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麻生田町大橋遺跡 土偶A 52:龍神四柱

豊川市の山岳部に位置する萩町(はぎちょう)の熊野神社から、西北西12kmあまりに位置する山岳部の西の出口にある岡崎市の乙川(おとがわ)龍神めのうづ神社に向かいました。

愛知県内レイラインAG (乙川龍神めのうづ社)
レイラインAG (乙川龍神めのうづ社)

国道1号線を名古屋方面に向かい、藤川町黒土(くろつち)交差点から1号線を離れ2kmほど北上すると、「乙川龍神 めのうづ社 社務所」の看板の掛かった公民館のような大きな建物の前に出た。
なんと、藤川町黒土交差点から乙川龍神めのうづ社まで曲がりくねってはいるものの、1本の道路で到達してしまった。
その道路の突き当たりが砂利を敷いた乙川龍神めのうづ社の駐車場になっていたので、そこに愛車を入れた。
愛車を駐めると、社務所の裏面(北側)に3基の朱の鳥居があるのに気づいた。
下記写真が一ノ鳥居で、一ノ鳥居の奥に直角の向きに2基の鳥居が設置されている。

乙川龍神めのうづ社 一ノ鳥居

他には小さな社と常夜灯が見える。

一ノ鳥居奥の手前の鳥居、ニノ鳥居の前に立つと、正面に小さな春日造(かすがづくり)の社が基壇の上に祀られていた。

乙川龍神めのうづ神社

参道に当たる右手に設置された常夜灯には「めのうづ」と刻まれ、この小さな社が乙川龍神めのうづ社らしい。

乙川龍神めのうづ神社

社前で参拝したが、現場に乙川龍神めのうづ社に関する板書は見当たらず、『〜Destiny 癒しの御朱印巡り〜 媛うさぎ』というサイトに祭神と沿革が紹介されていた。
https://ameblo.jp/sakurazaka128/entry-12556825706.html

【御祭神】
市杵島姫神(※イチキシマヒメ)
田心姫神(※タキリビメ)
湍津姫神
(※タギツヒメ)

鏡山神社の元の宮として昭和47年に遷宮された神様は諸事情により平成23年、対岸のおのうづにお移りなされた後市杵島姫神を宗像大社より御分霊。新たに乙川龍神「めのうづ社」として平成26年5月に再建したのがはじまり。                        (※=山乃辺 注)

地図で見ると、乙川龍神めのうづ社は川岸に位置しているが、社前からは川は見えない。
鏡山神社は、ここから東北東3.3kあまりの乙川対岸に祀られているが、乙川からは250mあまり離れた場所だ。
現在は「おのうづ」、「めのうづ」という地名は残っていないようだが、「おのうづ」の鏡山神社は秦梨町向補化(はだなしちょうむけぼけ)、「めのうづ」の乙川龍神めのうづ社は岡町神明西に位置している。
「おのうづ」&「めのうづ」の意味はネット上にも情報が無く、「雄の渦」&「雌の渦」なのだろうか。
それにしても、レイラインAG上に遷座してきて、宗方三女神が祀られたのは平成時代という新しい神社だ。

そして、社務所と比べて、あまりにも小さすぎる社だ。
社務所を拝殿のような位置付けにしているのかもしれない。
上記の沿革を知るまでは、当初「めのうづ」は「目ノ渦」かもしれないと考えていた。

この社の基壇の麓には拝石が設置されていて、その上に八角形の分厚い板を敷いて、白い石英のブロックが置かれていた。

乙川龍神めのうづ神社 石英片

「目ノ渦」を想定した後、七宝の一つに数えられるメノウは石英の空洞内で形成される石なので、石英片が置かれているのは「めのうづ」が「メノウ」に由来する名称であることを暗示しているのだろうかとも考えていた。

社と石英片の置かれた拝石は縁石で囲われたプール内に敷き詰めた砂利の中に設置されているが、全体の砂利は細かな白い砂利なのだが、社の後部にだけ黒い大粒の河原石が敷き詰められており、河原に透明な水が流れている縁を連想させるものだった。

乙川龍神めのうづ社 砂利

もう一つの朱の鳥居の前に立つと、鳥居の先には緩やかな下りの石段が設けられ、石段の下は潅木で覆われている。

乙川龍神めのうづ神社 遥拝所鳥居

鳥居をくぐって短い石段を降りていくと、潅木の根元を通して水面が見えた。
乙川なのか、池でも存在するのか。

乙川龍神めのうづ神社遥拝所 乙川

石段下に降りると、水面は池ではなく、乙川であることが認識できた。
石段下から通路は右(東)に折れ、すぐに左(北)に折れて下っていく階段が設けられている。

さらに石段はその先でUターンして下(南)に向かっているのだが、その石段を藤づるが這い回っていた。

乙川龍神めのうづ神社遥拝所 石段/藤づる/水面

上記写真の左下が川面だが、石段の途中で気がつくと、藤づるは乙川から立ち上がっている崖の全面をツルが這っていた。

乙川龍神めのうづ社遥拝所 乙川の淵

階段の途中から見下ろす川面は青空に、こちら岸と対岸の樹影を写している。

乙川龍神めのうづ神社 遥拝所鳥居跡

『〜Destiny 癒しの御朱印巡り〜 媛うさぎ』のサイトによれば、この淵には八大龍王に関する伝承があるようだ。

藤づるの這う石段の先は左手(北東)に向かって折れており、石段の行き止まりには、鳥居の根元跡ではないかと思われる柱跡が残っていた。
ネット情報ではこの場所を「遥拝所」としているが、乙川の淵を神体として遥拝しているのか、現在の鏡山神社を遥拝しているのかが不明だ。
ちなみに鏡山神社の祭神を調べてみたがこの神社には「鏡山弁財天社」という名称だった時代があるようで、仏教系の「弁財天」だったのだろうが、乙川龍神めのうづ神社が遷座したのを機に鏡山神社とその元宮である乙川龍神めのうづ神社ともに神道系の宗方三女神の分霊を受け、「鏡山神社」となったようだ。

遥拝所の脇に岩が突き出ていたが、岩をよく見ると石英だった。

乙川龍神めのうづ神社遥拝所 乙川/石英

乙川龍神めのうづ社前に置かれた石英はここから採取したもののようだ。

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ところで、小生は社務所は覗いていませんが、『〜Destiny 癒しの御朱印巡り〜 媛うさぎ』サイトには社務所の中に罔象女神(ミズハノメ)を祀った井戸があることが紹介されていました。社務所前の水の無いプールは罔象女神と関係があるのかもしれません。
罔象女神が祀られているのはレイラインAG上では二つ前の記事〈麻生田町大橋遺跡 土偶A 50:『君の名は。』&シリウスとの関係〉に続いて2ヶ所目になります。

https://note.com/38rashi/n/n3e5f58e5e3f2

さらに、『御神木 よみがえり桜の由来』板書が存在しているようで、その板書によれば、宗方三女神がここに祀られる前に六所弁財天の昇神の儀が行われたようです。つまり、乙川龍神めのうづ社になる前には六所弁財天だったことになります


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