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本刈谷貝塚 土偶 17:土版

愛知県刈谷市の本刈谷貝塚(もとかりやかいづか)から出土したものの中で、個人的に興味を惹かれたものは土偶の他に3点あった。今回はそのうちの1つ、土版を紹介する。

本刈谷貝塚土偶ヘッダー

本刈谷貝塚から出土した土版は破損しており、全体像がつかめないので、破損しているもの、完全なものを含む、各地の土版を以下の写真で紹介する。

1土板

『コトバンク』の「土版(どばん)」の項では、以下のように紹介されている。

縄文時代の後・晩期の板状土製品。東日本に多い。楕円形または長方形で,長径は6~15cmぐらいである。文様は磨消縄文や沈線文,また渦巻文など縄文晩期の亀ヶ岡式土器の文様などが施されている。土版の発生については,土偶が抽象化し,手足がとれて土版になったといわれている。用途は,穴のあいたものもあり,携帯に手頃な大きさであることから,一般に護符と考えられている。

土版は『コトバンク』の説明のように、楕円形または長方形ではくくれないほど、多様なものが存在し、すべてを「護符」としてくくるのも、とても無理で、出土した地方によって制作・使用目的は様々だと思われる。
本刈谷貝塚から出土した縄文時代晩期の土版が以下で、

2本刈谷遺跡 土版

上下に割れ、上部は失われている。
製作時に土版の肋骨弓(胸部と腹部の境目にある肋骨のこと)に当たる部分に幅2mmあまりの弓なりの沈線が入っていたと思われ、向かって右側はその沈線に沿って割れている。
左右に厚みのある刃物で入れた、1対の2つの切れ目が入っているが、おそらく、脚を記号化したものではないかと思われる。
最下部の不定形の穴は造形したものではなく、破損したものではないだろうか。
上部の失われた部分には胸部と頭部に当たる部分が存在したものと思われる。
問題は現在残っている部分に制作後に刻み付けられた傷だ。
実は土版の中には数を示すものが見つかっている。
以下の秋田県鹿角市の大湯環状列石遺跡から出土した土版だ。
https://blog.canpan.info/ncsyakyo-kagayaki/img/DSCN1421.JPG

この土版は上部に「口・目」、下部に本刈谷貝塚土版と同様、「両脚」が造形されている。
この土版は数を示す基準器ではないかというのが個人的な見解だ。
例えば鮭を売買する場合、目と左胸を指差せば、合わせて「6匹あるよ」と、現物を持ってきて見せなくても相手に伝えられ、売買が成立してから鮭を運んでくれば済むことになる。
数を示す土版の存在が一般に知られていたとすれば、私見だが、本刈谷貝塚土版の傷は出産時に何かをカウントするために刻み付けたのではないかとも考えられる。
例えば月の出入り・潮の干満・時刻などだ。
本刈谷貝塚土版の傷は以下のように制作後に刻まれ、数字は1から順に刻まれている。

3土板と数

例えば、D4とE5はB1を意識して後からB1と重なるのを避けて刻まれている。
Fの2と3は最後に、他の線と重ならないように刻まれているのが解かる。
A2のカウントの時にこの土版は上部と下部に割られた可能性が考えられる。

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上記、本刈谷貝塚土版に刻まれた数字の解釈は1つのアイデアに過ぎない。
他のアイデアを思いついた方は書き込みしていただければ嬉しい。

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