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ストレスに耐えられない体を作ろう!

何のために耐えているのか知る

私たちが生きていく上で、忍耐や我慢が必要な場面はたくさんあります。好きなことを仕事にしたとしても、それと同等かそれ以上に大変なことが多いことも、、、。まるで私たちの人生はそれら忍耐が当たり前のように存在しています。しかし本当にその忍耐は必要でしょうか?自分自身にとって本当に必要不可欠であると言えるでしょうか?

私たちは目標を掲げて仕事に打ち込みます。好きなことを仕事にする人は充実感を求め、お金を集めたい人はお金をたくさん稼ぐことを目標にします。どちらが良いという話ではありません。その目標を達成する上で必要な忍耐をしているかどうかが重要なのです。

仏教の教えに十二因縁(無明、行、織、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死)というものがあります。これは無明から始まって生老病死で終わることを表しています。生まれてきた時から死は決まったことです。なぜ死ぬのか?生まれたからです。この絶対の法則を変えることはできません。死にたくないというのであれば方法は1つ。生まれないことです。でもそんなことはどうやっても無理ですね。つまり受け入れるという作業が必要になってきます。「死ぬのが嫌だ」ではなく死ぬことが決まっている。それを受け入れるのです。これはとてつもなく難しいことです。

仏教では来世も現在と同じ「私」は生まれないと言います。だとすれば今この瞬間は2度とない。その2度とない一瞬をいかに穏やかに生きるかを説いているわけです。仕事も同じですね。何の仕事であっても、仕事以外にも人間関係でも、始めるから終わりがあり、軌道に乗るときも乗らない時もある。良いも悪いもない、ただの因果があるだけなのです。全てを受け入れて、軌道に乗っている時もそうでない時も穏やかに努めなさいということです。

しかしそう単純にいかないのが人間で、他の動物より賢いことが裏目になって余計な概念に捉われる特徴があります。その特徴が、今の自分と未来の自分の間に矛盾を生み、苦しみを作っているのです。先ほど書いたように、今この瞬間は2度と戻りません。

成功や失敗などは他の誰かと比べた時に認知できる相対的な視点です。寒いと認知できるのはそれ以上に暖かい状態を知っているからです。本当に知るということは寒いことをそのまま寒いと受け入れることです。そうすることによって比較が消えるので寒いという状態と共に生きることができます。「ああ寒い。いやだ。いやだ」というのは寒さを認知しているが受け入れていない状態を指します。これが人間が今の自分と未来の自分の間に矛盾を生み、苦しみを作っている構図です。

つまり物事を受け入れない限り、嫌なことを回避する方法はありません。始めた以上は嫌なことは起きます。そして全く同じ未来は無いので、同じ嫌なことも今しか起きません。これは楽しいことも同じです。つまり嫌なことでも、どんな事象であっても、貴重な時間であり必然の出来事です。

仏教の世界はとてつもない奥深さで、誰にでも理解できるわけではありません。それに毎日朝から晩まで座禅を組んで生きていける人はあまりいないでしょう。しかし生きていく上で活用できるヒントはたくさんあります。次章からは、ストレスに耐えられない体を作ることでストレスからの脱却を図る方法を紹介します。

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