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#150回のありがとう。#皆さんへのお礼のことば。#アメンボ青いなのblog

#150回のありがとう #皆さんへのお礼のことば#アメンボ青いなのblog

⏹️お断り⏹️
この作品の後半でコロナに関連した言葉、内容が一部出ております。
ことの詳細は、そこでも触れてありますが、正式の厚生省サイトなり、感染症専門家のご意見に準拠することをお勧め致します。
この作品の中に登場する言葉はあくまでもわたし個人の見解であることをお断りしておきます。

メールが来た。

何だろう?

と開いてみたら。

150回の『スキ』が為されたとのこと。

誰に?

と思った。

実は、人気の無い、クドイ文しか書けない人だからです。

取り敢えず先にお礼申し上げます。

皆さん、ありがとうございました。

わたしの文芸の歩み

中学生から作文を始め、作詞になり、詩集を書き貯めて、独り文芸紙も発行していました。

その時の愛読者は約20名。

当時は、メディア媒体が今のようには無い時代で、自分の足でポスティングして興味のある人に無料申し込みを返信して貰っていました。

いわゆる販路開拓とルート営業なのです。

当時はワープロの時代。


コメディアと言うワープロを使っていました。

中古のコピー機がたまたまあり、 それで拡大縮小したり、写真を切り貼りしたり、会報誌みたいに独りで記事を書いて、コピーし、綴じて、配達していました。

何号か続いて、今でもそれは大切な宝物として取ってあります。

次第に愛読者が増えて行きましたが、無料でした。

作るのも自分独り、考えるのも、原版を興して版下にして、コピーを掛けるのも全て独り。

独りで何もかも行うことは、

好きだったのです。

そう言えば、小学校ではガリ版刷りのお手伝いをさせられ、鼻の下をインクで黒くしていて、同級生にネズミみたいと笑われました。

高校では名ばかりの、文芸部でした。

どうも、そうした文芸に学生の頃から興味が有ったんですね。

わたしの心の先生は皆さんの親御さんなら知っている筈の『赤い鳥』の主催者、鈴木三重吉先生です。

そこから、多くの著述家達がその場を借りて育ち日本文藝の世界へと旅立ちました。

殆どの文藝家たちはその事を知っておられることでしょう。

鈴木三重吉先生の文藝の動機は、

娘さんが生まれた時に決意されました。

自分の子供に何を見せたら良いか分からず、本屋さんに見に行ったそうです。

結果、自分の子供に見せられる良いものは何も無くて、それでも考えた挙げ句、自分で作ることにしたそうです。

それは、娘を愛する親で無ければ行えない愛情でしょう。

かくして『赤い鳥』機関紙は出来たのです。

呼びかけると文藝の能力と動機に感動してくれる人が次第に現れて行きます。

それは、今日でも同じツイート文化です。

人は人とシェアーしたいのです。

文藝家たちは、自分の得意分野の文藝を書き協力していました。

他の作家の作品も観られて観察眼を養えます。

その全ては鈴木三重吉先生の娘への愛情が発露でした。

わたしも、子供はいませんが、ものつくりをしたいのです。

人真似では無いオリジナル志向でです。

わたしの文芸にはこうした、下地があります。

わたしのコミュニティーペーパーなる会報誌は『口紅水仙』と言うタイトルが付けられました。

実は、植物も大好きで、植物のどれをタイトルにしようかと考えた結果そうなりました。

口紅水仙と言う花は、イギリス王立協会が纏めています。

日本から外国へ行った植物。
そして、外国から日本へ再輸入された植物は今日、日本にも多いです。

口紅水仙は、他の水仙と少し違います。

球根の色と形、葉の先の形状、花の形とにです。

今日ある改良口紅水仙とは違う元々の形です。

その名前の通り口紅水仙は💄💋✨🌿口紅と水仙の形をしています。

興味が有りましたら、図鑑でお調べしてみてくださいね。

ギリシャ神話にも出てくるナルキッソス物語にも関係があると述べられていました。

古すぎて検証出来ず定説では有りませんが、多分そうらしいとまで記されていました。

今日ならば、植物系統図はDNA、遺伝子分類して行くそうです。

スミレも同じです。

処が、今日でもそのDNA配列が完全に行えるかと言えば、出来ない植物もあります。

遺伝子の鎖が途中で断ち切れていて、繋がらない遺伝子配列の植物、つまりまだ発見されていない植物もあるとのこと。

それをもし発見したら、植物界にあなたの名前が残りますよ。

それほど貴重な発見らしいです。

さて、話を戻します。

会報誌作りには、様々な才能が必要です。

写真を取り(昔はOM-10を使っていました。現像しないとならないものです。)、記事を考えて、レイアウトを考え、内容を調査し、原版を作り、複製し、印を押し、無料愛読者に自ら配達することをその時は楽しくて、楽しくて独りで毎回行っていました。

それで、そうしたおかげで今ならば会社の役員が分担して行うべきことを独り親方でしていたので、何をどうしたら良いか、関連が分かったのです。

その後、実際に、印刷やさんにも就職して、実際に印刷の活動も自分でやってみました。

主に営業廻りで受注を取ってくることでした。

営業も人嫌いなわたしがチャレンジしたのです。

人の性格も能力も自分がやろう!頑張ろう!と思えば何でもやれることになることも知りました。

他の業界の方々も、同じような過程を経ていて今でこそ編集者に成っている方も多いです。

そちらは、尚且つ、他の方を動かす点で更に人間関係におけるコミュニケーション能力も養われますね。

こうして、わたしの文芸には下地がいっぱいありました。

作品のテーマや話題も子供の頃から、本好きもあり、頭の中には尽きないアイデアの泉が湧いていて今でもまだ涸渇していません。

やがて、時代はデジタル社会へと以降しました。

紙物印刷とアナログ本屋さんの試練の時代を迎えて、東京のある本屋さんは廃業。
別の本屋さんは時代を弁えて、本屋の一角に炬燵を置いて無料で読める本や他の人達がフリートーク出来る場所を作ったそうです。

ツイート文化。

そこで、多くの人が、あれは良かった!これは感動した、と言う具合に今で言う評価のツイートを炬燵の場所でしたのです。

その結果、じゃ、自分も読んでみようか、となりその結果、アナログ本の売れ行きがその本屋では増大したそうです。

口コミの威力、ましてや自分の知ってる常連さんの口の言葉は絶大です。

アナログ本屋さんの危機をそこは乗り越えたのです。

新規にそこに店を開いた借金も何年も経たず
支払えたとのこと。

ツイート文化は、あのゴジラの映画にも出てきており、日本画家の絵画の中にも登場し、今ではリアルタイムツイートは天気アプリの気象警報の中にも、ツイートされています。

皆さんは見たことありますか?

『この雨、気味が悪い。』『ちょっとヤバイ気がする。』

そうした、現場の声をアプリを通して知ることが出来る時代に突入したのです。

噛み合わせてみれば、この豪雨はどうかを人は知ることが出来ます。

新型コロナ感染症とデジタル文化の果たす役割。

コロナ禍(これは『か』と読み、意味は『わざわい』の意味です)の今の時期。

決して、気を許せば命取りになる時代への突入です。

仕事が大切、経済が重要、で出掛けて行って、コロナに感染して本人も気がつかない内に、
大好きな友だち、愛すべき家族の弱い者たちに、悪意なく拡げてしまう可能性(わたしはこの文字は使いません。コロナの罹患の『危険性』だと思います。)があります。

過去の感染症を調べると、第4位まで有った1番下の死者数のスペイン風邪を新型コロナ感染症が、ついに抜いたそうです。

そして、専門家によれば過去のスペイン風邪が第3波まで来て、死者数も多かったそうです。

これは、ご自分でも検索して調べられます。

しかし、この新型コロナは過去のコロナとはまた違う故に、『新型』と言われており、感染症専門家はこれが第四波、第五波まで行くかも知れないとのことです。

ましてや、冬季に拡がるインフルエンザと重なると分けが分かりませんね。

わたしもインフルエンザを人から貰いました。

その本人と車に同乗していただけです。

その場に居合わせた他の人も感染し、本人は凄い体力。

合計五人に移して初めてどうも変だと感じたそうです。

ですから、今回のコロナもそうした超強靭な体力の方がもし、罹患していても陰性でその間の感染力が強いとのこと。

三密を避けるのは、誰の為でもありません。

あなた自身の命、大切な人の命をあなたが守ることです。

命は1つしかないのですよね。

要らない不要な命なんてこの世界に1つもありません。

みな、大切な友達や、大切な家族がいるからです。

そして、感染症は『人から人へ』と感染するのです。

簡単には収まらないのが、このコロナ。

ある専門家の先生は、2022年先までかかるかも知れないと述べています。

人類初めて体験するWith Coronaはそんな簡単なものでは無く、風邪でも無くウィルスです。

体液の出るモノは、その中に含まれています。

息や唾だけで無く、汗にも涙にも、その元である血液にもです。

体内細胞を持つものは、全て持っているのです。

普段なら、菌とウィルスがわたしたちの体を守ってくれていたのに、ある日、体の一部が反逆したかのように、その反逆を正しいと思い込んでいるのと同じです。

それが元に戻らない限り、RNAは元には戻せず治せません。

正常バイアスは危険バイアスでもあること。

普通生きていくためには、自分は大丈夫と信じなければ生きていけないでしょう。

処が、今の時期だけはそれは逆の代物と考えた方が賢明です。

それは、危険なバイアスです。

自己の過大評価や自己過信が危ない以上に、他の人にも罹患させます。

今でも、お店のスタッフが店内に入ろうとする客に、アルコール消毒を進めて新しいお店作りをしているのに、俺はそんなの要らない!と頭も手も横に振りお店のスタッフの述べることも聴かない子供のように慌てて勝手に中に入ろうとしている大人をわたしは見てしまいました。

『大人気ない!』とはその人達のことです。

立派な大人と思う人が、子供の前でいけないことをしているのを子供がもし見てしまったとき、そこで大人に対する信頼も敬意も無くなります。

それで子供に口先だけで法を説いても、聴いていません。

説得力無し!です。

わたしはコロナ警察でも、コロナ自粛を強要しはしませんが、新しい生き方を子供たちもじっとあなたのすることを見ています。

それだけは、本当のことだと言えるのではありませんか。

『ありがとう』と『さようなら』。

何でも事故はその日に、無事にまた会いたい人に会えるとは限りません。

その日に、『ありがとう』も『さようなら』も言えないこともあるのです。

ありがとうは、今日言っておきましょう。


わたしの友達のように、彼は外国に帰り、いつものように家族と朝分かれて、夕方には帰らぬ人となりました。

鉄鋼場で家族を養うために働いていましたが、その日に上から大きな鉄板が彼を目掛けて堕ちてきて、逃げ切れ無かったのです。

この日にもわたしは虫の知らせがあり、夢の中でしたが不思議な夢を見て起き、明くる日にその不思議な夢の解明のために調べたら、三人の内の独りが正に彼でした。

わたしは若いころから文藝の世界でもありました。

俳句を初めて書いて投句したら、入選し新聞に掲載され、

アンケートを書いて投稿したら10回くらい映画の無料招待で鑑賞券が当たり、あるコンビニではポイント一万円分が知らない間に付いていて、コンビニの店員さんがわたしに告げていたのでその時初めてしりました。

今までで1番悲しいのは、大好きだった彼の死の夢でした。

嬉しいこともあります。

大好きなものに導かれ、いろんな道と世界が開けてくるのです。

多言語を研究していたおかげで、営業廻りで自分でみつけたカルチャー教室で特別講座にありつけたのです。

初めてでしたので話が固すぎました。

タイトルは『おもしろ比較言語学』でした。

外国語が若い時から大好きで、しかも誰もやりたがらない『多言語』研究。

自分がやりたかったことは、そのタイトルの逆で『言語比較学』でした。

世界には、凡そ7000言語が200くらいの国にはあります。

その内の35か国語の言語比較をして、日本語で読む外国語の小冊子も自分で纏めて作りました。

同じ文面を日本語の読み方で読めば外国語が嫌いな日本の人にも分かると思えたのです。

今では、人形一人芝居も外国語で行い、浜松市でスピーチにも出ました。

その相棒はわたしが作った鳩の親子をモチーフにした(あのパペットマメットみたいな)一人芝居です。

その時には、ケーブルテレビが私をインタビューしてくださいました。

オリジナル紙芝居をポルトガル語で披露した時にはわたしのオリジナリティがあったそうです。

この多言語研究の歴史も40年以上追い掛けていると様々な角度から言語のことを知ることが出来ます。

皆さんは、知っていますか?

・外国語を学んでは辞める人の共通年数の研究があり、数学者が公式を作り、凡そ3年だと述べています。

・多言語はカルチャーが違い中にはうつ病にもかかる人もおられます。

それを治すには外国語からまるっきり離れることだと言われていますが、わたしは別の方法を見いだせました。

・死滅言語と復活言語と言われる言語があります。

・言語は周波数です、と言う先生がおられます。

また、その理論を後に他の学者が検証されて更に信頼のおける理論となりました。

こうしたことは、長年の間に知ることが出来る『多言語』の一部分の側面です。

ことばには顔があります。

わたしに言葉は上から降りてきた。

わたしが学生で東京にいたとき、まだ二十歳でした。

1日の行うべきことを終えて、台所もし終えてホッと一息つきました。

ふと、ペンと紙が欲しくなり、
準備しました。

そしたら、誰も体験したことは殆ど無いと
思いますが、それが突然、生じたのです。

わたしが何を書いたらとか思わず、わたしの指は勝手に紙に何か書いています。

しきりにそうしているので、わたしの手はとうとう後には痛くなりました。

我慢していると、結局、夜明けまで掛かり、やっと終わりました。

今から何十年も前の事ですよ。

わたしの手が自動即記などではありませんよ。
それでは怖い話です。

朝方になり、わたしは取り敢えず少し寝ることにしました。

朝起きて、そのメモを見ると、

何と読みにくい汚い文字なんだ!と言って責めても自分の文字です。

今度は何を自分が書いたのか、まるでロゼッタストーンみたいな解読に掛かりました。

そして、原稿用紙に書き直すこと、何と400字詰め原稿用紙に50枚くらいの物が二作品も出来てしまいました。

頭の神経は手の動きよりも速いので困ります。

そして、その文面を挿し絵にもしたのです。

それは、どうやら童話らしいものでした。

ですから、これは、怖い話などではありませんよ。

出てきたものは、子供向けの童話の話でした。

条件は全てが揃った時に表の世界に現れるのです。

これは、私のブログの中の短い自己紹介におけるコメントの言葉でもあります。

多々の奇跡に近い物事はわたしがこの世界に足を突っ込む羽目に為らせてくれているのかも知れません。

下手の横好きだろうが、わたしは何十年とこうしているのです。

その人の歩いてきたこと、それが道になるのだと思います。

道にならなければ、それはどこか他にあるのです。

諦めるべきではありません。

焦ることも無く、それはその人だけのオンリーワンの道です。

誰も真似したくてもそうする必要が無い、その人だけの道が見えてくるのです。

こうして、わたしは現在、拙いながらも他のブログを合わせると合計6つ持ち、作品も様々なテーマで優に3000作品を越えています。

多言語で、英語なら英語圏の画家の方と知り合いに成れました。

イタリア語でならば、イタリア人の方からメールが来ました。

多言語とデジタルは何と素晴らしいプレゼントをわたしに与えてくれたことでしょう。

中国の方からも励ましのメールが来ました。

これが、外国語での発信力、多言語の持つ言葉の力だとわたしは実感しています。

わたしの大切な子供たちへ。

わたしの多くの作品はわたしの子供のような存在です。

出来が良かろうが、悪かろうがわたしには関係なくどの子もどの作品も愛しい存在です。

キャラクターとは様々であり、個性があります。

キャラクター分担を作り出すと、作品は凄く気が楽になれますよ!

彼らが勝手に喋っているように感じます。

統括は勿論、私です。

わたしが主人です。

皆、わたしのキャラクターはわたしの友、わたしの分身、わたしの家族です。

みなさん、最初は何も無かったのですよ!

何一つ無かった所から始まったのです。

最初は紙と鉛筆だけでした。

あの若い頃を思い出します。

わたしの子供たちは、やっと濃密な暗闇から出て、デジタルの世界で光を浴びて、各々のその道を見つけたのです。

大切な150回の人達へ。

そして、数少ない150回も訪問してくださり、ポチッと足跡を残してくださった方々にお礼を申し上げたいと思います。

あなたも文藝なり、なんなりを目指しておられるならばどうぞあなたにしか、現わせないあなたの心の言葉を外に出して解放してあげてください。

あなたが表現できる恥ずべきことの無い表現であれば何不自由なく、あなたはあなたの五感とあなたの方法でそれを表現できるのです。

そうです。

わたしたち一人一人は異なる命の言葉を持つ表現者だといえるのだと思います。

ありがとうございました。

これからも応援してくださいね。

作者より。愛するみなさんへ。

Belong to shanxi(394), 29 August 2020.

写真1
巻頭の写真はわたしの作品に出てくる『猫目家の人々』の中のネブルンと言います。

元々の写真はNASAの写した猫目銀河ネブラを加工して作ったオリジナルのキャラクターです。

このデジタルアーツは著作権がありますので、複写、コピペなどは私まで一言お声を掛けてくださいね。
それからわたしの名前を出してくださればどうぞご使用ください。

下の写真はわたしの話の中で使っているキャラクターのクマノスケが猫とズームで話し合っています。

その中で、2人は互いにこのコロナを生き永らえることを約束します。

それは、

『新しい社会をみたいからね』。

『どんな社会がくるんだろう!』

と互いに語るのです。

©️不許複製。

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