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すべての自炊人がパスタを通るわけではないということ/リッツパーティは生きている

先週の土曜、学部時代の先輩の部屋に集まって鍋をした。彼はその鍋のために土鍋を購入したらしく、部屋に着くなり箱から取り出した。同時に用意したガスコンロも開封。

本体の見た目に、一同思わず半笑いになる。外見はラメ風の金色。豚しゃぶ専門店、それも国産豚肉を重箱に並べて出すような店で使用されるだろうリッチ感。ガスボンベの設置方法もレバーの上下で固定するのではなく、缶を直接挿入するタイプ。我が家の 8 年選手のコンロとはすべてが異なる。テスラで例えるとモデル 3 だ。

土鍋のほうはと言うと、我が家のそれを「 スターウォーズ EP4 冒頭でレイアやC3PO、R2D2が乗っていたクルーザー」とすれば「スターデストロイヤー」級の存在感。底が広くて深くて競輪場みたいになっている。説明書をたんねんに読むと、どうやら実際に使用する前に「目止め」をする必要があるとのこと。目止めは米のとぎ汁を使う必要があった。だが引っ越してきて日も浅く、普段そこまで自炊をしないという彼の部屋に米はない。そこで、偶然一緒に買っていたパスタの乾麺で代用することに。土鍋で水を沸かし、その後は塩の分量について各自の考えを述べる時間に入るかと思われた。

そこで先輩から衝撃の事実が告げられる。彼はこれまでパスタを茹でたことがないというのだ。彼の一人暮らし生活は大学入学からなので、既に 9 年目に差し掛かっているはず。だが実家の頃から合わせても、パスタを茹でたことがないのだという。乾麺とパスタソースという組み合わせは、今思えば悪しきコスパ主義の権化のように感じられるが、身近にそのくびきを逃れている人がいるとは気づかなかった。誉れ高い存在だ。考えてもみて欲しい。はじめての茹でパスタに土鍋を使った人が東京都に何人いるだろうか。100 人か 200 人はいるかもしれない。では豊島区ではどうだろう。5, 6 人にまで減るかも。では彼が住んでいる巣鴨駅周辺では? 1 人だけということもありえるだろう。パスタを茹でるという行為自体は相当にコモディティだが、土鍋で茹でパスタキャリアをスタートする人間はそういない。

意図せずして掛け算的な強みを得た、彼の自炊パスタ史の今後を見つめていきたい。パスタを茹でることを覚えた人が誰しも通る「鍋から出た麺をどのタイミングで水面下に押し込むか」問題についても、彼は着火 2 分後には思い至っていたのであった。そのスピード感よ。筆者がはじめてパスタを茹でたのはたしか 11 歳かそこらの頃だと思うが、2, 3度作ってようやく、小さい鍋でパスタを作るときは早いタイミングで麺を水面下に押し込まないと表面がカピカピになって美味くない、という知見を得たのだった。

土鍋の蓋が閉まるとしばらくは暇になる。普段ほぼ部屋のテレビを見ない生活を送っているが、たまに他人の部屋で見ると会話が弾むのでよい。「目のやり場」が用意されている空間は気が楽だ。目のやり場が特にない居酒屋で飲んでいるときなど、みんなの視線が「ねじれの位置」にある場合が多い。あれなど視線がさまよっているからだろう。だがテレビがあれば CM を通じて 30 秒ごとに別の話題が提示されるので、会話の口火も切りやすい。特に、何人かでツッコミを入れながら見るのが好きだ。画面の内側の人びとに取っての常識は、視聴者側にとっては非常識だったりする。たとえば沢口靖子が出ていた「リッツ」の CM。リッツパーティは現実世界では何回開催されたことがあるのか、あのパーティの真の目的は何なのか、あんなに明るい時間からリッツをつまんでその後の時間はどう過ごすのか、いや実際はネットワークビジネスの会合ではないのか、などなど口々に好き勝手なことを言いながら見たい。居合わせた別の先輩から聞いたが、今では「リッツ」もなければ「オレオ」もないのだという。いいサクサク菓子は死んだサクサク菓子だけだ。


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