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「気にしすぎだよ」、祈りの言葉の暴力から必死に我を守りたい話_20240718

 「気にしすぎだよ」という言葉を気軽に使ってほしくない時の素直な気持ち

今日はそんなことを思ったので、ここに書いてみます。

1. 多くは目的は励ましや祈りの意図

私がこの言葉受け取った多くの場面では、
主に励ましの言葉として使われてきたと理解してる。
もしかしたら、いつかのわたしも誰かにそう言ったことがあるだろう。
特別な言葉なんかではないし、言わないでくれとお願いする方がわがままなんだと思う。むしろ気にかけてくれてありがとうと私も思うことができる。

目の前のあなたがそんなに辛い思いをする必要はないのだから
私はあなたに気持ちを楽にもってほしいのです。

そんな祈りを手短に唱える時の、おまじないのような言葉
God bless youのようなものだと頭では重々承知した上で、
いちばんきついときはこの言葉がきつい。

2. なぜこの言葉がきついのか(個人の感想です)

私個人としては
気にしすぎであることを自覚していて
気にしすぎていることが問題なのですと状況によっては相手に伝え、
すでに過去からコツコツと考えすぎを適切にセーブするため日々試行錯誤をしていて
少しずつ改善してると信じながらも
まだまだいわゆる気にしすぎの状態に陥っている。
そんな状況だから。

無数に浮かびゆく、仮に108の考えたちを
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ
肩で息を切らしながらようやく40まで減らした段階で、
やっと身動きが取れるようになって
やっと悩みを打ち明けられるようになったところで
「普通3個ぐらいだよね。3なら簡単でしょ!」と言われる気分のような。

例えば晩御飯何食べたい?と聞いて
「簡単でいいよ、パスタとか。」のように返事が来たとしたら
「パスタだって十分手間かかるだろうがよ」とモヤっとしちゃう気持ちのような。

徐々にアクセル踏んで30km出すより、トップスピード100kmから急ブレーキ踏んで30kmに合わせる方が心臓に悪いような。

長年のテーマ、「『気にしすぎない』とは」がまだ本当につかめなくて
私の中では今のところは「無数に浮かびゆく考えたちの中から、おそらくたしからしいものを選んで残して他を捨てる作業」のイメージに近いです。

でも、捨てたり手放したりする作業って
作ったり買ってきたりするよりもしんどい。
全部捨てていいんだったら楽なことはないけど
妥当なものだけ残す確認作業をしながらだから。
買う時よりも捨てる時が大変なこと多くないですか?
結婚よりも離婚の方がパワーかかりませんか?

気にしすぎだって本人が気づいてなかったら、
気にしすぎであることが苦しいのにその努力を放棄しているとしたら、
とてもありがたい言葉。

そうじゃなくても、どう転んでも基本的にありがたい言葉で
嗚咽の中でありがたい部分に注目して、
でも正直「ありがとうで受け取らねばマインド」に苦しむ。

3. この言葉を言われちゃった時の心境


ありがとうに着目しようと努力すると同時に
正直、言葉の暴力として突き刺さってくる。

言われるたびに一度しっかり突き刺さった肉感をリアルに感じてしまった上で、
「だいじょうぶだいじょうぶ、祈りの言葉だから意味はないんだから。
 落ち着いて。」と自分に言い聞かせてる。
突き刺さったものを自分で抜く。
これがつらいです。相手に悪意がないも余計つらい。

いいことどころか、当人にとってあなたは残酷なことを言っただなんて
一生気づいてほしくもない。
(それでいて、言ってほしくないだなんて矛盾しているけど、その人とその後も末長く付き合いたい気持ちが小さいから、気づいてほしくない。昨日わたしが覚えたての言葉でいうところの「共感性羞恥」もそこに見え隠れしてる?)

4. 別の言葉に置き換わる世界線は無いのか?

でもここまで書いて思った。毎回言われるたびに、わざわざ気にしすぎだよの言葉を再解釈する間の時間帯が本当につらいので、別の言葉を割り当てることで、時短したい。

「気にしすぎだよ」の代わりに、「God Bless you」みたいな
別の祈りの決め台詞が台頭したらいいのではないか。

なかなかうまく思いつかないが、
「気にしすぎだよ」と同じ文字数くらいで唱えられる
語呂がよくてあたりさわりのない祈りの言葉よ。

気にしすぎだよの言葉の本質は
相手が辛さから解放されることを切にねがってやみませんという
親切な隣人の祈りなのだと仮定して。

5. 暫定策「南無阿弥陀仏」に置き換える

あまり当てはまる言葉が思い浮かばないながら、
気にしすぎだよと言われたら、暫定的に
「南無阿弥陀仏(と唱えてくれて)ありがとう。」という定型文にしてみる。

たぶん意味合いとして違うのだと思うけど、
ここではバイブスとしての南無阿弥陀仏ということに。

これは私が先日、怪談和尚 三木大雲さんの怪談説法イベントに参加した際、三木大雲さんからその言葉の意味を教えてもらったので今とても言いたいおまじないの言葉だから。(仏教について詳しく存じ上げなくて申し訳ないです。)

今後どこかで出くわした時、
今日よりも軽症で済みますように。

God Bless Youでもいいんだけどね。

おしまい

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