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麻生田町大橋遺跡 土偶A 139:洒落た欄干の舟原小橋

豊橋市舟原町の新町橋東側の側道橋から、牟呂用水左岸に沿った道をたどり¥、同じ新町橋の西側の側道橋に移りました。

新町橋の西側の側道橋上から牟呂用水の下流側を眺めると、右岸(下記写真右手)の護岸下にはプレーンなコンクリート高水敷が下流に向かって延びており、左岸の急な土手には灌木が茂っていた。

東岸には牟呂用水に沿って道路が通っているが、右岸には西新町公園が接しており、高木の針葉樹が目立っている。
牟呂用水の水路の90m近く下流に架かっている舟原小橋(ふなはらこばし)と、170m近く下流に位置する舟原橋の黒いシルエットが見える。
右岸遠景には牟呂松原幹線水路で初めての高層ビルのシルエットも見えてきた。

左岸沿いの道路を辿って、舟原小橋に移動し、舟原小橋上から新町橋側道橋を眺めると、右岸(下記写真左手)の公園には、牟呂用水沿いにピンク色のツツジが植えられていることに気づいた。

舟原小橋の近くの右岸の護岸と左岸の土手は同じ石垣になっている。
そして、左岸にも30cm幅くらいの高水敷が露出している。
左岸の土手にもモザイク画が装飾されている。

舟原小橋は牟呂松原幹線水路全体を通しても、お洒落な橋の一つだった。
橋の中央下流側のみ、橋から水面上に半円形状に張り出した展望所が設けられていた。

橋の路面は表面を滑り止め処理されたタイルが敷かれており、展望所から牟呂用水の下流側を見下ろしたが用水内は左岸(上記写真左手)の高水敷が2段に変化し、上の段が上流側と同じく、幅が30cmほど、下段は幅が50cmほどになっている。
左岸には豊橋市立中部(ちゅうぶ)中学校の白壁の校舎が見えている。
一方、右岸は用水路沿いの水色の鉄柵の束が30cm幅と細かくなり、並木の植えられた道路に沿って住宅が立ち並んでいる。
右岸遠景の高層ビルもシルエットでなく、立体になっている様子が見えてきた。

この展望所の欄干はコンクリート製の高欄(手摺)と地覆(土台)が古代中国の青銅器を縦に延ばして板状にしたような、ブロンズの洒落た意匠の束(柱)で結ばれている。

束はコンクリートの高欄・地覆(じふく:基礎)の灰色に合わせた青灰色になっているが、コンクリート製の高欄・地覆は風化が進み、束の雰囲気に合ってきている。

船原小橋から船原橋に移動。
下流側を見ると、すぐ先の太い柱を持つ中部橋(ちゅうぶばし)の欄干が見えている。

左岸の土手にもモザイク画が装飾されている。
右岸(上記写真右手)に見えていた高層ビルが手前のビルの陰に入り、魔目立たなくなっている。

モザイク画を右岸側から見てみると、2羽の水鳥と水の輪が2つモチーフにしたものだった。

こうしたプリミティブな絵は大人だと、描くのが難しい。
護岸壁も高水敷も水面も、すべて黒っぽいのに、モザイク画も黒の線と灰色で描かれている。
白は意図したものではなく、紙の白地なのだろう。
おそらく子供の描いた絵を元にして再現したものと思われる。

舟原橋から下流50m以内の中部橋に移動。
中部橋は橋長は10mあまりに過ぎないが、橋幅は50m近くある大きな橋だ。
橋上の歩道から上流側を眺めると、30mほど上流に草色にペイントされた水管が架かっている。

遠景にここまで見えていなかった山並みが見えてきた。
方向からすると、豊橋市市街地の東に位置する赤岩山の山並みだ。
上記写真右手が中部中学校。

中部橋右岸(上記写真左手)の牟呂用水沿いには赤紫の花が咲き乱れていた。

Googleレンズで調べると「ベーバナ」だというのだが、Wikipediaで「ベーバナ」を検索すると、「花弁は5裂する」と説明されており、一致しないのだが、特徴のある葉と花弁の色は共通しており、形態は幅の広い花だというので、「ベーバナ」で合っているのかもしれない。

下流側を眺めると、すぐ先に上談合橋が見えている。

用水路内は上流側と変化がない。
右岸(上記写真右手)の高層ビルが近づいてきている。
一方、左岸住宅の屋根越しには巨大な円錐形のモニュメントのようなものが見えてきた。

上談合橋から下流50mあまり下流の談合橋に移動。
橋上から下流側を眺めると、すぐ先の新中世古橋が見えている。

牟呂用水内と両岸に大きな変化は無いが、右岸(上記写真右手)の高層ビルと左岸のモニュメントの高さが近づいてきた。

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談合橋からJR豊橋駅ビルまで1.2kmです。都心の牟呂用水は暗渠になっており、談合橋から暗渠に入る前田町まで160mあまりに迫ってきました。


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