#やさしさに触れて#エッセー#ストーリー#写真#小さな物語#by Shanxi(394).
#やさしさに触れて #エッセー#ストーリー#写真#小さな物語#by Shanxi(394).
Source/note #55 .
⏹️物語『ボク、デンちゃん』。
ボク、デンちゃん。
カタツムリだよ。🐌🎶
ボクは、人に棄てられて、見殺しに遭うところだったんだ。
そして、別の人がボクの命を拾ってくれたんだ。
カタツムリのこのボクには1日の内に天と地、天国と地獄を体験することになったんだ。
⏹️カメラ好きな人からの依頼。
おい、どこかにカタツムリはいないか?
えっ、どうして?
梅雨の時期にアジサイにカタツムリを留まらせて写真を撮りたいんだ。
普通、カメラマンは自分でそう言うタイミングの所に探しに行くよね。
おれは、そんな暇は無いんだ。
写真コンテストにでも出すの?
いや、そんなことはしない。
何で?
押し入れから出した昔のカメラで撮って見たいだけなんだ。
別にコンテストに出すつもりは無いんだよ。
あんなに良い外国製(ドイツ製)のカメラがあるのに?
・・・。
アジサイの花は見つけたの?
そんな物無い。
花屋さんに行けばアジサイ、置いてあるよ。
買ってまでバカ臭い。
じゃ、カタツムリとアジサイが要ると言うこと?
そうなんだ。調達してくれ。
分かった。探して見るよ。見つかったら電話するよ。
じゃ、頼む。
⏹️安請け合い?
わたしは植物と小動物は仕事柄直ぐに見つかる自信があった。
それは、後に『安請け合い』となることを自分が予想だにしなかった。
⏹️新たな出会い~それは始まりだった。
仕事の日のその日の内にカタツムリは直ぐに見つかった。
でも、仕事が終わるまで虫籠が要る。
そうだ。近くに百円ショップがあったはずだ。
何と言う良いタイミングなのだろう。
取り敢えず、自分の帰りまでその新しい虫籠に木の葉や草を湿らせて共に入れておいておくしかなかった。
そうして、ボクは仕事帰りになり、その新しい友と一緒に帰宅した。
取り敢えず彼にメールを入れて置いた。
⏹️電話の向こうから聴いた信じられない言葉
暫くしても、彼からのメールの返事は来なかった。
ボクは調達出来た連絡を彼に電話で入れた。
もしもし、と言う電話の向こうに彼の声が聴こえた。
『カタツムリ見つかったよ!』
ボクはニコニコ顔で彼にそう伝えた。
それから彼がこう答えた。
ああ、あれね、要らなくなった。
えっ? どういうこと?
調べたら、アジサイは毒らしくてカタツムリには悪いらしい。
アジサイが毒?
ボクには初耳の話だった。
彼の言葉はこう続く。
そう言われて見れば、カレンダーなどにはアジサイにカタツムリの絵が描いてあるけど、
実際にアジサイの木にカタツムリが留まっているのを観たことが無い。
やはりアジサイは毒らしい。
アジサイが毒?
じゃ、カタツムリは飼わないの?
そんなメンド臭いこと、オレはやらない!
それに、オレは『殺生は嫌いだ』。
そうして彼は電話を自分で切った。
⏹️自然界では動物は先生であること
ボクは、自然界における植物の中には、確かに強い毒のある植物があることを知っている。
それは自分の職業柄からだった。
しかし、自然界には植物と動物や昆虫が生き抜いていく知恵も生来動物に与えられていることも知っている。
自然界では動物は自らが先生なのだ。
例えば、植物の有毒性については誰でも自分で検索して調べて見れば誰にでも分かることなので、まさかその植物の有毒性についてはここには書けない。
しかし、ここに書けることもある。
例えば、
ゴリラは森の中では自分自らがお医者さん
と言われている。
もし、お腹が痛くなったときには、
あそこへ行けばお腹に効く植物があることを知っている。
そうしてその植物を食べてお腹の痛いのを治せる知恵があるのだ。
⏹️ユーカリの木のこと
あのユーカリの大好きなコアラでさえそう言う生来の別の知恵が与えられている。
ユーカリは揮発性の強い有毒成分を確かに持っている。
なのになぜ、コアラはその毒のあるユーカリを食べても何とも無いのか?
ボクは調べて知った。
コアラであっても、どのユーカリでも辺り構わず何でも食べる分けではないらしい。
自分が食べるユーカリの木を特定している。
それは何故?
山火事に遭えばバチバチ音を立てて燃える油の多いユーカリも丸葉と細長葉とかあり、ボクが観たそのユーカリの木は一本の木からどちらの葉も着いていた。
多分、ボクの予測では若い葉が丸葉で、年数を越えたユーカリの木は細長の葉を出しているから、そう言えるだろう。
ユーカリにもいろんな種類があり、蚊避けにも蜂避けにもなると言う人がいる。
確かに、ボクの観たユーカリの木に笹バチと言う小さな脚の長い蜂が小さな蜂の巣を途中まで作っていたらしかったが、何かの理由でその蜂の巣造りを
断念して放棄していた。
中には蜂の卵も無い。
もうその巣さえも生気を失い枯れている。
作りかけの廃墟の蜂の巣。
何故?
それは多分、ユーカリの強い香りと毒とされている成分の為。
体験の無い蜂もいるらしい。
学習本能までは後天的に学習していくのかも知れない。
蜂たちは突然、何か、異常さを感知したのだ。
⏹️ユーカリとコアラの共生の為に?
コアラは、ユーカリの木の毒を『解毒する力』を学んでいるらしい。
その特定のユーカリの毒を中和して自分には毒に当たらない仕組みをコアラの親から唾液(『食物の噛み下し』)分泌かで教えているらしい。
その食物の中の唾液が体内で情報を遺伝子に伝えているのだ。
鳥類もそうしているらしい。
もう1つのことを知った。
これは、今、リアルタイムでご飯中の方は、
次の文を飛ばしてスルーしてください。
↓スルー
コアラも親のウンコ(💩)を食べてそこから情報伝達をするらしい。
ゴキブリもそれで、自分が殺虫剤で死ぬと言う情報まで子孫に伝えるとのことだ。
こうしたことは鳥や猫とは違うし観たことも無いので、『唾液伝達・感染』説をボクは信じて見ることにする。
話を前に進めるために。
⏹️感染期における唾液交換の危険性。
処が、最近の感染症の時期に新たな問題が産まれた。
そうした噛み下し食物は唾液があるゆえに、人間の親子でも動物に対してもいけないらしいのだ。
・親子間の虫歯菌の感染症。
・犬や猫に感染する病気の相互感染。
(詳しくは、それも検索して調べて欲しい。)
⏹️カンガルーとコアラの涙
コアラ同士にはこうしたデメリットよりも、ユーカリ解毒の有効性がこれによりあるらしい。
こうしてコアラは特定のユーカリの毒から解毒のおかげでユーカリの木が大好きでいつも留まって要られるのだといえる。
アメリカの山火事の時、カンガルーもコアラも焼け死んだことが報道されていた。
コアラの流している涙の写真はボクにはとても辛かった。
山火事の時、カンガルーは焼け死に地面に倒れ、
コアラの住みかの木も焼けて無くなり、涙を流しているところ、
自然保護観察員の人の腕にしがみついてその腕を離そうとはしないのだ。
コアラにとって今までの木が、無くなり人の腕が生きていく安心できる場所に変わったのだ。
私たちみたいにコアラが大声を出して泣けるもんでは無い。
人間にとって涙の意味は、悲しみと叫びと癒しの意味がある。
言葉にはならない時に内面から滲み出てくる血の成分と同じだと知った。
リサイクルしている塩分やミネラルの成分比率が汗と涙とおしっこでは皆違うらしい。
極度の圧力やストレス下ではその濾過が上手く行かず血汗症となるらしい。
思えば、それらは全て、血の成分から濾過して変わるらしい。
『らしい』の三連発は専門家では無いので容赦して詳しくは自分で調べて欲しい。
⏹️動物の解毒作用
あの毒蛇さえも、自分の蛇毒でもし間違えて自分を噛んじゃったらどうなるの?と言う笑える質問があった。
動物界にはこうした『植物からの解毒作用』があるとボクは信じている。
それは、人間を越えた動物の能力のおかげだと思っている。
⏹️アジサイは毒なの?
では、カタツムリにはアジサイは毒なのか?
ボクの疑念は検索して調べることへとボクを動かした。
意見が分かれているらしい。
⏹️2つの意見の間で
学者なのか、マニアなのか分からないが、ボクの観た資料にはそのどちらの意見もあった。
人間にはアレルギーがあり、カブレの木に被れる人がいる。
しかし、それに少しも被れはしない人もいる。
今日のアレルギーの人にはその近くに行くだけで被れ、『カブレ』の木を頭に思い描いただけで実際に腫れてくる人もいると言う。
人間のアレルギー症状には増加傾向が見られる。
何故、カタツムリにはアジサイで意見が別れるのか?
仮説①。
アジサイがアレルギーほど毒だと知っているカタツムリならば、まずその木には登らないだろうと言う私たち人間の考えそうな仮説。
いわば体験した学習から学び知ったと言う説である。
仮説②。
そして、もう1つは、アジサイの毒の成分はそんなに強くありません、と言う説。
従って、カタツムリに対してもそんなに毒性はありませんと言う説なのです。
もし毒があるとしても、そのアジサイの特定部分に特にあるかも知れませんが、その他の部分にはあまり無いのかも知れません。
それらは私が知った知見。
2つも意見はあるのだ。
⏹️雨降りのカタツムリの親子
本当のことは、雨の日にアジサイの木をずっと観ていないと分からないと思います。
セミほどぱっぱとどの木でも行動できるカタツムリなどはいませんから。
カタツムリは雨の日に子供を連れて、ツヅジの木の枝やキンモクセイの木の枝に共に留まって歩いているのをわたしは見つけました。
カタツムリの子供はよくよく見ないと分からないほど小さいのです。
米粒の方が長いので見つけやすいかもと思えるほどです。
最初からカタツムリの子供も小さな自分の家を背負っています。
⏹️産まれながらのマイホームのモノと借家住まいのモノ
カタツムリは、産まれながらのマイホームです。
ナメクジと同じだとわたしは信じたくはありません。
ヤドカリは住みかを時々変えるそうです。
ヤドカリは宿借り、つまり借家住まいです。
貝殻から出てきたヤドカリの情けない尻尾。
見たくは無いです。
新たな貝を見つけるまでの我慢です。
⏹️もう1つある
柿の木の実
これは、柿の木に着いている柿の木の実が最初から小さな柿のヘタが着いているのと同じです。
ヘタの大きさよりも柿の実の方が最初は小さいです。
それが成長と共に同時に大きくなっていくのです。
ドングリも同じです。
⏹️ドングリ赤ちゃん
最初からドングリの赤ちゃんは帽子を被っているのです。
自然界は過酷な面も有ります。
そんな小さなドングリの赤ちゃんも柿の木の子供も秋まで生き残れるとは限りません。
台風などの大風で木が揺れたなら、その内の幾らかは地面に落とされてしまうのです。
雨上がりの後の地面を見れば、たくさんのそうしたモノを見つけることでしょう。
カタツムリの子供も親の後に着いて歩いていても、どこまで着いて行けるのが分かりません。
⏹️昆虫と好みの木
蝶は、自分の子供を産み付ける為に下調べしてから木を選択してそこへ卵を産み付けるそうです。
後は、自然に任せて卵が成長してやがて幼虫になり、ミカンの木にはアゲハチョウが、クチナシの木からもアゲハチョウが大きく成ったとき私たちの眼に留まるほどになります。
ちなみに私の写した写真がGoogleに掲載されています。
花と昆虫の関係はわたしの研究テーマです。
こうして自然界の中では小さな動物や昆虫は生きて行けるのです。
言い方を変えて表現すれば、自然界の中で虫も昆虫も動物もバカなのではありません。
バカなのはある意味『人間だけ』です。
⏹️都合の良い考えのパターンと好みの志向。
検索して調べても、自分に都合の良いことには眼が留まり簡単にそれを信じ、
自分に都合の悪いことは無視して信じようとはしない態度と志向を持っているのが人間の特質です。
人の言葉を借りればそれは人間特有の『正常バイアス』と言われていますが、
わたしはそれを『危険性バイアス』と評価しています。
こうして、カメラ好きな彼は簡単に頼むと依頼したものの、簡単に撮影を挫折して、趣味の段階で止まってしまいました。
外国製の立派なカメラはやはり押し入れがその与えられた住みかなのでしょうか?
人は自分の宝物にスポットを当ててあげられるのも他ならない自分自身、
その人しかいないでしょう。
私は昔のOM10の時代から、今はスマホカメラマンと成りましたが、それでもGoogleに写真が採用されて掲載されているのです。
⏹️📷️OLYMPUS OM-10
⌛️⌛️⌛️
📱📱📱
そのことは何を意味してると思いますか?
『たかがスマホ』写真だからと言って決してこの文明の利器は侮れません。
スマホカメラアプリの中には『ヒボナッチ数列』や『黄金分割比』の構図選択も行えるのです。
遠近法なんてある意味古いとも言えます。
⏹️わたしはスマホカメラマン。
それなりに便利さも有効性もあります。
わたしはその文明の利器を利用して、
たったの一年で三万枚の写真をスマホ1つに収めています。
写真撮りに行くときは、以前のスマホも持参して何台かのスマホ持参で撮している、いわゆる『スマホカメラマン』なのです。
一日中スマホでカメラを写していれば、電池が先に力尽きます。
予備電池も持っていかないといけないことも、知りました。
そうしたスマホのカメラマンは多分、世界には少ないと思っています。
それでも、何回か傑作が撮れて自分でも驚いているときもありますよ。
そうしたものもわたしのあちこちのブログの中で掲載してあります。
立派な外国製のカメラも只の自慢だけでは、良い作品が写せるとは、何ら保証もありません。
⏹️デンちゃんの引っ越し日。
小さな虫籠からグレードアップしました。
それが下の写真です。
間取りとサイズと実際のお部屋数も載せました。
今やあの事件から3年が経過しました。
デンちゃんは今年も後2ヶ月も経てば四年目に突入します。
カタツムリのことを検索して調べたら、凡そ3年の命。
ボクは彼が言った言葉を思い出します。
『オレは殺生は嫌いだ!』
その替わりに私が里親になり早、3年間共に『生』きました。
人は言葉1つでも、か弱いモノを殺すことが行えます。
軽はずみなことば。
それは、『殺生は嫌いだ!』と言う都合の良い言葉から全ては始まりました。
その日に、ボクはこの子の里親になりました。
あの日から、ボクはこの子を絶対守る!とでんちゃんに心の中で毎日語りかけています。
耳も無い生き物を。
秒速1、2ミリの速度の生き物を。
ボクには、この子を見棄てて飼育放棄をするわけにはいかないのです。
⏹️付け足しコメント。
資料によれば、カタツムリには寄生虫がいることがあります。
人間と動物とは相互に違う菌やウィルスなどが互いに互いの存在を守っています。
それがその各々の個体を守ってくれてもいるのです。
その仕組みに間違いがないならば、それは、『命のシールド』として保護してその存在を防衛隊のように守ってくれています。
それが狂えば、自分が自分を攻撃し始めてきます。
『感染症』とは相互に感染するから、それを止めるためには、接触を止めることです。そして、病院へ行くことです。
自分のバイアスと言う気持ちでそれを抑止出来ると言う人がいれば、その考えを論文を書いて出せば間違いなくノーベル医学賞でも取れると思えますよ。
冗談ですよ。
ですから、昆虫、小動物、虫、ペットなどと触れあう前と後には、必ず石鹸で手洗いすることがお互いの大切な命を守る貴重な手段だと弁えましょう。
例え『自分は大丈夫』であっても、あなたの大切な相手やペットが少しも『大丈夫』で無ければ、そのあなたの自負は何の役にも立たず、何の意味もありません。
この感染症の時期にもう1つ大切なことを学んで人も人間として更に賢くなるためにです。
©️Shanxi(394).©️くまのハチミツえほん。©️🐻🍯📚️
03 November 2020.
こうした物語をあちこち(Ameba/goo/Kakao story)で書いています。宜しければ観に来てくださいね。今回の物語は同時掲載してあります。外国語の方も見てくださいます。一部わたしのファンと愛読者は100人を超えていて感謝感謝しています。
#やさしさに触れて #エッセー#ストーリー#写真#小さな物語#by Shanxi(394).
#1つの命の向こう側 #小さな2つの眼がボクを見た時#耳も無い生き物#秒速1~2ミリの早さのモノ
こうしたオードブルな作品を書いています。
多言語でも他のブログに書いて投稿していたら今や3000作品を越えてしまいましたので、今は焦らず気長に書いています。作文、レポート、コメント、キャッチング・キャプションなんでもご注文ください。応相談です。エロ・グロ・ナンセンスは承りませんのでご容赦を。ご自分で好きなようにお書きください。
マイペースでワガママな作家でご免なさい。
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