「娑婆に出る」vol.6

という訳で、初めてN部長(技術開発系の部署)を離れ、新事業のグループに配属されました。
入社6年目のことです。そろそろ三十路も近付いてきて会社から真の貢献を求められる頃です。

このグループは社長直轄で、グループ長(復活したMさん!)、技術顧問以下、技術系、営業系が数名ずつという布陣です。
まだ売上も立たないのでもちろん小所帯ですが、今考えればこの段階(うまく行くかどうか全くわからない段階)でよくこれだけ投資したなと思います。
決して守りに入らないこういうチャレンジングな姿勢が大好きでした。自らが入社以来5年間も技術開発の部署に置いてもらったということなどさておき、Mさん、Kさん達が築き上げたチャレンジする社風が魅力的でした。
それは学卒で社会に飛び出した自分を見ているようでもありました。
「失うものは何もない」と振り返ることなく前進する姿勢がそこにありました。

ただ一点気になっていたのはトップの存在です。
「社長直轄グループ」と書きましたが、創業社長のKさんが勇退し、メインバンクから社長が派遣されてきたのです。
「なんでメガバンクの副頭取まで務めた俺がこんな会社に」というのが顔に太文字で書いてあるような社長に社員がついていくはずがありません。

そんな中、10人にも満たない小グループが荒波に漕ぎ出していきました。

最初のホットトピックは前年に業務提携した欧州G社でのイニシャルトレーニングです。
同グループの先輩エンジニアKさん、前の部署のN先輩、そして私の3名が選抜されました。
N国の首都Aからざっと一時間ほど南下した都市HにG社のヘッドオフィスがありました。G社では概ね1名1室、ペーペーでも2名1室というオフィスレイアウトに「羨ましいなぁ......」と心底思ったのを記憶しています。ならば、外資系企業に飛び出す気概があるかというと当時の私には皆無でしたが。。

なお、これまで「私の最大の武器は英語」などと偉そうに散々書いてきましたが、実はこれが私の最初の海外出張でした。
という訳で、日本語のない環境で過ごしたことが実は人生において一度もなかったのです。
それがこんなに苦しいことだとは思ってもみませんでした。(そしてオッサン化した今ではなんの苦もないのですが。。)

G社が組んでくれた2週間のプログラムは座学と実習がうまく組み合わさった素晴らしいものでした。
ですが、連日にわたる英語のスピーキングとリスニング。最初はそんなに苦にならなかったのですが、真綿で締められるようにジワジワと効いてきました。。。
なので、「こんな食事した」とか「〇〇を観光した」とかほとんど覚えてないです。
貴重な体験をしたのは事実ですが、苦い思い出の部類に入るのも事実。プレッシャーの連続でした。
ラスト3日間くらいは先輩ふたりから「あと少しだ、がんばれ!!」と励まされる始末。
なんか、中学校の遠泳のときに沖で急に泳げなくなり、ひとりだけみんなと別の短いルートに切り替えた挙句、先にゴールしたみんなから「hello!くん、頑張れ!」と応援されたことを思い出しました。。。

恥ずかしいやら、情けないやら・・・

そんなスタートでしたが、「形上」は当初の目論見どおり進んでいきました。

ですが、現場は苦しみの毎日でした。
まず仕事が取れない。
営業部隊は産業機械の営業さんです。畑違いの分野での営業、しかも売りとなる技術が未確立の状態ではセールスのしようがないと心中ぼやいていたと思います。この辺り、なぜ売れないのかもっと子細に書きたいところですがこの辺に留めます。
そして技術陣は技術陣で、今までとまったく異なる専門性が必要に。ベテランのKさんを持ってしても確たる自信を持って「やれます」とは言い切れない状況。
また前年先んじてスタートしたメンバーとの軋轢も生じてきました。根は深いのですが、これも赤裸々にするのは控えましょう。何となく魔女狩り的な感じの状況にも近いものがあり、自社リソースの狭い中ですべての世界が完結してしまっているようなそんな感じでした。要は、業界他社と戦っていない感じがしていました。おそらくまだ舞台に上れていなかったんですね、我々は。

新しいことを始めるってなかなかうまくいかないものです。

一方で、もうひとつの社長直轄グループは俄然絶好調。こちらも新分野ですが、産業装置。技術も営業も土地勘のあるところです。言ってしまえば我々が得意とする「モノ売り」。営業成績にも当然差が出ます。社長の見る目も明らかに違います。

陰と陽

私達も頑張ってはいたのですよ。ある案件では当時国内で屈指の会社と一騎打ちをさせられる羽目になり、G社のコンサルタントと一緒に戦って勝利を挙げたこともありました。ですが、プレゼンで勝っても仕事を取れるわけではないという難しい世界でした。
ただでさえレッドオーシャン。実績で劣る我々がどうゼロからイチにし、イチをジュウ、ヒャクにしていくのか、厳しい日々が続きました。

そんな中、いつ頃か、グループ発足後1年くらいしたときでしょうか。
衝撃的な事件が起きます。
どういう形で伝えられたかすら忘れました。
先輩エンジニアと私の2名以外、全員「左遷」となりました。異動ではなく左遷。グループ会社への出向、転籍などなど。
もういい加減待ちきれなかった社長が決断したのでしょう。ほぼ総入れ替えです。
こうやって、ただでさえ知見のある者が少ない当グループはまた素人集団に戻された訳です。

さすがの私も堪忍袋の尾が切れました。
従業員の社会人人生をちゃんと考えているのか。
真の原因を追究せずにクビを挿げ替える新社長の横暴が許せなかった。
この辺りから、私が社会に対して牙を剥きはじめます。

(続く)

P.S.どうも疲れ気味。進展が乏しいのに文字数が多くてすみません・・・。

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