見出し画像

麻生田町大橋遺跡 土偶A 156:水源はどこだ?

土偶の出土している豊川市の麻生田大橋遺跡(あそうだおおはしいせき)と、同じく土偶の出土している安城市(あんじょうし)の御用地遺跡を結ぶレイラインは乙川(おとがわ)とクロスしているポイントが4ヶ所存在しますが、その1ヶ所には乙川龍神めのうづ社が祀られています。そのことがずっと気になっていたことから、乙川を水源から矢作川(やはぎがわ)への合流点まで辿ってみることにしました。

以下が乙川龍神めのうづ社の記事(麻生田町大橋遺跡 土偶A 52)です。

乙川をGoogleMapで辿ると、岡崎市千万町町(ぜまんぢょうちょう)にある「ネパール喫茶 茶流香」というネパール料理店の北北東400mあまりの場所まで水路が表記されている(下記MAP「棚田」表記赤丸の場所)。

しかし、Wikipedia「乙川」で水源を探してみると「岡崎市東部の新城市との境に位置する巴山近くに発し、西に流れる」と説明がある。
その巴山の頂はネパール喫茶 茶流香の東南東1.5kmあまりに位置している。
そこで、名古屋市内から最短のコースと思われるコースを辿って乙川の水源らしきポイントに向かうと、茶流香のある側ではなく、水源と思われるポイントの北側に出た。
山中の、それでも舗装されている林道を辿ると、道路は続いているのに、途中で鉄柵のゲートが閉じられたりしていて、水源のあると思われる方向へは入って行けないようになっている。
それでも舗装路から細い未舗装路が分岐している場所があったので、未舗装路の入り口に愛車を駐めて、徒歩で未舗装路に入って行ってみると、山道の北側に湿地になっている場所(下記写真/上記MAP内「撮影地①」)があった。

この日は5月下旬のことだったが、湿地には杉を主とした枯れ枝が折れ重なり、緑といえば笹と苔しか見当たらない状況だ。
ただ、この湿地は乙川の水源ではなく、北側の豊田市に向かって流れる小銭ヶ入川(こぜにがいりがわ)の水源のようだ。
山道を挟んで、この湿地と反対側の上方からはこの湿地に向かって、もっと水の多い湿地が山頂に向かって続いていた。
おそらく、この湿地を辿って峠を越えれば、向こう側に水が下っていく乙川の水源がありそうなのだが、長靴でないと足を踏み入れられそうになかった。
それと、ここまでの状況から水源は私有地の中にある可能性が高いと思われ、頂きまでの距離もかなりありそうなので、湿地を登っていくのは断念して、南側の道路に回って、水源にアタックしてみようと、西に向かって林道を下り始めると、緑の雑草で覆われた場所があった。

あきらかに水分の多いことによる雑草と灌木だ。
位置的に、ここに降った雨は乙川に流れ込んでいる可能性が高いと思われるのだが、谷は深く、真下に降りていく通路は存在しない。

さらに林道を下ると、杉林の中に雨が降った時には水路になると思われる谷間があった。

ただ、緑の雑草はほとんど見えないので、普段は乾燥していることの多い場所のようだ。

さらに林道を下ると、明らかな水路にぶつかった。

だが、この日は水は干上がっており、川床は完全に乾燥している。
これが乙川の本流なのか支流なのかも不明だ。

さらに林道を下ると、ついに水のある水路にぶつかった。

両岸には笹と苔が見えるが、これまで姿を見なかったシダが繁殖している。
恒常的に水の流れている水路なので、乙川の本流である可能性が高いと思われる。

さらに林道を下ると、豊かな水の流れる水路にぶつかった。

なおも林道を下ると林道下を抜ける水路があったが、水はあるものの、流れていない。

乙川の支流だろうか。
シダも苔も少ないから、普段から水の多い水路ではないようだ。

さらに林道を下ると、初めて小粒な石で人為的に護岸された水の豊富な水路に行き当たった。

しかも水路に段差が設けられ、下側の水路は人為的に開削された用水路になっている。
これが乙川であることは後で確認できた。
陽当たりの良い場所には平地に見られる雑草が繁殖している。

同じ場所を上流側から撮影したのが下記写真だが、上記写真の足元は土管を埋めた暗渠があり、水の主体はその土管に流れ込んでいたが、この土管の中を通っているのが乙川だ。

暗渠手前には左に分岐する細い水路も設けられいる。

土管は開けた水田の最上部に位置するコンクリートボックスに通じていた。

コンクリートボックスからは最上段に位置する棚田に沿った幅40cmほどの水路に水が落ちているが、これが乙川で、コンクリートボックスには丸ハンドルの付いた小型の樋門が設置されている。
樋門からは小型のコンクリートボックスの中に水が落とせるようになっているようだ。
この日の千万町町の田は田植えが終わったばかりの状況で、その水面は明るい空と暗い森を映していた。

◼️◼️◼️◼️
乙川は下流にキャンプ場や徳川家康に由来する戦国模擬合戦が行われる河川敷が存在しますが、その始まりの状況は尾根から染み出す水分であることが推測できます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?