしている。そうして過去問を手に入れ、10年分程度の過去問に目を通す。目を通すというのとは違うな。実際に10年分の問題を解くのだ。
この作業は私にとっては重要であった。
過去問と真剣に向き合うことで、その学校がどの程度の学力を要求しているのかが分かるからだ。
例えば『開成』。
このお子さんは、国語の偏差値が低く。算数は開成に届くと思われる偏差値に到達していた。
国語だけの指導を望まれたので、不安を感じながら授業をスタートさせた。
半年ほどで、国語の成績は予定のラインに到達した。男子校の国語はさほど難しくはないからだ。
心配だったのは算数の方だ。一般的な模試と開成の算数では傾向が全く違う。偏差値での判断は恐ろしい。
私の考えを、保護者の方にお話しして算数の指導もさせてもらえるようになった。
やはり、心配は的中していた。時期的にはぎりぎりの判断だったと思う。
また、お母さまが私の話に耳を傾けてくださる方であったのも有難いことであった。
ここで、「算数はこれだけの偏差値をとっているのだから大丈夫です。」と言われてしまえば結果は違っていたかもしれない。
今私は、ある会社を通して家庭教師の仕事をいただいているので、時間や日程、単価など自由が利かないが、5年前まで私塾を経営していた時は、時間の制約がなく(補習に関しては授業料の追加はいただいていなかったのだ)自由にスケジュールが組めた。
私の塾では志望校が決まる(途中で変更される方も多いが)と、その生徒ごとに予定を組んでいた。
『2月1日』ゴールは決まっていて動かせないのだから、当然やるべきことも後回しにはできない。
1週間単位で課題を決め、やり残した生徒は補習に入る。
家庭学習を充実させられる生徒は良いが、自宅で様々な誘惑(テレビ、ゲーム、冷蔵庫)に負けてしまう子どもは、塾の隅で宿題をやるようになった。
こうして、私の教室には、土日もなく3時から11時まで生徒の姿が絶えることはなかった。
当然、私も休めなくなる。3人の娘には迷惑をかけたが、娘たちも生徒であった時間が長いので文句は言えなかったろう。
友人には「他にやり方ない?体壊すよ。」とよく言われた。でも、『どんくさい』私の辞書には「要領よく」という言葉がなかったようだ。
塾生は、学校が終わるとすぐにやってくる。まだ、私が上階の自宅にいる時は、インターホンを鳴らして、「先生、早く。」と急かされる。
教室に入ると、すぐに提出物を出してマルつけをせがまれる。
今週の課題を今週中に終わらせるために、生徒たちはすぐに鉛筆を走らせる。
生徒たちは質問も多いが、文句も多かった。
だれが決めたのか、いつの間にか、黒板の右片隅に自分の頭文字を書いて質問の順番待ちをするようになった。
辞書の取り合いになると、すぐに新しい辞書を買いに走った。すると、今度は新しい辞書を取り合う。
「あんたたち、おバカさんだね。辞書は古い方がめくりやすいんだよ。」と言うと、今度は古い方を取り合う。
夏期講習中はよく親御さんからお電話をいただいた。「先生、今生徒何人?」
3時ごろ、差し入れのシュークリームが届く。子ども達は、一斉にお礼を言って、しばしの休憩をとる。
こんな、幸せな空間で25年仕事ができたことを本当に感謝している。
頑張った子ども達は、正当に評価されてほしい。
そんな思いで、『合格』という2文字を目指している。
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