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【ネタバレ注意】「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を見て感じたこと

1.はじめに

 本記事には、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のネタバレを大いに含みます。また、筆者の個人的な解釈や主観に基づき感想を展開していますので、苦手な方や本編未視聴の方はブラウザバックを推奨いたします。
 また、非常に長文かつ拙文につきご注意ください。
 あと、皆さんがシンエヴァを見て感じたこと、ぜひ教えてください。他の人から見たエヴァンゲリオンシリーズとシンエヴァ、それがどういったものなのか、非常に気になるのです。








2.上映初日を迎えるまでに

 筆者は、25年という四半世紀にも亘って展開されたエヴァンゲリオンシリーズをリアルタイム視聴していたわけではありません。25年前というと、この世に生も受けていません。そういった点では、長い歴史を持つエヴァンゲリオンシリーズに触れた期間はそう長くなく、実際本腰を入れて本編の理解や考察などに力を入れ始めたのはシン・エヴァンゲリオン劇場版の公開が迫るここ最近の出来事でした。

 はじめは「残酷な天使のテーゼ」という今ではレジェンド級の知名度を誇るアニソンがOPテーマであるアニメ作品の一つだという印象のみ持っていました。中学生のころに一度TVシリーズを履修しようと視聴を試みたものの、筆者の感受性や理解力の低さからか、途中で視聴を取りやめてしまった記憶があります。結局、TVシリーズ・旧劇場版・新劇場版のアニメシリーズを見終えたのは大学生になってからのことであり、言ってしまえばにわかもいいところという具合。

 2021年に入ってから、今一度「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」に向て一気見して今日3月8日を迎えた次第です。
 大学生ともなるとある程度に理解力もつき、またミサトさんと加持さんの関係のようなオトナの世界にも共感できる年齢になったこともあって、エヴァンゲリオンシリーズの魅力の虜となったわけです。

3.上映初日の様子

 筆者はにわかオタクなりにも、上映初日の初回上映には観劇したいという気持ちを携えて3月4日の24:00からパソコンとスマホの二台体制でチケット争奪戦に参戦。といっても川崎のチネチッタでの観劇予定だったため、比較的スムーズにチケットを獲得。これまでの新劇場版の理解度からも一回の視聴では物足りないだろうという懸念から7:00~と10:15~の2連続で鑑賞することに。

 朝、2度寝をかまし軽く焦ったものの余裕をもって到着。月曜日の朝7:00にもかかわらず、溢れかえるほどの人の多さにびっくりしたものです。
 上映開始前のグッズショップにはすでに列が形成されており、上映後にパンフレット入手できるかどうかの焦燥感。在庫は十分すぎるくらいだったのか、列の待ち時間は長かったものの無事入手できました。
 とにかく、エヴァンゲリオンシリーズのその人気ぶりを肌身で感じ、ただただすげぇなと。


4.本編の概要と感想(各シーンごと)

※ここからネタバレを含んだ感想になります。

 「これまでのヱヴァンゲリヲン新劇場版と冒頭12分10秒10コマ部分」

 序・破・Qのダイジェストの後、パリ勝ち込み作戦の描写。こちらは前日の配信を見ていたため、流れを知っている人も多いと思いますが、やはり劇場での巨大なスクリーンと音響設備で見ると断然違って見えてくるものですね。
 マリのエヴァ操縦シーンで、ハンドルを右に切るシーンと対44A第4波でのバックで運転するときのようなハンドル操作、めちゃくちゃ好き。

 アンチLシステムの復旧でパリ旧市街エリアの復元でユーロネルフの機能が復帰するときのいつものBGMでテンションが上がり、タイトルが表示されたところで、いよいよシン・エヴァンゲリオン劇場版が始まり、これでエヴァンゲリオンが終わってしまうのかという感慨が一気になだれ込んできましたね。

 「第3村」

 コア化した街並みを歩くシンジ・アスカ・アヤナミレイ(仮称)が映し出され、自動販売機にもたれかかるシンジが写ってアスカのセリフを皮切りに本篇がいよいよスタートという感じでしたが、ここで一瞬シンジが死んでしまったのではないかと思いましたね。
 いろんな考察を見漁ってたからか、別人のシンジが出てくるパターンじゃないか、クローンのシンジが出てくるのではないか、とか色々頭の中で想像を掻き立てていました。ま、死んでなかったわけですが。最初は防護服の人物がケンスケとはわかりませんでしたね。

 その後回収された3人がたどりつく第3村、ニアサードインパクト後の生き残ったトウジやケンスケなどの同級生たちが暮らす村なわけですが、Qでトウジの学生服が出てくるシーンはここでミスリードだったんだなという感想と共にホッと一安心している自分がいましたね。トウジと委員長がくっついていたことも非常に自分の中では思い描いていた通りだったので、純粋に嬉しさがあります。ただ、アスカとケンスケのカップリングはなかなかに意外、というかショックでしたね。個人的な感想です。

 とまあ、その後第3村での日々が描かれるわけですが、シンジは相変わらず心ここにあらず、DSSチョーカーがトラウマでゲボり、アスカにレーションを詰め込まれて一人海辺で他人との関わりを拒絶していきます。
 対してアヤナミレイ(仮称)は村の人たちのとの関わりを通して、人としての振る舞い方を覚えていきます。最期は笑顔を見せるほどにまで打ち解けるわけですが、これらのシーンに疾走感はなく、緩やかに流れていく柔らかな印象でした。コア化した地表の中、アンチLシステムによって免れた第3村の人々の力強さも感じながらも、アヤナミレイ(仮称)を取り巻く温かな環境の中で描かれる彼女の可愛さに思わずこちらがポカポカするのですが、やはり肝心のシンジが心神喪失のままで、ヤキモキもしてくるのが正直なところでした。
 第3村でのアスカとアヤナミレイ(仮称)のやり取りの中で、アヤナミシリーズはシンジに対して好意を持つよう設計されていると明かされますが、アヤナミレイ(仮称)はそれでもかまわないと。その後、シンジに優しくする理由を「好きだから」と明かし、シンジの精神状態が回復するわけですが、ここの描写、少し急展開すぎるかなとも感じ取れました。あれだけ他を拒絶していたシンジが破において自分が助けたレイとは別のアヤナミレイ(仮称)からの「好きだから」の一言で、吹っ切れる。シンジは優しくされる理由を好意のみで納得できてしまったのかという一点で、あれだけ惨たらしく散ったカヲル君を見て失った精神の均衡はその程度だったのか、という意地悪な感情を抱いてしまったのも事実です。
 それはさておき、回復したシンジを連れてケンスケはとある人物にシンジを会わせるわけですが、加持さんとミサトさんの息子とは!びっくりしましたね、ちゃんと二人に似てたね。後に二人で撮った写真が出てくるんですが、そこでのシンジの笑顔、眩しいのなんの。あれだけ病んでたのが嘘みたいで。ここもちょっとひっかかりポイント。

 とまあ、その後アヤナミレイ(仮称)との別れをもって第3村でのシーンは終わり、ヴンダーに帰投するアスカに伴ってシンジもヴンダーに搭乗。というシーンに移ります。「ツバメをもっと抱っこしたかった」というセリフ、彼女の精神的な成長を見れて非常に感動しましたね。

「AAAヴンダー、南極爆心地におけるネルフ本部強襲作戦」

 フォースインパクトの不可逆的阻止のため、南極のセカンドインパクト爆心地に向かうネルフを追うヴィレ一行。
 この出撃前のアスカとシンジのやりとりが、まあ良いんだわ。Qにおいて、なぜアスカがシンジを殴りたかったのか、その答えをシンジが考えて答える、大人へと成長していくシンジに過去の好意を告げるアスカ、しかしながらも「私の方が先に大人になってしまった」と14年間という長い時間の隔たりを埋めるには至らない......
 くっ!!!ってなって、胸が締め付けられる感じだよ。

 セカンドインパクト爆心地に到着したヴィレ、冬月の操るヴンダー同型艦3隻との航空戦、L結界を破って出てくるとことかかっこいいし、戦略的に引けを取らない冬月の年の功とも呼べるような挟撃など、普通にバトルアクションとして手に汗握る興奮はありましたね。
 ともあれ何とか13号機の再起動を防ぐために出撃したアスカとマリだが、インフィニティの大群やらともみくちゃ、ここもアスカとマリの叫びが良いね、個人的にアスカの戦闘中の咆哮っていうのかな、命燃やしてる感じめっちゃ好きなんすよ。
 しかーし、当然再起動阻止ができないのがエヴァって感じよね。阻まれる強制停止プラグ、使徒化してなお再起動を阻止しようとするアスカ、それがゲンドウの狙いだったとは!!と書いてはいるけど、この辺よくわからん。使徒化だったり、疑似シン化だったり、どれに該当するのか、フォースインパクトのトリガー自体もよくわかってない筆者です。
 ともあれ、アスカは13号機にエントリープラグごとかみ砕かれ、13号機の再起動阻止は失敗、ヴンダーも乗っ取られ、フォースインパクトが始まる...

「ここから怒涛の???ラッシュ」

 ヴンダー甲板に表れる碇ゲンドウ。ゲンドウの身に何が起こっているかのネタ晴らしになるわけだが、結局ネブカドネザルの鍵って何だったんだろうね...リツコの容赦ない射撃に脳髄垂れ流すゲンドウ、それを拾って頭に戻すのはどうなんだ??
 撃たれまくるものの、ヴンダー主機になっていた初号機を回収し、13号機に乗り込むゲンドウ。呼びかけるシンジだったが、そのまま去るゲンドウ。
 フォースインパクトは引き起こされ、主機の初号機を失い、マイナス宇宙に去る13号機を追うことができないヴィレ一行。そこでシンジが初号機への搭乗を志願、そこに銃を構えるミドリ。
 ヴンダークルーと元ネルフメンバーとの間でのシンジに対する想いの違いからくる不満の爆発だったのかなと思いながらも、ここでサクラの「シンジは恩人で敵」というジレンマの中で、「けがだったら痛い思いで済む」って優しさがにじみ出ているところがね、良いよねって。
 でもって、ここでシンジの搭乗を認めるミサトのセリフよ。やっぱりミサトさんはシンジの味方だったんだなって...ここ涙腺に来るポイント。

 マリと共に8号機に搭乗し、マイナス宇宙に飛び込むシンジ。マイナス宇宙で意気揚々と量子テレポートを繰り返す13号機はシュールすぎて笑えたよ。
 ここからどんどんわからなくなっていく。「...綾波」と8号機のエントリープラグ内から声をかけると初号機のエントリープラグ内につながるワームホールができたり、この辺から情報の応酬が始まってくる。
 ボサボサに伸びた髪の綾波、シンジがエヴァに乗らなくて済むようにという破のセリフを回収したのち、操縦を代わるシンジ。
 初号機起動。Qで0だったはずのシンジのエヴァとのシンクロ率、「ゼロに限りなく近い数値...無限大!」いきなりの厨二感に躓いてしまったものの、再起動時の初号機左腕再生シーンとかはかっこいいんよね...
 ここでの綾波は破でシンジが救い出した綾波で間違いないと思う。多分、誰もが見たらそう思うだろうしね。んで、少し話は戻って、アスカの髪をマリが切るってシーンがあるんだけど、エヴァの呪縛で体は成長しないのに髪だけは伸びるっていうアスカのセリフにマリが「髪がアスカが人間だって証」って言ってた。だから、ただの量産される綾波シリーズではなく、しっかりとこの綾波もヒトだって言えるんじゃないかななんて思ったり。ただの時間経過描写かもしれないけどね。

 さて、無事起動した初号機は13号機と相見えるわけですが、取っ組み合ってマイナス宇宙を落ちていく。そして出てくるゴルゴダオブジェクト。
 (・・? ナンソレ

 取っ組み合って落ちていったと思ったら、いきなり序でよく見た病室にシーンが移動。初めて初号機に乗った時の描写を交えて、LCLが我々の知能では認知できないマイナス宇宙を映し出しているとのこと。ふむ、わからん。
 どうやらシンジは初号機で13号機に対抗する模様、一歩を踏み出したところで予告編にもあったぬるぬる動く初号機と13号機の戦っていたあの場所に舞台が変わる。
 初号機と13号機がぶつかる最中、13号機の持つ2本のうち1本の槍を初号機が手にすると、その形状が変化、ロンギヌスの槍はカシウスの槍へと変貌を遂げる。もうこの時点で理屈を理解することはできないと諦め、純粋に「おおー!」という語彙力皆無の単純明快な感情起伏に身を任せて視聴していたよ...
 とまあ、初号機と13号機が街中(LCLが映し出した心象世界みたいなものなのかな?)で戦うわけですが、なんとも周りの家屋や車やらの吹っ飛び方がチープ、空の広がりも感じられないような背景に違和感があったわけですよ...CGのクオリティのバラつきなのか、なんてガッカリしてしまいましたが、ちゃんとここも表現としての意味があったんですね。特撮スタジオのようなセットだという表現だったのです。これは痺れましたね。13号機に投げ飛ばされる初号機は第三新東京市の建造物をなぎ倒しながらぶっ飛び、空の描かれた布地がかかった壁に激突、奥行きが感じられないのもこのためだったわけですね。東宝と書かれた箱馬が散乱していたりもして、いよいよ世界感がわからなくなってきました。
 その後、槍がぶつかり合うたびに舞台は場所を変え、ミサトのマンションのリビングや学校の教室、綾波の暮らしていた部屋、第3村などなど。
 ここで、シンジは13号機と初号機の動きがシンクロしていることに気づく。ゲンドウ曰、13号機は”絶望”、初号機は”希望”。そんでもって、暴力や力では解決しないと。ということでシンジは父ゲンドウと会話を望みます。すると2体のエヴァが戦う描写から、ネルフのあのやたら天井が低い指令室にシンジとゲンドウの二人が映し出され、その後ゲンドウがシンジに見せたいものがあると言い場面が切り替わる。
 「黒いリリス」シンジがそういうと、お前にはそう映るのか、とゲンドウ(我々もスクリーンを通して見えた描写は黒いリリス。どうやらゲンドウには違うように見えているのかも?)
 どうやらこれは「エヴァンゲリオンイマジナリー」というらしい。
 (´・ω・`) フム,ソウナノカ
 またも知らない単語のご登場で、そんでもってゲンドウはこのゴルゴダオブジェクトでしか起こせないアディショナルインパクトを起こすらしい。これまたわからん。
 ただ、旧劇場版でも出てきたように、ATフィールドの存在しないユイと再び会うため、というゲンドウの目的自体は変わっていない模様。
 見進めていくうちに混迷を極めていく自分の脳内、TVシリーズや旧劇場版を見ていた時のようなあの感覚が少し蘇ったようにも感じ、「私はいまエヴァンゲリオンを見ている!」と改めて知覚するには十分すぎるほどの展開です。

 このあたりから、碇ゲンドウの回想。ゲンドウの過去は大学時代のわずかな描写しかなかったわけだけど、ここでは幼少期からの心理描写までを描いていた。言い方を選ばず一言でいえば、陰キャ告白のようなもので、他の人間との接触が苦手だったと。しかしユイと出会い、ありのままの自分を認めてくれる存在のおかげで変わったと。だからこそ、失った時の反動が大きく、孤独を求めていた以前とは異なり、孤独を恐れるようになったと。
 シンジの持っていたウォークマンもゲンドウが外界との遮断のために用いていたという親子そろっての孤独愛好家ぶり。でも、この描写でゲンドウの人間らしい一面を垣間見ることができ、一応理解の範疇ではあった。

 ところ変わって、ヴンダーに場面は移る。エヴァンゲリオンイマジナリーがマイナス宇宙からぬるりと出てくるシーン、リリスの仮面が外れるとそこにはやけにリアルに描かれた綾波の顔。旧劇場版を彷彿とさせる。
 で、この辺駆け足気味に槍を生成するという展開になります。でもって槍をシンジに届けるために、ヴンダーに一人残り、単身特攻を仕掛けるミサト。ここで髪を下したミサトさんを見ることができて非常に満足だった。Qでは冷たい声色で接していた裏腹でシンジのことを案じていたことや、シンジを送り出すときの母のような優しさを見て、そしてリョウジ少年と母子の関係を気づくことはできず、「お母さんこれしかあなたにできなかった」というセリフ。TVシリーズや序・破を見ているときはお姉さんとして見ていたミサトさんの母なる一面を見て、槍をシンジに届けヴンダーと共に爆散するシーンは泣いたわ。

 ミサトの決死の覚悟で作られた3本目の槍「ガイウスの槍」=「ヴィレの槍」、シンジは槍と一緒にミサトの想いを受け取る。それを見てゲンドウは「人の死と思いを受け取ることができるようになったのか、大人になったな」と声をかける。そして、シンジの中にユイを見つけ、いつもの心象世界の列車から降りる。
 ここでカヲル君登場。「ここからは僕が引き継ぐよ」という言葉に「アスカやみんなを救いたい」というシンジ。シンジをイマジナリーではなく、リアリティーの中で立ち直っていたと評するカヲル。

「みんなの答え合わせ」

 ここからアスカの回想。一人でいいように強くあろうとしていたアスカ。しかし、どこかで自分を認めてくれる存在が欲しかった。いつもアスカが持つパペットの着ぐるみがアスカの頭をなでる。頭を外すとケンスケ。
「アスカはアスカだ。それだけで十分さ」
と声をかける。
 アスカの過去、壮絶すぎると感じる中で、象徴的な攻撃的な態度や高い自尊心の理由が手に取るようにわかるようで、それでもアスカに対して簡単に「わかるよ」なんて言うことは自分には絶対できないという想いがこみあげてくるようでした。ケンスケのセリフも至ってシンプル、だけれどもなかなか言えないようなセリフだと思うんですよ。ニアサードインパクト後の14年間、アスカとケンスケの間に一体どんな時間が流れたのか、それを知ることはできないし、だからこそ、私はアスカがこのケンスケの言葉で救われたであろうことを否定することはできません。ケンスケに対する意外感は否めませんが。
 回想が終わると、旧劇場版を彷彿させる海岸で横たわるアスカと、体育座りをするシンジ。
「ありがとう、僕を好きだと言ってくれて。僕もアスカ好きだったよ」
 そう、LASは確かにそこにあったのだ。

 カヲル君のターン。ここではカヲルのシンジへの想いの紐解きがされていった。シンジにだけは幸せになってほしいという想いを持ち続けていたカヲル。しかし、ここで加持さんの登場、シンジを幸せにすることで自分が幸せになりたいことだったと気付かされる。ここでの会話はシンジの成長を感じられるような会話だった。
「泣かないのかいシンジ君」
「涙で救えるのは自分だけだ」
 あれだけ泣きわめいていたシンジが嘘のように思えるほどの成長具合。カヲルの寂しい気持ちもよくわかる。
 加持さんに渚指令と呼ばれるカヲル。なぜここで指令となっているのか、その辺はまったくもってわからない。
 ”渚”、「最後のシ者」の文字遊びだと思っていたら、渚は海と陸のはざま、第1の使徒であり第13の使徒となり、人類のはざまを紡ぐカヲルらしい名前だ、という加持さんの分析も「ほおー」ってなった。
 と、加持さんと渚指令の二人が畑道を歩く後ろ姿を見送るようにカメラが引いていくとシャッターが下り、初号機と13号機が戦っていたスタジオにシーンは移る。

 「残っているのは君だけだ、綾波」
 髪の伸びた綾波、その手には”ツバメ”とシールが張られたあかちゃん人形が抱かれていた。ここでアヤナミシリーズの個体間でのつながりがあるのか?なんて色々思ったけど、野暮だなと。綾波は綾波だ、ってシンジが別れ際に言ったように、その通りなんだろうと思う。
 正直、もうここまでくると一つ一つの細かい理解はあきらめている。ただ、人物の一挙一動に目を凝らし、見逃すことなくただ享受することしかできなかった。セリフの言葉回し、発声に乗る感情、表情の機微に一つ一つ理屈をこねる体力も理解力もない。ただ一言、終わりゆくエヴァンゲリオンにくぎ付けだった。
 テレビシリーズのサブタイトルが壁にプロジェクターのような光源で映し出されていく。ここは痺れた。やはりシン・エヴァンゲリオン:||は今までのTVシリーズ・旧劇場版・新劇場版すべてを包括しての完結なのだと、最後の最後で突きつけられる。

 「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」

 ミサトが命を賭して届けた槍をもってエヴァのない新しい世界の創生『ネオンジェネシス』を行うために、初号機=シンジ自身に槍を突き立てる。
 ヴィレの槍が初号機を貫こうというその先に、シンジを守るように手がかかり槍を止める。
「そっか。この時のためにずっと僕の中にいたんだね、母さん」
 TVシリーズ1話のように、母ユイは息子のシンジを守り、ネオンジェネシスが始まる。
 エヴァのない世界のために、すべてのエヴァンゲリオンが次々と槍に貫かれていく。盛大な卒業式といったところかな。どんどん名前呼ばれて槍に貫かれていくみたいな?

 そして海辺、一人佇むシンジ。そこにエヴァ8号機と共にマリが帰還。海に飛び込むと、最後のエヴァンゲリオン「8+9+10+11+12号機」に礼を言い浮上する。そこには制服姿のマリがいた。


 「お待たせ、シンジ君」
 目隠しする手が問いを投げかける。
 「だ~れだ?」
 「胸の大きい いい女」
 「ご名答☆ 相変わらずいい匂い、大人の香りってやつ?」
 「君こそ、相変わらずかわいいよ」
 眼鏡に手をかけながら返すシンジ。
 「ほほう、一端の口を利くようになっちって!」
 シンジの首に手をかけるマリ、DSSチョーカーが外れる。DSSチョーカーをポケットにしまい手を差し出すマリ。それを握り返し駅の階段を駆け上がる二人。そんな宇部新川駅。

終劇


5.ありがとう、すべてのエヴァンゲリオン


「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」
すべてのエヴァンゲリオンシリーズを完結させたという意味合いが非常に強いように感じました。
 終わらない神話化していたエヴァンゲリオンシリーズ、Qの上映から8年という長い年月、続編を待ち続けるこの年月は完結していないことから誰もが想像上の存在しないエヴァンゲリオンを思い描いていたはずです。筆者自身も思い描いていた自分にとっての理想のエヴァンゲリオンの最後がありました。率直に言えば、想像していたようなシン・エヴァンゲリオン劇場版:||とはかけ離れていましたね。しかし、3月8日をもってエヴァンゲリオンは完結し、自分の頭の中にしかない存在しないイマジナリーのエヴァンゲリオンとは決別しなくてはならず、この存在するリアリティのエヴァンゲリオンの中で立ち直らなくてはいけないのかな、と。

 初日の観劇を終え、筆者は賛否分かれるのかなと思いましたね。賛は多いだろう、でも否も少なくはないかなと。まあ、カップリング戦争なんて言葉があるように、オタク文化の中ではカップリングというものが重用されることは別に珍しくはないでしょう。ただ、本作品においてはLASとLRSの2大派閥がどっちに転ぶかというのを神経研ぎ澄ませて注視していた人も多いはずです。筆者自身もLAS派閥の人間として、結構肩入れして見てました。
 アスカの”ケンケン”呼び、あれは堪えましたよ。そんでもってレイに転ぶというわけでもない。まさかのマリ⁉というラストシーンには激震が走りましたよ。ほんと。

 とはいえ、本作品の中で詳しく描かれてはいないものの、これまでの話の流れやいくつか描写をかいつまんで紐解いていこうとすれば、改めてエヴァンゲリオンとさよならするという意味合いのこもった作品なんだなと。
 アスカとシンジの関係性で考えてみれば、本作品の中で互いに好意を持っていたことが明らかになります。時間軸では14年前、新劇場版”破”の時点を指すわけです。
 アニメ作品では、キャラクター同士の恋愛感情などは互いにそれを自覚し互いに吐露することでその好意を確認する、そして結ばれるというように、途轍もなくシンプルで純粋、そして排他的な恋愛を描くことが多いように感じます。ましてや、そのキャラクターが若ければ若いほどに。確かに大人の恋愛を描くような愛憎劇などであれば、好意の根本がリアリティを帯びて、存在しないアニメのキャラクターがより人間らしく描かれていくのだと思います。
 エヴァンゲリオンという作品の中に登場するキャラクターは、極めて人間的だと私は感じます。一口にツンデレキャラとくくられることの多いアスカも壮絶な過去の経験の中で高い自尊心と攻撃的な態度、そして垣間見える優しさというアイデンティティを獲得しています。そこまでに人間的な彼らエヴァンゲリオンのキャラクターたち、破からQへの時間的遷移、14年という歳月の中で、かつて中学生だったころの想い人への想いを持ち続けるかどうかという疑義があります。多感な思春期から艱難辛苦を乗り越えてきた14年の積み重ねの中で、何を感じ何を思ったのか、私には推し量りかねます。ですから、アスカとケンスケの間に紡がれた関係は、”そうなった”と受け入れるほかないのかなと。アスカの選択です、アスカが幸せになるのならば私はそれでいいのです。シンジと幸せになってほしいというのは、『それによって私が幸せになりたい』というだけなのです。
 我々からしても非常に長い期間にわたって展開されているシリーズ、ですからこれまでの自身の長い経験を握り締めながら見る作品なのかなと。あの頃の延長線上にある各エヴァンゲリオン作品を追い求めるのではなく、各作品が積み重ねたこの25年間そのものがまさにエヴァンゲリオンシリーズなのかなと。若輩者ながら思案した次第です。ですから、たぶん14年後再び「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を見る時にはまた違った見え方がするのでしょうね。

 いくらか本編の内容を引用して、自分の考えをここに書き連ねましたが、思うにおそらくエヴァンゲリオンを紐解き、我々がエヴァンゲリオンを卒業するにあたってのヒントはいくらでも本作品にちりばめられているのではないか。そう思えてならないのです。
 そういった意味では、まさにエヴァンゲリオン完結編としてこれ以上にないリアリティーの最高傑作といえるでしょう。

 そう、”もし”や”たられば”のエヴァンゲリオンはすべてイマジナリーのエヴァンゲリオンへと成り、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」"こそがリアリティーのエヴァンゲリオンであるとしたこと、これが本作品一番の罪過と功績だというのがむず痒いところなのです。










6.圧倒的蛇足と最後に


 しかし個人的な我々の幸せとして作品を享受する身で考えるとやはり、思い通りにいかない結末というものはストレスがたまるもので。
 見た直後の悶々とした感想といえば、
「わからんなぁ」
「ケンスケかぁ~」
「マリも好きなんだけどなぁ」
「いやでも、なんでケンスケなんだ......」
「14年取り戻すくらいに愛をシンジが捧げられればいいのか??」
「てか、神木くんの声じゃん。瀧君に見えてきたわ......」
「ケンスケ、そこ代われぇ......」
てなもんで、「わいLAS過激派茫然自失なう」とつぶやきたくなったほどだ。pixivで漁るしかないかな、イマジナリーの存在しないLASのエヴァンゲリオンを...!!
(おすすめの作家さん教えてください、アスカ単体イラストのおすすめも!)

 とまあ、でもなんだかんだ面白かったです。人生の中でここまで強くハマったものってあまりないので。

 さて、拙文ここに極まれり。という長文ではございましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。多分これを読まれてる方はすでにエヴァンゲリオンを終劇された方だと思います。ぜひ、コメントでもなんでも感想を聞かせてください。他の人がどう思ったのか、すごい気になるんです!!!

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