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麻生田町大橋遺跡 土偶A 42:頭頂の獣と太陽神

豊川市大崎町の桑谷日吉神社(くわがいひえじんじゃ)から西北西1.9km以内に位置する竜泉寺町の神明宮に向かいました。両地は県道326号線で結ばれているので、326号線を西北西に向かっていると、愛豊町の路肩に堂があったので、覗いていくことにしました。

愛知県内レイラインAM

県道326号線から左手の路地に入る脇に瓦葺切妻造妻入コンクリート造の覆屋があった。

愛豊町 観音堂

屋内には地蔵菩薩と馬頭観音(ばとうかんのん)が奉られていましたが、個人的に興味のあるのは馬頭観音の方なので、仮に観音堂と呼んでおきます。

愛豊町 桑谷日吉神社〜観音堂〜竜泉寺町 神明宮

観音堂には花立てに生花が生けられ、地蔵菩薩には涎掛けと帽子が与えられ、両菩薩の足元にはそれぞれ香炉・燭台・茶湯器が揃っていて、ちゃんと奉られている。
馬頭観音は県道326号線が旧街道であった可能性を示すもので、見かければ、すべてチェックすることにしています。
木造で大型の馬頭観音の場合は三面八臂(さんめんはっぴ:頭部が3つで腕が八本)が標準の像容ですが、小型のものはその姿で製作するのが難しくなり、破損しやすい石像はなおさらですので、何を省略して像容を整えるかは、製作者の腕と予算次第になります。
ここの馬頭観音は石造で、後背を背負っており、体と三面はほぼ丸彫りになっているが、八臂のうちの六臂は後背に微かな浮き彫りにしてあった。

愛豊町 馬頭観音/地蔵菩薩

丸彫りになっている二本の腕は馬の口を模した「馬口印」という印を結んでいる。
印はそれぞれの仏の内証(本質)を示すアイコンや紋のようなもの。
この馬頭観音は頭の螺髪(らほつ:上に突き出した頭髪)に馬頭が浮き彫りされているのだが、これまで馬頭観音の頭髪に馬に似た動物が彫られている例には遭遇したことがなく、バクに似てるなと思ったものが多く、私見では特定の動物であることを避けた結果、日本人の知らなかったバクに似てしまったのだろうと考えています。

馬頭

この馬頭は大きく明快に彫られており、その点では珍しい部類に入りますが、耳が太く、頭部では頭上部の横幅だけ太く、口先が細く、それが馬には見えない要素になっている。
「馬」という特定の動物ではなく、四つ足の動物全般を表現したものだと受け取っています。

愛豊町の観音堂前から、さらに県道326号線を西北西に辿ると、左手のガードレールで囲われた歩道から石段が立ち上がり、石段上に石鳥居と常夜灯が見えていた。

竜泉寺町 神明宮 社頭
竜泉寺町 神明宮/実相寺

社頭はまともに鬼門を向いている。
これまで、多くの神社に参拝してきたが、鬼門を向いた神社は片手に収まる。
最初の踊り場の右脇には「村社神明宮」と刻まれた社号標が設置されていた。

ガードレール内が広かったのでその中に愛車を駐めて石段を上がると、石段は3段に分かれており、石造明神鳥居は2つ目の広い踊り場に設置されており、上の石段ほど段数が多いことが判ってきた。

竜泉寺町 神明宮 鳥居

鳥居の笠木(一番上の横棒)の上には小石がいっぱい乗っており、縁起を担いで投げて乗せる習慣があるようだ。
最後の石段を上がると、奥に瓦葺の社殿があるものの、その前には1対の幟柱立てしかない広い空間が広がっていた。

竜泉寺町 神明宮 社殿

社殿の背後を暗い社叢が覆っていて、アマテラスを祀った神明宮としては珍しい雰囲気だ。
30m以内の隣には「実相寺」が存在し、元は神仏習合の地だったようで、寺院建築が流用されているように見える。
鬼門を気にしないで社頭にしてあるるのも、そのあたりが原因になっているのだろう。

拝殿は入母屋造平入で正面は舞良子(まいらこ)を通した板壁の中央に格子窓の付いた舞良戸が閉め立てられている。

竜泉寺町 神明宮 拝殿

拝殿前で参拝したが、『愛知県神社名鑑』によれば祭神は天照大神と猿田彦命の二柱。
天照大神と猿田彦命の関係は、それぞれ天津神と国津神だが、ともに神格が太陽神であることだろうか。
猿田彦命が太陽神とみられるのは、天照大神が伊勢にやってくる前から伊勢に存在した神であり、『古事記』には「上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす神」、『日本書紀』には「猿田彦の眼は八咫鏡(※山乃辺 注:鏡は太陽の暗喩)のように輝いていた」とあり、ともに太陽を示唆する記述がされているからだ。
ここ神明宮の創建は明らかでないが、安政二年(1855)八月と万延元年(1860)に本殿を改修した記録がある。

拝殿の左側に回ってみると、拝殿の裏面には幣殿、渡殿が連なり、1.2mほどの高さに石垣を組んで瑞垣を巡らせた中に瓦葺切妻造平入で白壁を持つ本殿覆屋が設置されていた。

竜泉寺町 神明宮 本殿(新撰所)

ただし、上記写真では本殿覆屋はほとんど樹木の枝葉で隠れてしまっており、露出しているのは本殿覆屋の左手脇に付属している神饌所だ。
神名宮には境内社や、猿田彦命以外の予想外のものは見当たらなかった。

上がってきた石段を戻ったが、途中、鳥居を抜けると目の前に竜泉寺町の畑地と小山が広がった。

岡崎市竜泉寺町

あくまでも穏やかな風土だ。

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伊勢の神宮内宮を総本社とする神明社系の神社は特別な目的が無ければ寄ることはありません。時間を取っても予想外のもの、不条理なものに遭遇する確率がもっとも低い神社だからです。総本社の方にはそうしたものが多く祀られていたり、存在するのにです。日本の各地に天照大神が勧請されて祀られるのは明快な理由があります。日本国家の安泰と豊穣を願うためです。そこに不条理な要素は必要なく、目的は明快で、天津神の太陽神だけに闇など微塵もありません。個人的に天照大神と関係がある事柄は日本国家の安泰と毎年ゴーヤを育てていることです。ただ、神社で実利的なお願い事をする習慣はなく、いつも生きられていることのお礼をして、「見せてください」と瞑目するだけです。映像系の人間なので。


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