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麻生田町大橋遺跡 土偶A 136:異体字は痛くない!

牟呂用水にの左岸に社地の沿っている豊橋市牛川町の熊野社に向かいました。

牛川町 熊野社の社頭は牟呂用水の流れている北側とは逆側の南側にあり、社頭に立っただけで風格を感じさせる神社だった。

表道路沿いには頭頂が頭巾型の社号標が有り、ただ「熊野社」と刻まれている。
基壇で嵩増しして大きく見せた常夜灯ではなく常夜灯本体が巨大で端正な一対の常夜灯が石畳の表参道の入り口に設置され、表道路から少し引っ込んだ場所に石造る大鳥居が立ち上がり、参道両側には濃い社叢。
鳥居から60m以内の突き当たりには瓦葺の拝殿らしき建物が見えている。

社頭東脇にある空き地に愛車を駐めて、表参道に入ると、目の前の大鳥居には珍しい牛蒡〆(ごぼうじめ)の注連縄が張られていた。

縄の中に芯を通してないと、こう真っ直ぐにはならないだろう。
そして、常夜灯の竿や石鳥居の親柱に下記写真のように異体字が刻まれていた。

常夜灯の竿には「吉田町」とあり(上記写真右)、続いて末尾に「“中”の縦棒に“ゝ”と“横棒”が追加された文字」が刻まれている。
「吉田町」はGoogleMapで検索してもヒットしないので、牛川町に併合された町なのだろうか。
石鳥居の親柱(上記写真左)には「米仲買」の文字の末尾に常夜灯の竿に刻まれた「中」の異体字の縦棒の右側の“ゝ”を“短い横棒”に変更し、縦棒の上側の左向きに“2本の横棒”が追加された異体字が刻まれている。
両方とも接尾語として付けられた「“中”と関係のある文字」なのだろうが、「御中」と同じで「“中”の異体字」も「個人ではなく、団体を対象にした」ことを示しているのだと思われる。
すなわち「吉田町+“中”の異体字」は「吉田町の皆様」というような意味だろう。
「米仲買+“中”の異体字」は「米問屋や農業に関わる組織の皆様」という意味だと思われる。
しかし、なぜわざわざ読めない文字にして付けるのか。
かつての神社関係に使用される文字は陰陽を整える(陽数と陰数を交互に並べる)ために「ゝ」や「横棒」を付け加えることによって、陰数を陽数に転換したり、その逆を行ったりしている。
自分の名前を陰陽に変換して良い(整っている)名前であるのかどうかチェックしてみよう。

山 乃 辺  時 久
 二   十     画
 陰   陰  

陰陽が交互に並ぶ理想的な良い名前です🙄
自分の電話番号やナンバープレートの数字もチェックしてみよう。
「264」(陰数のみ)とか「153」(陽数のみ)など、陰陽が片寄ったもの。
あるいは「2435」のように陰数と陽数に分かれると「割れる」を意味することになります。
しかし、熊野社の常夜灯と鳥居に使用されている異体字「中」に追加されている画数は「2」と「4」であり、両方とも陰陽を変更する目的で整えられたものではない。
別の理由で文字を整えたものと思われる。
私見に過ぎないのだが「御中」の敬称「御」を省略したことから異体字にしたのではないかというのが個人的な推測だ。

大鳥居をくぐり、表参道を40m近く進むと、並木を抜け、白い砂利を敷き詰めた場所に抜けた。

20mほど奥の正面にある拝殿は横に広い向拝屋根を持つ特徴のある社殿だった。
拝殿の両脇には3社の境内社が祀られているようだ。

拝殿前まで石畳を進むと、正面は3種類の板戸で締め切られており、軒下には鳥居と同じく牛蒡〆の注連縄が張られ、旗日ということで日章旗が掲げられていた。
拝殿前に上がって参拝したが、ここは祭神や由緒などの情報も黒御影石板碑に白文字で刻まれ、ちゃんとしている。

祭神に関しては以下となっている。

・事解男神 (コトサカノオ)
・速玉男神
(ハヤタマオ)
・伊邪那岐神
(イザナギ)
・伊邪那美神
(イザナミ)
・豊宇気比賣神
(トヨウケヒメ)
・建速須佐之男神
(タケハヤスサノオ)

事解男神は伊邪那岐神が伊邪那美神を追いかけて黄泉の国へ行き、穢れを祓った時生まれた神。
速玉男神は伊邪那岐神の別名ともみられるが、『日本書紀』では伊邪那岐神が吐いた唾から化成した神とされている。
何れにせよ 事解男神・ 速玉男神・伊邪那岐神・伊邪那美神 の4神は関わりのある4柱だ。
豊宇気比賣神は直接熊野権現と関係のない神だが、「由緒」によれば、江戸期に牛川町洗島(牟呂用水下流に位置する)にあった豊寿稲荷が合祀されており、その祭神だったのかもしれない。
建速須佐之男神は熊野権現の一柱、熊野家津御子大神(クマノケツミコ)の別名である。
そうなると、熊野権現の一柱の前に、関係のない豐宇気比賣神が割り込んでいるのが謎だ。
そして、事解男神が筆頭に祀られているのは珍しい事例だが、名前の「事解」は「事態を解決する」と受け取れ、これが筆頭に祀られている理由かもしれない。
別の神で同じ「コトサカ」という名称を持つ神が存在する。
一言で吉凶を判断する神として知られる一言主神の別名である言離神(コトサカノカミ)だ。
言離神と熊野権現は直接の関係は無いが、この二つの神々を結びつける者が存在する。
役 小角(役行者)だ。

本殿の様子を見ようと脇に回ってみると、本殿は堂々たる銅板葺流れ造で、幣殿、渡殿とも側面は美しい素木の板張りとなっており、渡殿のガラス窓も端正な意匠だ。

垂木(たるき)の木口は白くペイントされており、最小限のアクセントになっている。
本殿は1.5mほどの、まったく隙間の無い石垣上に設置され、社殿の周囲には砂利が敷き詰められている。
この神社を一言主神が判断するなら、一言「端正」と評するかもしれない😅

熊野社社殿の西側には熊野社側から「大国社」と「美霊社」が祀られていた。
下記は大国社だが、瓦葺切妻造の棟入の社で正面は格子戸が閉じられている。

軒下には素木に「大国社」と墨書きされた扁額が掛かっており、その下には短い牛蒡〆の注連縄が張られている。

格子越しに大国社の覆屋内を見ると、大国主命の素木の彫像を納めた宝形造の社が祀られていた。

社殿の東側に回ると、大国社と同じ規格だが、少し旧い秋葉社が祀られている。

秋葉社も覆屋内を見ると、規格外の奥行きの浅い檜皮葺(ひわだぶき)屋根を持つ珍しい社が祀られていた。

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こういう神社の社内にいるのは本当に気持ちが好い。住民の品性は、そこに祀られている神社に現れる。住宅用の不動産を買うならこういう神社のある場所が近隣住民とのトラブルも確実に少ないだろうし、地勢の良さもそのことに関与していると思われます。

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