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麻生田町大橋遺跡 土偶A 124:幹線水路と水神

牟呂松原幹線水路(むろまつばらかんせんすいろ)は黒谷神社のある石巻小野田町までは豊橋市を流れていましたが、黒谷神社脇から下流20m以内で豊川市三上町(みかみちょう)に入りました。この部分では豊橋市と豊川市が入り組んでおり、牟呂松原幹線水路はわずか790m以内だけ、豊川市三上町を流れています。GoogleMapも豊橋市に存在する権現山古墳のうち、1号墳の方のみ、住所の情報を「豊川市」に間違えています。私も地元のnoter鈴木超世志氏に指摘していただくまで、GoogleMapに騙されていました。

三上町上石切にある権現橋上から下流側を見下ろすと城下排水樋門で姿を消した用水路は姿を消したままで、水路には牟呂幹線水路と松原幹線水路の2本の水路しか見えない。

上記写真右手の道路が県道69号線。
幹線水路の行く手には80m以内の68号橋、90mあまり下流に高架の三上橋(31号線)が幹線水路を渡っている。
三上橋は主に豊川に架かった橋で、県道31号線につなぐため、県道31号線脇下を流れる牟呂松原幹線水路上を通っている。

上記写真に見える68号橋に移動して橋上から上流側の権現橋を眺望したのが下記写真だ。

右手の土手の上を三上橋で豊川東岸に渡って来た県道31号線が南北に通っている。

68号橋上から下流側を見ると、すぐ上を鉄筋コンクリートの橋桁を持つ三上橋が通り、その向こう側50m以内に位置する69号橋が見えている。

69号橋に移動して上流側の三上橋とその向こう側の68号橋を見る。三上橋の南側(上記写真手前)は69号線沿いの住宅は姿を消しており、牟呂松原幹線水路は69号橋すぐ上流で少しカーブし、真南に方向を転換している。

69号橋上から下流側を眺望すると、69号線沿いは深い森が続き、牟呂松原幹線水路は240m近く一直線に南に向かっており、下流側に位置する橋は見えない。

牟呂松原幹線水路は直線のまま、69号橋の下流180mあまりで豊川市を抜けて豊橋市に移っている。
牟呂松原幹線水路は69号橋の下流450m以内で橋ではなく、長さ40mあまりの暗渠を抜けていた。
この暗渠は豊橋市石巻本町別所に位置している。
この暗渠で下って来た69号線と31号線の標高は一致し、69号線は31号線に取って代わっているのだが、ここまで69号線と31号線が並行して走っていることから、影になっている形の69号線側で69号線に代わって幹線道路になっている31号線のネズミ捕りをしていた。

ネズミ捕りをしている官憲の方々の脇で暗渠を撮影するというのも怪しいので、暗渠の撮影はスルーした。

暗渠から顔を出した牟呂松原幹線水路に用水路は見えず、下流60m以内に別所橋が存在した。

別所橋上から上流側を眺望したのが下記写真。

右側(左岸)は森、左側(右岸)は畑地となっている。

一方、別所橋すぐ下流で7mほどの幅のあった牟呂松原幹線水路は半分の3.5mほどに狭まり、上記写真では見えにくいのだが、幅1mほどの用水路が復活している。

用水路復活を契機に水路は南南東に方向を転換している。

別所橋から320mほど下流にある宮下橋に移動した。
69号橋から石巻本町別所の暗渠まで、橋が存在しないのは左岸の標高が高くて、架橋しにくい地形だからだが、石巻本町別所の暗渠以降、橋間が開いているのは、両岸の人家が少ない地域であることを示している。
人家が少ないのは牟呂松原幹線水路の東側に権現山の尾根が延びているからで、権現山の西の麓部分のみ、幹線道路(県道31号線)と牟呂松原幹線水路が東西入れ替わっている。

宮下橋上から上流側を眺望すると、権現山を迂回し終わった牟呂松原幹線水路と左岸側(上記写真右端)の用水路はほぼ等幅に変化し、蛇行しながら南下している。

宮下橋のすぐ上流右岸に水路に降りるためのステンレスパイプの階段と手すりが設けられている。

宮下橋下流すぐの左岸は広場になっていて、東向きの水神石碑が祀られていた。

石碑には「水神」とのみ刻まれている。

この水神に関する情報は見当たらない。
石碑の焼け方から察するに、1968年に牟呂松原幹線水路が完成される前から、この周辺に祀られていたものと推測できるが、牟呂松原幹線水路ができたことで、埋め立てられた溜池が存在したのかもしれない。
その可能性を感じるのは、ここから北西200mあまりの場所につながっていたと思われる2つの溜池が存在しているからだ。

水神背後の牟呂松原幹線水路を見ると、2つの幹線水路と用水路が等幅で通過しているが、直後に用水路だけが半分の幅にすぼまり、まだ蛇行は終わらずに南西に向かっている。

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牟呂松原幹線水路からみると、豊川市と豊橋市の区分が入り組んでいるのは権現山の北側半分が豊川市に、南半分が豊橋市に区分されているからでした。牟呂松原幹線水路は権現山の北半分の麓を通り過ぎると、以後は豊川市内から他市に移ることは無いようです

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