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麻生田町大橋遺跡 土偶A 23:二つの白狐ヶ丘

豊川市小坂井町の五社稲荷神社拝殿から本殿に至る社殿は五社稲荷古墳上に設置されていることが判ってきました。

●麻生田大橋遺跡土偶A

1MAP五社稲荷古墳

五社稲荷神社の拝殿に上がって行く石段手前に並んだ千本鳥居の入り口脇に教育委員会の製作した案内書『五社稲荷古墳』が掲示されていた。

現在、五社稲荷社の本殿が建っている山が本古墳である。昭和56年にこの本殿を建設する時に発掘調査が行われた。その結果、直径32.5メートル、高さ約4.75メートルの円墳で、埋葬施設は木棺直葬と考えられる。墳丘内には多量の弥生土器が含まれていたことから、周囲の土を盛り上げて造られたことがわかった。埴輪や葺石、周溝など確認されていない。築造年代は本古墳に直接伴う遺物が出土していないためはっきりしないが、古墳時代中期と思われる。
本古墳は直径30メートル以上と大型であることに加えて、段丘の縁端部に立地し、豊川右岸に広がる広大な生産基盤である沖積平野を一望にできる。また、後の東海道と伊那街道が交わるという交通の要所に存在することなどから、被葬者は豊川右岸下流域一帯を掌握していた首長であっただろう。
本古墳の北東(奥の院の裏側)には直径17.5メートルほどの円墳である糟塚古墳がある。また、この付近は弥生時代中期から後期の大集落跡、欠山遺跡が広がっている。

2MAP五社稲荷古墳

上記地図は案内書『五社稲荷古墳』に記載された五社稲荷古墳・糟塚古墳測量図だが、神社の構造に疎い教育委員が製作したものらしく、拝殿の場所に「本殿」と、間違った記入がされている。

拝殿前の表参道から拝殿の東西両脇に別れた参道が本殿の裏面に当たる五社稲荷古墳麓に延びている。
五社稲荷神社の奥之院に向かう参道だ。
西側の参道を進み、五社稲荷古墳上から降るとすぐ、奥之院に向かう途中に瓦葺入母屋造棟入の稲荷社が1社祀られていた。

1境内社稲荷社

この境内社の前を抜けると山道両脇に朱の幟が立ち並び、その先に奥之院の石鳥居が設置されている。

2五社稲荷社奥之院

石鳥居の正面奥には瓦葺入母屋造平入の奥之院が祀られていた。

3五社稲荷社奥之院鳥居

奥之院前で参拝。
ここ五所稲荷神社は豊川市最大の伏見稲荷系稲荷社だが、豊川市には仏教系稲荷社の総本山である豊川稲荷が存在する。
地元の人たちがこの2社をどういうように使い分けているのか興味が惹かれるところだ。

奥之院前で東西に別れた参道は奥之院前でつながり円環している。
東側参道から奥之院に向かうと、こちら側の参道には千本鳥居が並んでいる。

4千本鳥居

この千本鳥居の入り口に立った時、参道から外れた右手奥に朱の帯が張られた階段があることに気づいた。
糟塚古墳(かすづかこふん)のある方向だったので、向かってみた。

そこには丘があって、丸太を並べた階段が設けられていた。

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朱の帯かと思ったものは手すりだった。
階段の上には何かが祀られている。
ここは糟塚古墳で間違いないようだ。

階段を登って行ってみると、コンクリート板を並べた短い参道が設けてあり、その先に石祠が祀られていた。

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使いの白狐像が置かれているので、ここも大鳥居の扁額にあった「白狐ヶ丘」なのだ。
石祠の裏面には小さな板碑が置かれている。
石祠になる前に祀られていたもののようだ。

石祠前から丘の下を振り返ると、奥之院の裏面が見下ろせた。

7奥之院

瓦葺の白壁や朱の幟が林立しており、拝殿と本殿がちゃんと別れた形になっていることが解った。

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「稲荷神社」と言えば伏見稲荷系の神社を指すことがほとんどですが、その主祭神は宇迦御魂大神(ウカノミタマ)となっています。「白狐」の正式な神名は「命婦専女神(みょうぶどうのめがみ)」とされていて、命婦専女神は宇迦御魂大神の眷属神(けんぞくしん)という関係になっている。「眷属」とは神の使いのことで、想像上の動物を含む動物が眷属となっていることが多いですね。
「白狐」の「白」は「White」ではなく「色の付いていないもの=神に仕える者」を意味するものだと思います。
伏見稲荷大社の眷属が狐になったのはウカノミタマ(宇迦御魂大神)の「」が「立派な食物」を意味する言葉であり、食物の神の総称である「御饌神(みけつかみ)」から「みけつ(御狐)」に転じたことによるものと説明されています。

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