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今朝平遺跡 縄文のビーナス 90:猿投山の方位石

愛知県豊田市猿投山(さなげやま)の猿投神社東の宮の表参道を登り口の東海自然歩道に降りて、東海自然歩道を西に460mあまり下り、猿投神社西の宮の社頭(表参道入り口)に到達しました。

愛知県豊田市猿投町 猿投山
愛知県豊田市猿投町 猿投山 猿投神社西の宮/御墓所/御船石

西の宮の社頭に到達すると、そこは谷底に位置しており、陽が陰り始めていたことから、体感できていなかったものの、撮影した写真には手ブレがあり、すでに薄暗くなっていたことが写真を見て解った。

愛知県豊田市猿投町 猿投山 猿投神社西の宮 表参道入口

石鳥居は東の宮とまったく同じ規格の石造伊勢鳥居。
社号標も「東」が「西」に変わっているのみだ。
異なるのは鳥居の笠木(屋根に当たる横棒)の上に小石が投げ上げられいることだ。
表参道は入口部分で東の宮では右(東)方向に向かっていたのが、西の宮では左(西)方向に向かっていた。
鳥居をくぐり、階段を登りながら熊対策でiPadでヘビーメタルの音楽を再大音量で流しながら登った。

西の宮は登り口から200mほどで、表参道途中では何も撮影することなく、拝殿跡前に到達した。

猿投町 猿投町山 猿投神社西の宮 拝殿跡/本殿

縁石で方形に囲った芝を張ったスペースがあるのは東の宮と同じだが、礎石の配置がコの字形ではなく、ロの字型に配置されている。
この拝殿跡も表参道入口脇に掲示されていた案内板によれば、「境内に観音を本尊とする寺が建っていました」とあり、元は観音堂だった可能性があるようだ。
本殿の設置された1.5mほどの高さのある土壇の石垣は拝殿跡の数メートル以内にあるところまでは東の宮と同じだが、東の宮が石垣の奥に配置されていたのに対して、西の宮の本殿は石垣のすぐ近くに配置されている。

本殿は銅板葺切妻造で向拝屋根が設けられている。

猿投町 猿投町山 猿投神社西の宮 本殿

この社殿も、やはり千木は外削ぎで鰹木は6本。
いずれも女神を示している。
本殿前で参拝したが、西の宮入り口の鳥居脇に掲示されていた猿投地域会議の製作した案内書『西の宮』には以下のようにあった。

猿投山の西の峯にあたる山頂付近の大字管取(かしとり)にあり、猿投神社を本社とする西方の奥の宮です。
創建は東の宮と同じ記録を残すことから、ほぼ同じ時期の平安時代後期と推定されます。
このお宮には南朝方の忠臣児島高徳(たかのり)が寄進した木の葉丸という長巻(太刀)があったと伝えられています。〜以下略

『西の宮』入口脇案内書(猿投地域会議)

そして、西の宮の主祭神を以下とする説がある。

●猿投神社本社
主祭神:大碓命
相殿祭神:景行天皇/垂仁天皇
●猿投神社東の宮
主祭神:景行天皇
相殿祭神:垂仁天皇/大碓命
●猿投神社西の宮
主祭神:垂仁天皇
相殿祭神:景行天皇/大碓命

本殿左手(西側)からは脇参道が本殿裏面の丘の上に向かっていた。
西の宮の裏面には長い石段が立ち上がっていた。

猿投町 御墓所 石段

石段の両側の地面には枯葉が重なって地面を覆い、潅木は痩せている。

石段を登りきると、すぐ眼前に高さ2.2mほどの石を装飾的に組んだ石塀が張り巡らされ、石段前に黒い鉄格子の観音開きの扉を持つ石門が設けられていた。

豊田市猿投町 猿投山 御墓所

大碓皇子の御墓所(おはか)だった。
石門のすぐ奥には石造神明鳥居が設けられている。
塀の奥に建物は見当たらず、多くの痩せた高木が幹を伸ばしているのみだ。

石門から鳥居越しに塀内を見ると、円墳があることが判った。

猿投町 猿投山 御墓所 円墳

裾からの標高は2mもない。
お神酒を用意して来ていたので、塀の周囲に撒いて、石門前で参拝した。
御墓所に関して猿投地域会議の製作した案内書『御墓所(大確命墓)』には以下のようにあった。

大確命は景行天皇の皇子で小確命と双子の兄弟といわれています。猿投山で蛇にかまれて亡くなった と伝えられ、これが縁で猿投神社の祭神として祀られています。
墓所は西の宮と隣接しており、石垣に囲まれて中は土盛の半円型になっています。土盛は七色の土を使って築かれ、棺は土器で作られたといわれています。なお、小確命は日本武尊として有名です。

『御墓所(大確命墓)』入口脇案内書(猿投地域会議)

この日は御墓所を最後に西の宮表参道を降り、東海自然歩道に出て、西の宮社頭から東海自然歩道を東に向かい、大岩展望台には下らず、東海自然歩道を辿って猿投神社総門脇に駐めた愛車に向かった。
東海自然歩道は御門杉(みかどすぎ)への登山道より道ははるかに歩きやすかったが、距離は3倍以上あり、最後は足の指がツッてしまうくらい疲弊した。
東海自然歩道を下る途中、自然歩道を取り囲む森の梢を吹き渡る風が、まるで、大蛇が樹木の梢を走り抜けているような感覚があり、山下達郎の「風の回廊」をiPadで鳴らしながら歩いた。

陽が途中で落ちてしまい、熊が怖いのもあった。
愛車に戻った時には完全に陽が落ちていた。
猿投山山頂に向かわなかったのは正解だったことになる。
この日はここから帰途についた。

ところで、地図を見ると、西の宮と東の宮を結ぶ脇参道の途中には「御船石」という表記のある場所があり、気になった。
それで、2012年10月の別の日に御船石だけを目的に猿投山に登ることにした。
この日は愛車で東の宮社頭直前まで一気に登り、尾根の東下の邪魔にならない場所に愛車を駐めて、2度目の東の宮の表参道を登って参拝し、東の宮から西の宮に向かう平坦な脇参道を歩いた。
森に囲まれた脇参道を450mほど歩くと、行く手に山道を塞ぐようにゴムボートのようなイメージの巨石があるのが見えた。

豊田市猿投町 猿投山 猿投神社東の宮・西の宮脇山道 御船石

巨石の脇は通り抜けられるようになっており、西の宮側に抜けると「愛知県国定公園 御船石」の道標が立てられていた。

猿投町 猿投山 猿投神社東の宮・西の宮脇山道 御船石

西の宮側から見ると同じ形をした石が平行に並んでおり、手前の石は中ほどで2つに割れているようだった。
その割れ目には雑草が繁殖していた。

2つの並行して並んだ石のスリットを見て、方位石ではないかと直感したので、iPadの方位計アプリで確認してみたところ、見事に東西を向いていた(下記写真左)。

猿投町 猿投山 猿投神社東の宮・西の宮脇山道 御船石

必然的に上記写真左の写真の右側の石の割れ目は南北を向いていた(上記写真右)。
この二つセットになった石は人為的に置かれたものであると思われるのだが、何を示すための方位なのかは不明だっだ。
開けているのは東方向だが、東方向には東の宮に向かう表参道脇の尾根が立ち上がっており、御船石から直接見えるものは他に存在しない。
地図上で御船石の示す東の延長線上に何かあるのか探してみたのだが、ピンとくるものは存在しなかった。

下記写真は御船石の巨大さを示すためにセルフタイマーで撮影したものだ。

猿投町 猿投山 御船石

この「御船石」という名称は「大碓命が乗って来た船が石に変化した」ことに由来するという。

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猿投山に円墳が存在することが分りましたが、猿投地区には他にも2ヶ所の石室に立入れる規模の古墳が存在しますので、紹介していきます。

     


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