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「トライアングル」その4

連載ファンタジー小説     
       わたしはだれ?    
        

     
   第十章 風の中へ

「ここ一両日は何も起こらないだろうから、当番はいつもどおりにするよ。さあ非番の者はさっさと寝ておくれ」
ばぁばに追い立てられたものの、ダフネは毛布にくるまったまま船窓から夜空を見てみた。
細い月の銀色の光がうっすらと砂漠を照らしている。

(この砂漠のむこうにフラリアがある。でも本当にあるのかしら?あの店の人はもう何年もフラリア人は来てないっていってたし、もし国がなくなっていたら・・)

ダフネはしだいに広がってくる不安を頭を強くふって断ち切り、ぎゅっと目を閉じて羊の数をかぞえはじめた。
一匹、二匹と数えるうちに増えていく羊が不安の影を消し、やがてぐっすりと寝入ってしまった。
そんなダフネが寝息をたてはじめたころ、サラダッテはそっと起き上がり、操舵室に入っていった。

「サスーラ」

ばぁばがふりかえった。

「サラダッテ、あんたは今、寝ている時間だよ」

「なんだか目が覚めちゃって・・・。ねぇサスーラ、ききたいことがあるの」

「この歳になると一度目が覚めたら、もう眠れなくなるだろ?しかたがないねぇ、いいよ、なんでもきいておくれ。ああ、その前に眠気覚ましのコーヒーを一杯いれてきてくれないかい?」

五分もすると、両手にコーヒーカップを持ったサラダッテがもどってきた。ばぁばは、コーヒーをひと口飲んでサラダッテにきいた。

「で、なにがききたいんだい?」

「ねえサスーラ、あなた、どうしてフラリアに行く気になったの?私はダフネのためだけとは思えないけれど・・」

「あはははっ」

ばぁばが大笑いしたので、手にもっていたマグカップからコーヒーが少しこぼれた、

「さすが長年の友だね。そうさ、もちろんダフネのこともあるけれど、最初はこの旅で私が書く話のネタを見つけようと思っていたんだ。でもね、今は後悔してるよ」

「後悔?どうして?」

「あんたも知ってるように、私は今まで世界中を旅して、恐ろしい所や危険な所だって数え切れないほど行ったよ。だから秘境っていわれるフラリアだって、私だったら簡単に入国してみせる、なんてばかみたいにお気楽に考えていたのさ。
けどね、この旅はそんなに甘くなかった。へたをすると乗組員全員の命の危険さえあることがわかったんだ。だから舵をとりながら、そんな危険をおかしてでもフラリアにいく必要があるのか、もう引き返したほうがいいんじゃないかって何度も自問したんだよ」

「でも引き返しはしない、でしょ?」
ばぁばの目が笑っている。

「本当に何もかもお見通しだね。そうさ、フラリアの話が出るたびに切なそうな顔をしているダフネを見ていたら、私のことはもういい、ただあの子には絶対にフラリアを見せてやるって決めたんだ。
このわがままがこれからは先、みんなを危険な目にあわせるかもしれない。けどね、あんたたちの命はなにがあっても守ってみせるから、サラダッテ、私を許しておくれ」

サラダッテは舵を握っているばぁばの手の上に、そっと自分の手を重ねた。

「この年になると死ぬことなんて全然恐くはないわ。だから私のことは心配しないで。でもね、サスーラ、これだけは約束して。なにかあったら、まっ先にダフネの命を守るって。あの子の人生はまだ始まったばかりですもの」

「サラダッテ」

ばぁぁは舵から手を離し、サラダッテの頬に自分の頬を寄せた。

「さぁ操縦はわたしがするからサスーラは、今から寝てちょうだい。明日になると、次はいつ眠れるかわからないわ。もしかしたら、ずっと眠れない日を続けるかもしれないわね」

「それだけは願い下げだね」

ばぁばは笑いながら自分のベットに入っていった。

それからどれだけ眠り続けただろうか?
「ばぁば、起きて」

ダフネの声で、ばぁばは目を覚ました。

「どうしたんだい?」

「サラダッテが、すぐ来てって」

ばぁばが急いで操舵室に入ると、そこにはトンデンじいさんとカンタンもいた。

「なにかあったのかい?」

ばぁばがきくと、カンタンが前方を指さした。

「ほらずっと向こうがかすんでるだろ?あれって砂嵐だよな?」

ばぁばがじっと目を凝らして見てみると、飛行船の前方が一面灰色にかすんでいた。

「あんなところまで風が来てるのかい?フラリアはもっとずっと先のはずだろ」

しばらくの間、だれも口をきくことができなかったが、その間にも飛行船は砂嵐に向かって進んでいた。

「どうする?エンジンを止めるか?」

トンデンじいさんが、ごくりとつばを飲み込んだ。

「スピードを落として、もう少し近くまで行ってみることにするよ」

「よしわかった。おいカンタン、エンジンをローに落とせ」

エンジン音が小さくなり、ゆっくりと前進する飛行船に、風で飛び散る砂がパチッパチッと当たり始めた。
ゴゥゥゥォー、すさまじい風音が聞え、ダフネは思わず両手で耳を覆った。

「エンジン停止。船は定位置を維持」

ばぁばが叫び、カンタンがエンジンを止めた。それなのに飛行船は、砂嵐に向かって少しずつ進んでいた。

「おい、船は動いてるぞ」

トンデンじいさんが叫んだ。

「引きずりこまれてる。サラダッテ、帆をぜんぶたたみこんでおくれ。カンタン、エンジン全開で後退するんだ」

ばぁばが舵をしっかりと握りながら命令すると、すぐに大きなエンジン音が響き始めた。サラダッテとトンデンじいさんが、上部甲板に出ようと戸を開けたとたんゴォォォー、とものすごい音を立てて風が船内に入ってきた。
バサバサバサーッ、ガチャァーン、地図が、マグカップが、ありとあらゆるものが床に散らばった。

「戸を、戸を閉めて」

カンタンが力をふりしぼって開いた戸を押しもどしたそのとき、飛行船が大きく傾いた。
「みんな、何かにつかまるんだよ」

ばぁばが叫んだが、おそかった。
サラダッテが、ダフネが、トンデンじいさんが、ゴンと鈍い音をたてて壁にぶつかった。

「こんちきしょーっ」

戸のノブをにつかまって、かろうじて転倒をふせいだカンタンは、よろけながら舵にしがみついているばぁばのところまで行き、舵を左に回そうとした。
ギギギッー、飛行船がきしみ始めた。

「早く、早く船を風から離すんだよ!」

「わかってるって!」

ばぁばとカンタンが力をあわせても舵はもどらず、飛行船は砂嵐の中に引きずり込まれていった。
強烈な風が飛行船をこわそうとしている。周りは灰色で何も見えない。
バリッ、バリバリバリー、外壁が風にもぎ取られていく。

「ちきしょう、ちきしょう、ちきしょう。もどれ、もどれったら!」

カンタンが舵にしがみつきながらわめいている。
ドガッシャーン、ドン。マストが折れた。バリッ、ガチャーン、メリメリメリッ。
いたるところで何かが割れたり、こわれたりする音がした。
右に左に、木の葉のように大きく揺れる船の中をよろめきながらミラクルが操舵室に入ってきた。

ニャーオとミラクルは鳴いて、とん、と飛行船の前方を見下ろす窓枠に座った。
「ミラクル危ない、こっちにおいで」

ミラクルを抱こうとダフネがなんとか立ち上がると、目の前の船窓にビシビシッと音を立てて砂があたってくるのが見えた。
幾万もの灰色の筋が飛行船に向かってくる。ダフネは思わず目を閉じた。
ニャオン、せかすよう鳴いて、ミラクルはツツツと窓枠を歩き始めた。

「ミラクル、だめだってば」


 
         第十一章  風の道

薄目を開けてミラクルのあとを追うダフネの耳の奥で「右、右」とささやく声がきえてきた。

右?右がどうしたの?
ダフネは、右を見た。

窓の右端に何か白いものが見える。おそるおそる両目をあけてみると、吹きつけてくる灰色の風を断ち切るような白い風の筋があった。

「ばぁば、あそこっ!」

もうろうとした意識の中でも舵にしがみついていたばぁばは、ダフネの声で我にかえった。

「えっ、何?何だって?」

「ばぁば、右を見て」

ばぁばは、身を乗り出すようにしてダフネが指さす方向を見た。

「これは・・・カンタン、サラダッテ、船をあの白い筋まで進めるよ!」

ばぁばが叫んだ。

「えっ、どこにだって?」

「ほら、あそこよ」

ダフネがカンタンに教えた。

「サラダッテ、トンデンじいさん、なにしてるんだい?早く手伝っておくれ!」

ばぁばが呼んでも返事がない。
おかしい、どうしたんだろう?ダフネは後ろをふりむいた

「きゃぁーー」

ダフネが、悲鳴をあげた。 

「どうしたんだい?」

舵にしがみつきながらばぁばとカンタンも後ろを見ると、床に落ちた雑多な物に埋もれるようにサラダッテとトンデンじいさんが倒れていた。
二人はびくとも動かない。
ダフネが傾いた床をはいずってなんとかサラダッテのところまでいってみると、両手に血がべったりとついた。
いそいでサラダッテの上半身を起こすと、その頭はがくんと人形のようにたおれ、額から流れた血が白い髪をまっかに染めている。
 
「サラダッテ!ばあば、サラダッテが・・・」
 
「ダフネ、泣くんじゃない。シーツを破って、傷をしばるんだ」
 
ばあばが叫んだが、ダフネは恐怖で体が動かなかった。
 
「ダフネ、しっかりおし!」
 
ギギギーッ、船が大きな音をたてて、またきしみ始めた。

「ええいっ、そんな方には行かせないよ!カンタン、私ら二人で船をあそこまで進めるんだ。できるね?」

「おう、あたぼうよ。今こそカンタンさまのバカ力の見せどきだ。ウオォォー」
大声をあげて、カンタンは舵を右に回そうとした。
バリバリバリッ、向かってくる風に横板をそぎ落とされながら飛行船は少しずつ進路を右によせていった。

「もう少し・・もう少しだよ」
 
まっ赤な顔をしたばぁばとカンタンの額からは、玉のような汗が流れ落ちている。
バリッン、上部甲板の天井がとばされ、その瞬間今まで抵抗していた力がはずれたかのように、飛行船がぐいっと右に曲がり、白い筋のような風の道に入っていった。
 
ふーっと、ばぁばは息を吐き、額の汗をぬぐった。
 
「よし、入った。さーて次はどうなるかねぇ」
 
白い風の中に入り、いったんは川を流れるように進んでいた飛行船が、ガクンと失速し始めた。
 
「おい、今度はどうなったんだ?」
 
いったんは手をはなした舵に、カンタンはまたしがみついた。
 
「もうこの船はだめだ、飛ぶことができんないんだよ」
 
「一難去ったらまた一難かよ。じゃあおれたちは、これからどうするんだ?」
 
「カンタン、あんたはトンデンじいさんをたのむよ。ダフネ、ダフネしっかりおし」
 
ばぁばは、サラダッテの横に座り込み泣きじゃくっているダフネの頬を軽くたたいた。
 
「いいかい、よくおきき。船はもうすぐ落ちるから、おまえは何かにしっかりとつかまっているんだよ」
 
「サラダッテは?サラダッテはどうするの?」
 
「何かするにも、もう時間がない。ダフネ、サラダッテを片手でつかんでいられるかい?」
 
ダフネはうなずき、右手でサラダッテの太いベルトを、そして左手でしっかりと操舵室に取り付けられた金具をつかんだとたん、飛行船は大きく揺れ、下へ下へと落下し始めた。
 
「ええいっ、そう簡単にやられないよっ!」
 
ばぁばはエンジンをとめ、次にナイフで錘の縄を切ってこれを船外に投げ捨てたが、落下の速度を落とすことはできなかった。
ぎらぎらと異様に光ったミラクルの目が、ダフネを見ている。
 
「ああっ、もうだめだ。落ちるよっ!ダフネ、カンタン、しっかりつかまってるんだ!」
 
ばぁばが叫んでいる。
船尾を下にして、飛行船がものすごいスピードで落ちていく。
ガラガラガラッ、ガッシャン。あらゆるものが床をころがりながら船尾に流れていった。
ダフネは、ずり落ちていくサラダッテの体を必死になってつかんでいた。金具をつかんでいるもう一方の手がしびれて、感覚がなくなっていく。
 
ズゥゥン。何かにぶつかる鈍い音をききながら、ダフネの意識はしだいに遠退いていった。
 
 
 
 
           第十二章 ここはどこ?
 
 
「ダフネ、ダフネ。しっかりおし」
 
だれかが呼んでいる。
うっすらと開けたダフネの目に、ぼんやりと人の顔が見えた。
 
「ダフネ、気がついたかい?」
 
目の前に、心配そうにのぞきこんだばぁばの顔があった。
 
「ばぁば」
 
「よしよし、もう大丈夫だからね」
 
ダフネが抱きつくと、ばぁばはやさしくダフネの頭をなでてくれた。
「サラダッテは?カンタンは?トンデンじいさんは?」
 
「ほら、みんな無事だよ」
 
ばぁばの横には、頭に包帯を巻いたサラダッテと、おでこに大きな絆創膏を貼ったトンデンじいさん、そしてカンタンがいた。
 
「サラダッテ、無事だったのね・・・。よかった」
 
「ごめんねダフネ、ずいぶん心配したでしょ?私ときたら、舟が大変だったのになんの役にもたたなかったわ」
 
「まあまあ、けがはしたけどみんな無事だったから、それがなによりだよ。それより、ここはどこだろうねえ?」
 
「船が嵐にあった場所から推察すると、フラリアの近くだと思うけど・・・」
 
ばぁばとサラダッテは、床に落ちていた地図を広げた。
 
「地図なんか見てるより、このほうが早いって」
 
カンタンは、飛行船のドアをドンと足でけって外に出た。
 
「おい、きてみろよ。街がみえるぜ」
 
カンタンにつづいて外に出ようとしたダフネを、ばぁばが呼び止めた。
 
「ねえダフネ、砂嵐に引きずりこまれていた時、おまえは右って叫んだだろ?どうして右に白い風道があることがわかったんだい?」
 
そのことばでダフネは、ばぁばでもサラダッテでも、カンタンでも、ましてやトンデンじいさんでもないあの声を思い出した。
 
「ばぁば、ばぁば」
 
ダフネの細い体が、ぶるぶると震えている。
 
「こんなに震えて・・・、ああ、よしよし。話たくないのなら、今は無理に話さなくてもいいんだよ」
 
「ばぁば、私、きこえたの・・・、あれは風の声よ。あの声、とっても・・・とっても悲しそうだった。でもどこからきたのかはわからないの」
 
「風の声だって?」
 
 サラダッテと顔を見合わせたばぁばは、もっとくわしく風の話をききたかったけれども、青白い顔をして震えているダフネを見て、これをあきらめた。
 
「いいんだよ、無理して話さなくても。さあ、もうそのことは忘れて、ほらカンタンが待ってるよ、外に出てごらん」
 
ダフネは、ばあぁにぎゅっと抱きついてから飛行船から出ていった。
 
「でも、おかしいわねえ。あの子は、どうして風の道が見えたのかしら?」
 
ダフネの後姿を見ながらサラダッテがつぶやいた。
「ああ、それにダフネがきいたという声・・・」
 
「フラリアの民は、風の民。ダフネがきいたのが風の声だとしたら・・・、やっぱりあの子はフラリアの子なのかしら?」
 
 ばぁばは、サラダッテに返事をせず、じっと考え込んでいた。
 
「おーい、サスーラ、サラダッテ、なにやってるんだ?はやく出てこいよー」
 
カンタンに続いて外に出たトンデンじいさんが呼んでいる。
 
「とにかく今はどこに落ちたのか確認するほうが先だね」
 
ばぁばは一つ息を吐いてから、外に出ていった。
 

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