「トライアングル」その1
連載ファンタジー小説
わたしはだれ?
第一章 ダフネ
「ばぁば、三月になったわ。今日から私の名前はダフネね」
思いつめた顔をしてテーブルのまわりを歩き回っていたばぁばは、顔をあげた。
「おや、もう月が変わったかい?これでおまえが来てから十二回目の三月になるね」
「ねえ、ばぁば。私が来たときのこと、もう一度話して」
「これまでに何度も話してあげただろ。それなのに、また聞きたいのかい?」
「うん、おねがい」
ばぁばが窓を開けると、今が盛りと咲く水仙の甘い香りが部屋の中に漂ってきた。
「私とサラダッテが飛行船雲の波号で世界中を旅していた時のことだよ。おまえも知っているように植物学者のサラダッテは珍しい種を集めていたし、私は私で行く所々で不思議な話を聞いたり、変わった風習をみるのが大好きだったから、ありとあらゆる所にいったものさ。
そうだねえ、あれはちょうど、トイデ峠を越えた頃だったかねぇ。雲の波号の前を小さな木の舟が飛んでいたんだ。
飛行船じゃないんだよ。小さな小さなボートみたいなものにプロペラがついているだけ。世界中を旅していた私だって、そんな船を見たことは一度もなかった。サラダッテだってそうさ。
とにかく、どうしてこんなものが空を飛んでいるのか調べようと思ってね、まず私が雲の波号をその舟に近づけてから、サラダッテが先端に鉤のついた長い棒でこれを引き寄せたんだ。それから小さな舟の中をのぞいてみると、そこにはなんとピンク色の毛布に包まれた赤ん坊がいたじゃないか。
その赤ん坊は、あんなに寒い夜空を飛んでいたのにとっても元気でね、私たちを見るとうれしそうににっこりと笑ってくれたんだよ」
「それが私だったのね?」
「そうさ」
「ねえ、私はどこから来たの?」
「わからないんだよ。おまえがどこから来たのか知る手がかりでもないかと、舟の中をすみずみまで調べてみたけれど、見つかったのは種が入った小さな灰色の紙箱だけ。
その種だって、特別変わった色や形でもしていたらなんとかなっただろうけど、どこにでもあるような黒い種だったからねえ。
小さな船だって解体してもっとよく調べようと思ったのに、少し手を離したすきに雲の波号から離れて飛んでいってしまったんだ」
「それで、ばぁばとサラダッテはどうしたの?」
「私達は、せめて名前だけでもわからないかと、おまえを包んでいた毛布の裏も表もそれこそ小さなシミさえ見逃さないようにしっかりと見てみたけれど、こっちの方もイニシャルひとつついていなかったんだよ」
このピンク色の毛布は、今でもばぁばのタンスのいちばん奥に大事にしまわれている。
「それでね、とにかく私が空から拾ったこの名無しの赤ん坊に名前だけでもつけようとしたら、サラダッテが、この子の本当の名前がわかるまで、あの十二ヶ月の子守歌のように、月ごとに名前を変えてあげたらっていったのさ。ほら、サラダッテはなんにでも花の名前をつけるのが好きだろ?
私もあのときは、すぐにおまえの素性がわかると思って深く考えもせずにこの案にのったけれど、結局わからないまま、もう十二年もたってしまったね」
「一月から十二月まで花の名前がついている子守唄は、私も大好き。今日からは、香り高き花ダフネの三月よ」
ダフネは出窓にこしかけて、小さな声で子守唄を歌いだした。
「だれか来るわ。今はまだ丘のむこうぐらいね」
ダフネの歌が止み、その目は開かれた窓のずっと先を見ていた。
「あいかわらず耳がいいねえ。風の音がこんなにするのに、どうしてわかるんだい?」
「風が吹いている時の方がよくわかるのよ」
第二章 サラダッテの手紙
ダフネのことばは、ばぁばの耳には届かなかった。
やがて、玄関のベルの音に続いて「郵便だよ」と呼ぶ声が聞こえ、ダフネはぶ厚い封筒を受けとった。
「ばぁば、サラダッテから手紙よ。ねえ早く読んで」
ばぁばはカモミールの香りがする封筒を開け、声をだして読み始めた。
【サスーラそれに・・・この手紙が届く頃はもう三月になっているだろうからダフネ、元気ですか?
私の方は、あいかわらず植物の世話が大変で病気をする暇もありません。ねえサスーラ、ダフネがあなたのところに来てから、もう十二年もたつのね。月日がたつのは本当に速いわ。
十二才になったダフネは、とってもすてきな女の子になっているでしょうね。
もう何年も会っていないから、どんなふうに変わったか今度会うときがとても楽しみです。
さて私がこの手紙を書いたのは、こんな近況報告じゃなくって、とても素晴らしいことがおきたからなの。これを読んだら驚くわよ。
それには、まず我が家の状況から知らせなくてはいけません。
この屋敷は、あなたが知っているとおり、建ってからずいぶん年月がたっているのであちらこちらが痛みはじめているのです。
もちろん私は、髪の毛こそまっ白になったけれど、ガタなんかきていませんよ。
でもね、家の方は雨もりはするし、床はギシギシとうなるので、この際大改築することにしたの。それにはまずガラクタを片づけてと思って、屋根裏部屋から始めることにしたのよ。
さて、ここからがこの手紙の核心部分。私が屋根裏部屋に通じるドアを開けると、ホコリとカビの匂いのほかに緑の匂いもしたの。
薄暗い屋根裏に大切な植物を置くはずはないし、でも確かに植物が芽を出すときのあの独特の匂いなのよ。
私、鼻をくんくんさせてこの匂いのもとをさがしたわ。
ガラクタをあっちに動かし、こっちに動かししてね。そしてついにアケビのツルで編んだカゴの中で犯人を発見したの。
この犯人、あなたも見覚えがあると思うわ。
石鹸箱ぐらいの灰色の紙箱。どう?思い出した?ほら、ダフネの木の舟に入っていたあの箱よ。
あの種はね、雲の波号を降りてから、この家に引っ越すまでのごたごたでなくしてしまったと思ったのだけれど、こんなところにあったのよ。
雨もりのおかげで水滴が箱に落ち、湿った種は長い眠りから目をさましたというわけ。
なんだかすごくドラマチックでしょ?芽は全部で十本出ていたのです。
私はそれを植木蜂に移植して、温室で大事に大事に育てました。
それなのに生き残ったのは、たったの一本だけ。でもね、その最後の一本に先週つぼみがついたのです。
私は、どんな花が咲くのかわくわくして待ったのよ。
この気持ちわかるかしら?
さて昨日のお昼のことです。温室でこの鉢に水をあげていたその時、うす緑色のガクがはじけて、ゆっくりとつぼみが開き始めました。
サスーラ、あなたはどんな花が咲いたと思う?】
ばぁばは、ほんの少し手紙を読むことを中断したが、すぐにまた読み始めた。
【私の目の前で咲いたのは、絹のようになめらかで光沢のある花びらが、貴婦人のドレスのように何層にも重なったとてもきれいな花だったのです。そしてね、驚くことに、その花の色が冬の空のようにまじりっけのない青だったのよ。
こんな花、あなたは見たことある?
私は、この花を一度だけ見たことがあります。覚えているかしら?私、ずっと以前に植物学の権威者であるリーフ教授の助手をしていたでしょ。
そのとき秘境と呼ばれていたフラリアにいくチャンスがあったのですが、ここで、まさにこの青い花、ブルーフェアリーを見たのよ。
この花はね、フラリアでしか咲くことができないのです。
種や苗を持ち帰って大事に育てても、けっして他の土地では咲かないといわれたブルーフェアリー。
この花が私の温室で咲いた。ダフネと一緒にあった種。
あなたはこの現象から何かを感じない?そう、ブルーフェアリーがダフネの出生の手がかりになると思いませんか?
私は、なにかがおきそうで胸がドキドキしています】
手紙は、ここで終わっていた。
「フラリアってどこにあるの?」
ダフネはすぐにきいた。
「おまえの小さな舟を見つけた場所は、ずっと砂漠が続いていてね、その砂漠の先に高い尾根がそびえ、その尾根を超えたところにフラリアはあったのさ。
謎が多い国だったから、私とサラダッテはぜひとも行ってみたいと思ったけれど、ちょうど内戦が始まったばかりで、とても行ける状態じゃあなかったんだよ。だからフラリアについては、なんにもわからないんだ」
「ねえばぁば、フラリアにしか咲かない花の種が私といっしょにあったのだから、もしかしたら私はフラりア人かもしれないね?」
「まぁその可能性は、なきにしてあらずだね」
秘境フラリア。ダフネは、サラダッテの手紙が心の奥にずっと隠していたものを解き放したように感じ、その夜は一睡もできなかった。
そしてこの手紙は、ばぁばをも眠らせなかったのだ。
第三章 私はだれ?
翌朝赤い目をしておきてきたダフネを見て、ばぁばは心配そうにきいた。
「どうしたんだい?どこか具合でも悪いのかい?」
ダフネは首を横にふったものの、テーブルに並べられた食べ物に手をつけなかった。
「ばぁば、あのね・・・」
「なんだい?」
「ほら・・・、サラダッテの手紙に書いてあったでしょ?私がフラリアで生まれたのかもしれないって」
「ああ、確かにそう書いてあったね」
「あのね・・・、私ね・・・」
ダフネは気持ちが高ぶってしまい、もうなにもいえなくなってしまった。
ばぁばは席をたって、ダフネの細い体をそっと抱きしめた。
「さぁさ、落ち着いて。胸の中にたまっていることを全部吐き出してごらん。」
ダフネは、ばぁばの胸にじっと顔をうずめていたが、しばらくすると話し始めた。
「私、ずっと私はだれ?どこで生まれたのって思っていたの。でも、何の手がかりもなかったっし、それになんだかばぁばに悪くって、そんな思いをおしころしていたのよ。
でも、でもね、サラダッテの手紙で、その手がかりが見つかったでしょ?だから・・・」
「それを手がかりにフラリアに行ってみたいのかい?そして自分がフラリア人かどうか確かめたいのかい?」
「もちろんそれもあるけど・・・ねぇばぁば、私は小さな船に乗せられて空を飛んでいたんでしょ?そんなふうに逃がされたのは、もしかしたら私がフラリアの王女様だったからじゃない?」
「フラリアの王女だって?」
これをきいてばぁばは少し笑ったけれど、すぐにダフネをじっと見つめた。
「ダフネ、いつかはきちんとしなくてはいけないと思いながらも、今日まで来てしまったね。おまえの気持ちも考えずに、毎月名前を変えるなんてことをしていた私を許しておくれ」
「ばぁば・・・」
「いいかいダフネ、これから私がいうことは、おまえにとってつらいことかもしれないけれどきいてくれるかい?」
こくん、とダフネはうなずいた。
「さっきおまえもいったように、サラダッテはブルーフェアリーの花が、おまえの出生の手がかりになるんじゃないかと書いてきた。あの手紙からすると、おまえはフラリア人かもしれない。
でもね、もしかしたら、ちがうかもしれないんだよ。それに、もしあの国に行ったとしても、もうお前の両親はいないかもしれないし、それどころか何もわからないかもしれないんだよ」
ダフネはそんなことは考えもしなかったので、泣きそうな顔をしてばぁばを見た。
「ああわたしはひどいことをいってるよ。けどね、おまえを空で拾った時、あの国は内戦状態だったし、それがどんな規模で、それから先はどうなったかは全然わらないんだ。だから、今いったように最悪の可能性もあるんだよ。それでもおまえはフラリアに行きたいのかい?どんなことでもうけとめる覚悟はあるのかい?」
ばぁばのことばをじっときいていたダフネは、ふるえる声でいった。
「それでも私は行きたい」
そんなダフネを見て、ばぁばはサラダッテからの手紙をもう一度読み直してみた。
この手紙はなにかの手がかり、いいやチャンスかもしれない。そう、ダフネとこの私のね。フ
ラリアに行けばダフネのことが少しはわかるし、私は謎の国フラリアのことが書ける。うん、このチャンスを逃がす手はないね。ひとりうなずいて、ばぁばは決心した。
「ダフネ、フラリアに行こう」
「本当、ばぁば?」
「ああ本当だとも。さあ、そうと決めたら善は急げだ。やることが山ほどあるよ。きっとサラダッテも行きたいだろうから手紙を書いて、ああそうだ。まず飛行船をまた飛べるようにしないと
いけないね。ダフネ、すぐにトンデンじいさんを呼んできておくれ」
「わかった。すぐに行くわ」
ダフネは、いつものようにしっかりと帽子をかぶってトンデンじいさんのガレージに向かった。
トンデンじいさんは、雲の波号の機関士として、ばぁばやサラダッテと一緒に旅をしてきた。
どんなに激しい雨が降ろうとも、どんなに強い風が吹こうとも、この飛行船がトラブルをおこすことなく飛び続けられたのは、機関士として素晴らしい腕を持ったじいさんのおかげだった。
ダフネは林を抜け、トンデンじいさんとじいさんの甥のカンタンがいろいろな物を修理しているガレージまで走った。
ダンダンと鉄板を打ちつける音やドリルをまわす音が、ガレージの外まで響いている。
「トンデンじいさん」
「ようダフネ」
「トンデンじいさん。ばぁばが呼んでるの。すぐ来て」
「サスーラが、おれを呼んでるって?一体なんの用だい?」
「また旅に出るから雲の波号を整備しにきてくださいって」
「また旅に出る?」
トンデンじいさんが、にやっと笑った。
「そうか、また雲の波号で空を飛ぶのか。よし、すぐに行く。おれがちょっと手をいれてやれば元のようにどこだって飛んでいけるぞ。おいカンタン、出かけるからな、おまえは、これをちゃんと修理しておくんだぞ」
「ちょ、ちょっと待った」
「なんだ?これぐらいの修理、おまえ一人でできるだろ?」
「そんなこといってるんじゃないよ。なあじいさん、その旅、おれも連れてってくれよ」
「おまえもだって?まだ半人前のくせして、なにいってやがる。おまえはな、ここに残ってガラクタの修理をしていればいいんだよ」
「おれはもう三十で、機械をいじくる腕だって一人前だ。こんなよぼよぼのじいさんより、おれの方がよっぽど役にたつって。なあダフネ、飛行船には、誰が乗るんだ?」
カンタンは、ダフネにきいた。
「ばぁばと私と、サラダッテ。サラダッテっていうのは、ばぁばの昔からの友達なの」
「へぇ、髪の毛がまっ白になったばあさん二人に女の子かい?こんなメンバーでなにかあったらどうするんだ?だれが助けるんだ?ほら、おれの腕っぷしを見てみろ」
こういってカンタンが右腕にぐっと力をいれると、その腕に大きな力こぶができた。
「旅には、こんな力持ちの男が必要だって。ちびのよぼよぼじいさんじゃあ、ボルト一つきつくしめられないしな」
「な、なにいってやがる!わしはまだ、おまえなんかに負けはしないぞ」
トンデンじいさんとカンタンは、火花が散りそうな勢いでにらみあっていた。
「もうっ、お願いだからケンカなんかしないで。ねえトンデンじいさん、カンタンを連れていくかどうかは、ばぁばに聞いてみたら?」
ダフネがこういうと、トンデンじいさんはフンと鼻をならした。
「よし。おまえを連れていくかどうかサスーラにきいてやる。けどな、サスーラがダメだといったら、おまえはここでおとなしく待ってるんだぞ。わかったな?」
これでこの場はなんとかおさまり、とにかく三人で白フクロウ屋敷に行くことにした。
「なあダフネ、サスーラはどこに行くつもりなんだい?」
手に持った工具箱をガチャガチャ鳴らしながら、トンデンじいさんがきいた。
「フラリアよ」
「フラリアって、どこにあるんだ?」
カンタンがきくと、ダフネの代わりにトンデンじいさんが答えた。
「ここよりもっと南のいくつもの山を越えた所にある小さな国さ。わしらも前に行こうとしたけど、国中で大暴動がおこってな、とっても行ける状態じゃあなかったんだ。あのごたごたはもう終わったのか?まだ危ないんじゃないか?そんな所にサスーラは、どうして行きたいんだ?」
眉間にしわを寄せてトンデンじいさんがきいてきたので、ダフネはきのう届いたサラダッテの手紙のこと、そして自分が本当の名前を知りたいと思っていたことを話した。
「名前を知るっていうのは、そんなに大事なことか?おれは、名前なんていうものは、ただの呼び名にすぎないからどうでもいいと思うがねえ」
「う・・ん、カンタンのいうとおりかもしれない。名前ってただの呼び名、でも、私は知りたいの。本当の名前を誰がどんな思いでつけたのかを。ばぁばは、フラリアがどうなっているかわからないけれど、それでもおまえは行きたいのかいって聞いてくれた。だから、私は答えたの。行きたいって。でも・・・、そんなに危険なところに行きたいなんていったらダメだったのね」
すっかりしょげかえったダフネを見て、トンデンじいさんはあわててしまった。
「あー、うー、あのなダフネ。フラリアの戦争はもう終わったんじゃないかな、ほら、あれからもう十二年もたつしな」
トンデンじいさんのこのことばに少しなぐさめられたダフネは、顔を上げた。
「フラリアに行っても、大丈夫?」
「まっ、なにがあっても、このカンタンさまがいるから安心しろ。とにかく、あの豪傑ばあさんが行くっていったのなら大丈夫だって」
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