時系列で追う家系ラーメンの歴史
【吉村家直系】
1974年、平和島にあったラーメンショップで修行した吉村実氏が、横浜市磯子区杉田の新杉田駅付近、国道16号に並行する磯子産業道路沿いにラーメン店を開店する。
1982年、荘司敏晴氏が「がんこ亭」を開店する。
1984年、長谷川氏が「長谷川家」を開店する。
1986年、横浜市中区本牧間門に2号店「本牧家」を開店する。神藤隆氏が店長を勤める。ラーメンの方針で吉村氏と対立が生じる。
1988年、「本牧家」の店長だった神藤隆氏が「六角家」を開店する。本牧家から大勢の店員が辞めたことで、吉村氏は本牧家を一時営業停止にし、絶縁関係になったと言われる。また、本牧家は松村春男氏が店主を勤める。一方で、元本牧家従業員で六角家を手伝っていた近藤健一氏が、港北ニュータウンに「横濱家」を開店する。チェーン展開を求めるオーナーの経営方針を見かねて、近藤氏は原祥介氏と「介一家」を開店する。また一方で、この時期に(?)、吉村家で修行した店主が「宝来家」を開店する。
1992年10月、介一家のチェーン展開の経営方針を見かねた近藤氏は、独立し「近藤家」を開店する。
1993年、田平俊文氏が「八正家」を開店させる。
1996年、石川雅之氏が「石川家」を開店する。
1996年4月、庭山哲氏が神奈川県大和市に「大ちゃん」を開店する。
1996年10月、吉村家で修行した店主が「おーくら家」を開店する。
1997年、長谷川家店主・長谷川氏が逝去され、妻である長谷川紀子氏が厨房に立つ。また一方で、この時期に(?)、宮本秋博氏が「わかとら家」を開店する。
1998年11月、吉村家で修行した店主が「ぎょうてん屋」を開店する。その後、支店が展開される。
1999年8月、吉村家との対立が激しくなり、本牧家は閉店。同名の店舗を下永谷に構える。
1999年9月、吉村家は移転のため一時閉店する。津村進氏・石川聡氏が直系1号店として、吉村家の向かいで「杉田家」を開店する。当時、津村夫妻と石川夫妻の2家族経営である。
1999年10月、横浜駅西口で吉村家が再開する。この時期から(?)昼からの営業になる。
2000年3月、「おーくら家 中野店」が開店する。
2000年6月、吉村家で修行した店主が「鳳家」を開店する。
2000年7月、猥褻ビデオを販売目的で所持していた疑いで、吉村氏が逮捕される。
2000年12月、鶴巻孝平氏が下永谷に「環2家」を開店する。下永谷に開店したことは、吉村氏による「本牧家」への嫌がらせとも言われる。杉田家にいた石川氏も厨房に立っている。2001年、石川氏は町田で「ときわ家」を開店する。
2005年に「ときわ家 帝京大学前店」を開店するも、2011年に閉店し、その後消息不明。
2001年ごろ、鈴木雅夫氏が伊勢佐木に「すずき家」を開店する。本牧家出身の「寿々喜家」や壱六家出身の「すずき家」とは無関係である。一方で、「鳳家」が閉店する。
2001年3月、小沢肇氏が「はじめ家」を開店する。
2001年9月、吉村家で修行した店主が「沼津家」を開店する。
2001年11月、吉村家で修行した店主が「1010家(てんてんや)」を開店する。店名は吉村氏が付けた。(閉店時期不明)
2002年8月、「石川家」がスープと具の産地を偽装していたことがニュースに掲載される。スープの原材料に「鹿児島産豚骨」「秋田比内鶏」焼き豚に「霧島産黒豚」といったものだった。当時、県内外に直営店やFC店計14店舗を展開していたが、衰退し、2020年4月現在では大宮店のみ営業している。
2002年10月、「すずき家」が閉店する。
2003年1月、清水裕正氏が「王道家」を開店する。
2003年10月、 内田貴子氏が「まつり家」を開店する。
2004年5月、田仲正人氏が「横横家」を開店する。
2004年12月、吉村家・六角家 羽田店で修行した店主が「麺家 いわい」を開店する。
2005年、「大ちゃん」が閉店する。その後、庭山氏は六角家 船橋店に勤める。一方で、この時期に(?)、本牧家から独立した港家の店主が吉村家で再修行する。当時、吉村家直系の皆伝が貼られていた。
2005年9月、筒井氏が「高松家」を開店する。
2005年11月、吉村実氏の実息である吉村政紀氏が「厚木家」を開店する。
2006年ごろ、「がんこ亭 屏風ヶ浦店」が移転し、「がんこ亭 磯子中原店」として開店する。
2006年1月、「わかとら家」が一時閉店するも、わかとら家で修行していた鈴木明氏が厨房に立ち、3月から再開する。2007年1月、「横浜ラーメン 一心」に改名する。
2007年12月、「八正家」が閉店する。
2009年3月、石平哲也氏が「上越家」を開店する。
2010年10月、「上越家」の接客・ラーメンの質を見かねた吉村氏が上越家を休業させる。11月に再開する。
2011年1月、「杉田家 千葉店」が開店する。オープン当初は津村氏が厨房に立っているが、2012年5月から津村氏の実息が店長を勤める。
2013年7月、末廣良信氏が六角橋に「末廣家」を開店する。六角橋に開店したことは、吉村氏による「六角家」への嫌がらせとも言われる。
2013年8月、「おーくら家 上白根店」が閉店する。
2014年10月、「横横家 仙台店」が開店する。
2015年6月、わかとら家元店主・宮本氏が監修した「ラーメン トライチ」が開店する。
2015年7月、庭山氏が「八家」を開店する。一方で、東京移転のため「横横家 本店」が閉店する。2016年2月に湯島本店が開店するも、導入したセルフ方式が実らず4月に閉店する。
2015年8月、「環2家」が閉店する。9月、川崎の株式会社玉(ぎょく)が店舗を約2億円で購入し、再開店する。
2015年11月、環2家元店主・鶴巻氏が「王道之印」を開店する。一方で、人員不足から「まつり家」が閉店する。2016年11月に内田氏は場所を変え、淡麗系「麺や 一峯」を開店する。2016年4月、まつり家跡地に、2ヶ月ほど勤務経験のある(弟子ではない)元従業員が「藤澤家」を開店する。
2016年2月、「ラーメン トライチ」が閉店する。一方で、「おーくら家 中野店」が閉店する。同店は2015年4月に同じく中野で移転していた。
2017年7月、「王道家」が茨城県取手市へ移転する。2019年10月に再び千葉県柏市にて移転開業する。
2017年10月、「六角家 本店」が閉店する。戸塚店も本店と同じ時期に一時閉店したが、そのままのスタッフと六角家の屋号を使用して営業再開し、戸塚が事実上の本店となる。
2018年1月、「長谷川家」が閉店する。
2018年4月、ぎょうてん屋 厚木総本店が移転し、「ぎょうてん屋 海老名店」として開店する。
2019年6月、「がんこ亭 磯子中原店」が閉店する。店主の体調不良とのこと。
2020年4月、「内田家」が開店する。内田家は「博多一幸舎」とタイで協業しているようで、内田家を支援している。一方で、「石川家 大宮店」が休業し、そのまま閉店する。
※「がんこ亭 屏風ヶ浦店」「おーくら家 上白根店」「1010家 相模大野店」「1010家 町田店」「1010家 大和店」開店時期不明
※「1010家 相模大野店」「1010家 町田店」「1010家 大和店」閉店時期不明
「環2家」はイジメが酷かったため、「横横家」は女性絡みで、「まつり家」はラーメンへの姿勢が悪いため、「王道家」は金儲けに走ったため、吉村氏は直系4店舗を破門としている。(参照)ただ、「まつり家」は破門されたわけではなく、自ら吉村氏の了承を得た上で、家系ラーメンから離れた。
2020年4月現在、杉田家・はじめ家・高松家・厚木家・上越家・末廣家・内田家のみが正式な直系店舗とされ、皆伝の証書が張り出されている。
◉吉村家系譜
※吉村家で修行した店主の店で判断しています。
2020年2月、麺屋庄太店主・下里庄太氏が逝去されました。
【王道家】
2003年1月、清水裕正氏が「王道家」を開店する。
2007年9月、王道家で修行した店主が京都に「紫蔵」を開店する。
2011年3月、「紫蔵」が閉店し、10月に同じく京都で再開する。
2012年8月、「王道」が開店する。
2014年1月、王道家で修行した代田将悟氏が「とらきち家」を開店する。一方で、王道家で修行した店主が「熊田家」を開店する。
2014年10月、王道家で修行した店主が「田上家」を開店する。
2015年8月、「環2家」が閉店するが、川崎の株式会社玉(ぎょく)が店舗を約2億円で購入し、再オープンする。
2015年11月、環2家元店主・鶴巻氏は「王道之印」を開店する。同店は王道家グループ傘下となる。
2016年3月、王道家で修行した上野辰也氏が「たつ家」を開店する。
2017年5月、王道家で修行した石井陽介氏が「王道 いしい」を開店する。
2017年7月、「王道家 本店」が茨城県取手市へ移転する。
2017年9月、王道家で修行した店主が「クックら」を開店する。
2018年8月、王道之印で修行した林氏が「稲葉家」を開店する。
2019年7月、王道家で修行した(?)信末広大氏が「薫風家」を開店する。
2019年10月、「王道家」が再び千葉県柏市で開店する。
2019年11月、「宗八」が王道家グループ傘下となり、新装開店する。
2020年1月、「王道いしい 市原五井店」が開店する。
2020年3月、「王道」が新装開店のため閉店する。「神道家」として新装開店する。
◉王道家系譜
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