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日給3万の派遣労働で社会科見学した話

こんにちは、2月に入って光の早さで10日間が過ぎました。(そしてそこからさらに15日が過ぎた今)無常観で呑んでいきましょう。

今日はタイトル通りの話です。家賃3万7000円派遣社員独身男性28歳、良い響きだ。

昨年2021年は「日本語教えたり変なこと話したりする人」として劣悪なミャンマーのネット環境との格闘に勤しんでおりましたが、昨年末から今年1月末までかけて派遣労働に勤しんでみました。理由は日給が良いから。

インターネット界隈の覇者として君臨する各人には中々分かりにくいかもしれませんが、大したスキルのない凡人からすると日給3万というのはとても魅力的でして2秒で返事をしました、本業がどうのとか知らねー俺の人生だ理論(まぁ勿論本業に連絡云々の話はつけましたけどね)

というわけでそこで久しぶりに「社会」演ってみたのでそこで感じた話をします。元社会人として新鮮なことが沢山ありましたし新社会人としてロールプレイしてた時にも感じてたことを思い出しました。


仕事に突っ込みずぎる根強い文化

これはもう日本中どこの職場でもそうでしょうね。

もうすでに美学であり、完全に根強い文化。

いかに仕事に真面目であるか、それは実際の実務ベースではなく姿勢や小手先のものにどれだけ「真摯に取り組んでいるようにみえるか」の話なのです。

私もいくつかの「日本社会の職場」を経験してきましたがこれはもう間違いないでしょう、久しぶりだなぁこのどれだけ真摯感出せるかゲーム。。。と思いながら場にいました。


忙しさ皆無なのに些細なことでも大袈裟な仕事に見せかける術

これも上で書いたことに近いんですけど、今回の派遣先、鬼のように暇だったんです。本当に、ニートより暇なくらい。

業務の性質上具体的にどんな仕事みたいなのは書くのやめとくんですけど、早い話殆ど国の金で動いてるんで場にいる人間がどれだけ暇でどれだけ生産性なくても正直誰にも影響ないんですよね、別にその場に居続けて発生する給料(出どころ税金)さえ貰ってれば良いんですよ。

そんな時私みたいな人間は「良いじゃん暇なら、寝たりYouTube観たり話したり各々好きに過ごして貰うもん貰って帰ろうぜ」って思うんですけどやっぱり全然そんなことなくて、社会って。

まぁ勿論やることある時はピシッとやるんですけどね私だって(多分)、今はマジで暇な集団の話でして。

なんか暇すぎる集団、職場って全然そんなオオゴトじゃないじゃんその作業みたいなことでも、さもオオゴトですみたいな空気を皆出したがるんですよね、もう雑なコントみたいな感じで笑ってしまいました。

なんか暇×日本社会における文化ってこうなるんだなって改めて良い学びになりました。


やっぱりみんなで楽しようじゃなくてみんなで苦しもう

これも上で書いたことと関連する話題ですけどこの思想ってやっぱジャパニーズ文化だよなと思いました。この思想の根源はいつから始まったんでしょうね。

そもそもこの思想だとあんま面白くなくね?と私は思うんですけどまぁそもそも「色々面白がって味わって生きよう」みたいな思想すらなきゃそんなこと思わないですもんね。思想的に場違い、はい失礼しましたみたいになりました。まぁ私も今回自分から社会科見学に行ってるのでわざわざ発言はしませんでしたけどね勿論。お門違いも良いところです。


人間は環境に応じて文句を言う生き物

これも本当思いましたね、特に雇われている・使われている人間ほどこの意識は強いのでしょう。

私みたいなもんからすると就業の半分くらい畳で寝っ転がって、半分は椅子に座って動画観るくっちゃべる、3食飲み物付きなんてもう何もいうことないんですけどそれでも文句いう奴はいる。人間はその環境に応じて文句をちゃんと作る

普段は散々自己と他者を比べている人間も都合のいい時だけ他者、社会意識を捨てその時の自分、自己を取り巻く環境のみを注視し文句をちゃんと言う。

飯がどうのだとか、勤務体制がどうのだとか、常に文句言ってないと私は死んでしまうんですみたいな人間、あれどこのコミュニティにも一定数いるっぽい

文句言うために文句を言うみたいな、もうここまできたら手のつけようがないですらね、僕は相槌すらうつの面倒なのでそういう人間からは離れるか一緒に居なきゃいけないなら無視するかとかそういう対応を取るようにしてます。それでも付き纏ってくるなら左ボディー1発ぶち込むでいいと思います、法律もそれは許してます。


やっぱり長時間拘束は悪の種

今回拘束時間は結構長かったんですけど、それでもいつ行ってもずっと居る人っていて。

いつ寝てるんだい?みたいな人も一杯いたので普通に心配になる部分はありました。

やはり程よいストレス下に身をおくのも自律神経の活性には効果的ですけど、あまりに長時間だとそれは過ストレスになりますし過ストレスで睡眠不足続くとQOLだだ下がりなのは勿論、低確率ですけど急に死んだりしますからね、人って。そうでなくとも健康寿命が大幅に削られるのももう散々なんたら大学とかの研究で証明されてますし何のための金、時間、労働、自分の人生、今一度考えようぜみたいに思ってました。生きるのも自分、死ぬのも自分です。


社会が人を殺すんじゃない、思想が人を殺すのだ

社会を作っているのは人で、人を作るのは思想だっていう話です。

太古から続いてる日本社会に蔓延する閉塞感、監視感はこれからもどこまでも続いていくでしょう。

大衆の思想は簡単に変わらないし、そもそもそれを強烈な思想だとも意識してない人間が殆どってのが一番怖いことです。

無意識の根強い思想が作り出す環境や仕事意識、そういったものに蝕まれる人はこれまでも数えきれないほどいただろうし、これからも一定数犠牲になっていくのでしょう。

私個人に出来ることなんてこうやって文章書くくらいしかないですけど、それでも一応これが「現時点で自分に出来ること」なので書いておこうと思います。

真の意味で多様性を受け入れられる社会観が徐々に出来上がればいいなと心の底から思います。


『真面目な良い子』で構成された監視社会はどこにでもある、茶番を真面目にやりましょう

基本的に我々は「真面目で良い子」を模範として刷り込まれる教育下で育ってきました。

社会体制をみても雇われる側、使われる側が殆どを占めるのが現実なので雇う側、使う側からみても「真面目で良い子」であるに越したことはない。

それなりに「真面目で良い子」でなければ各成長段階のコミュニティで「アウトロー」や「外れた人間」みたいな色眼鏡でみられてきた人も少なくないと思います。

今ほど「個」が尊重されてこなかった時代が少年期〜青年期と被っていた人は尚更のことだと思います。

「真面目で良い子」を自分がどれぐらい演れるか、は人によってストレス強度が違うと思っています。人によっては軽いストレスで社会を演れますし人によってはそれはとてつもないストレスになります。適材適所といえばそれまでですが食い扶持のために自分が想像し得ない本当に様々な状況下に置かれている人がいることが沢山いることはやっぱり意識の中に持っておきたいなと思いました、そうしたら少しだけ人に優しくなれると思うんですよね。俺が今享受出来ている自由は決して俺だけで成し得たものじゃない。むしろ殆どが運、環境要因だと思っています、感謝です、ありがとうございます。


早起き向いてない、夜型に優しくない社会

これは完全に私個人の雑感なんですけどマジで朝から動くの向いてない。寝れない時間に無理やり寝ようとして朝がきたら動き出さないといけないのマジで一気に体調、メンタルにきた、もうやんねぇ。

人間向き不向きありますし早起きが遺伝子レベルで向いてない人って絶対一定数いると思うんですよね。

まぁそんな人たちは夜勤仕事やればみたいになると思うんですけど、でも大半朝からじゃないですか、雇われ仕事って。全然そっちの方が多いじゃないですか。

あと私なんかは多分雇われやるにしても完全夜勤じゃなくて準夜勤みたいな生活リズムが遺伝子的にあってるんですよね、長い無職生活で得た知見でもあるんですけど。

いや無理なの承知で書いてますけどね、そんな各々に合わせてたら組織なんか前に進まないでしょうし。知ってるんですけどね、でも書いておきたかったんですよ。まぁこれは完全にただの雑な愚痴です。お目汚しです。


それでも社会、一時的なエンタメとしてやるならまだ演れる

それでも尚未来に媚びる、みたいな感じでそれでも尚これは思いましたね。

終わりが見えていて、かつ短期的であれば私はまだ社会を演れそうだなと思いました。

今後いわゆる一般的な形で社会を演っていく気は殆どないんですけど、まぁ何があるか分かんないですからね本当にいつだって。

こうやって短期的に社会やって命を生き永らえさせる、みたいなことも局所的に必要なことだってあるかもしれないし、ないかもしれないし。

でも28歳の現時点ではまだそれ演れるんだって、数年ぶりに社会科見学して思いました。むしろあの22歳で新卒で入った時に絶望感を感じた感性も鈍くなってきたでしょうし、経験から多少打たれ強さも出来てたんだなって思えました。これ個人的には結構な気づきでした。

22、3歳の自分に伝えたら少しホッとするでしょうし落胆もされそう、まぁそれでも結構笑いながらコツコツ生きれてるし納得感も感じれてるから許せよ。


意味の無いものを意味の有るものだと思い込むと他の判断も鈍る

最後にこれは書いておきたいですね。

見出し通りなんですけど、これ気をつけていきたいですね、自戒も込めて。

そもそも「意味」の有る無しも人の価値観思想によって違う部分ではあると思うんですけど、何が自分にとって本当に意味が有ることなのか

これは重ねていく年齢、それに伴う経験、環境の変化等によって1人の人間の中でも変化していく事象だと思うんですけど、根本で変わらないところは変らない部分だと思うので。僕の生死感は小学生頃から20年くらい変わって無いですし

だから地点地点でやっぱりこの意味有る無しをしっかり自分の中に落とし込んで納得感もって生きていかないと他の色々な判断にも影響してくるんですよね。

最初に自分についた小さな嘘が年数重ねると取り返しのつかないものになってることも往々にして考えられるのでマジで自戒も込めてこれは思いましたし最後に言っておきたかった。




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在り来たりな言葉ですけど殆どの人間に関係ない「世界」ではリアルタイムで色んなことが起こっています。

色々思うことは結構有るけどそれでも必要以上に暗くならずに無駄に慌てず真面目になりすぎず、真剣に自分だけが納得できる自分ゴトをコツコツやっていきましょう。その延長で出会うまだ出会えてない人とも、もう身近にいる大切な人とも楽しく鍋でも食えたらかなり幸せです。それでは。

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