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タイムカプセルを開けずに捨てる

歩きながら本を読みたいときがある。

オーディオブックではダメだ。あれは音楽や映画と同じで、受け手の理解度に関わらず進行してしまう。本を読むときは内容を咀嚼しながら進めたい。

今後スマートグラスで文章を視界に表示することが可能になったとしても、それを読みながら歩いているのでは危険だろう。ポケモンGO の比ではない。歩きながら読めて、かつ危険でないもの。まず思いつくのは街中の広告。はじめて来た街では、歩きながら周囲の文字情報を拾い集めてしまう。広告の文字面だけを、今読んでいる書籍の文章に置き換えられないだろうか。読書というよりは、文字の断片を拾い集める眼球インベーダーゲームみたいになりそうだ。それはそれで楽しそう。

正月休みはまだ続く。店によって休む期間が異なるので、この時期は外出時に行きつけの店が開いてるかわからない。昨日の反省を活かして、行きつけの店が開店中であることをググって確認。ところが、店に向かったらまたもや閉まっていた。南無三。Google 先生でも、さすがに正月休みの期間までは正確に答えられない。個人営業の店舗なら尚更だ。

Scott Galloway の "the four" (邦訳は「the four GAFA 四騎士が創り変えた世界」)には、Google は神に等しい存在と書かれていた。検索という行為を通じて、多くの人が自分のパートナーにすら打ち明けない悩みを知る存在だからだ。現実世界のほとんどの宗教家と異なり、行動に関する具体的なアドバイスをも与えてくれる(みたいなことが書いてあった気がするが、背伸びして洋書で時間をかけて読んだので、間違っているかも)。正月休みが不正確なことについて Google に怒っても仕方がないとは思うが、むしろ店側に怒る人がそのうちあらわれたりして。つまり、Google 検索結果で開店と表示されていたのに閉店だったことについて、店側にクレームを出したりするのだ。そんなことを想像すると少しワクワクする。そういう人は比喩ではなく本当に Google を信仰しているのではないか。そういう信者が増えたらと思うと、心配というよりも少しニタニタしたい気分になる。お粗末な政府よりも、国家に比肩する巨大企業に支配される方がよっぽど刺激的じゃないの、と思う。

この年末は、現実世界より Web上の大掃除のほうに時間を割いた気がする。PC(MacBook Pro Late 2013。6年もののオールド・マッキントッシュである) のファイルを整理したり、SNS で見なくなったアカウントを削除したり。 Twitter では、特定のクラスタの著名ユーザーを追加したリストがいくつかあった。そのうちの一つに、クラスタの内容とは無関係なユーザーが登録されていた。ツイートの内容はというと、高収入・人生謳歌マウンティング上等というようなもの。こんなマイクロブログでしか承認欲求を満たせないのかと、いささか呆れてしまう(他人のことは言えたものではないが)。薄ら寒い思いで、それ以外のリストもまとめて削除した。誤って関係ないユーザーを登録したのかとも思ったが、ひょっとすると、当時登録したユーザが就職後にアカウントを一新したのかも。作成したのが数年前だから、そういうことも有り得るだろう。時間の流れが人を変えたということもあるかもしれない。なんだか、「答え合わせ」をせずにタイムカプセルを捨ててしまったような気分で、少し残念に感じている。

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