学生時代の話

前回に引き続き、フォロワーの方がリプライでくださったお題について書きます。

藤田うなさんありがとうございます。
私の人生のことなどを聞きたいと言ってくれる人がこの世にいる、
それだけで私の心 ミタサレテユク


小中学校はしあわせじゃないことの方が多かったです。
楽しかった時のことを思い出すとカラフルな映像で蘇るんですが、
あの頃いた教室を思い出そうとするとどうしても灰色になります。
夏も過ごしたはずなのに、なぜか寒い廊下や冷たい机しか思い出せない。


たしか小学1年生の頃、ミルモでポン!が流行っており、
友達に「妖精が結婚式をやるらしいから見にいこう」と誘われました。

2人で近くのマンションのロビーに行って、
妖精が見えるというテイで
「わぁきれいだね」「かわいいね」「おめでとう」など
言い合ったのです。

側から見れば、マンションのロビーの床をすごく褒めている小学生です。

その後、友達が「私たちも妖精と暮らそう。」と言って、
「名前何にする?」と言いました。
私は、自分の妖精にハッピーと名付けました。

それから、ハッピーと暮らす日々が始まりました。
家族で買い物に行けば「これハッピーに似合いそうだね」と話しかけ、
私にはどの服が似合うと思うかをハッピーに尋ね、
ハッピーが妖精の友達を紹介してくれれば「はじめまして」と挨拶し、
私が悩んでいる時はハッピーが慰めてくれて、ハッピーが悩んでいれば私が励ましました。

それから1年後、
ハッピーにはラッキーという恋人ができており、
2人は”うまか”という、喋る小さな馬を飼っており、
そして私には、”みかん”というもはや妖精ではない等身大の友達ができ、
みかんは”うまんぼ”という2頭身の馬と暮らしていました。
(当時なぜか馬が大好きだった)

そして私はハッピー達の住む妖精の国の王女になっており、
妖精の国へはドアを使って自由に行き来ができました。
妖精の国で何か事件があれば私がすぐに駆けつけましたし、
色々な妖精がこちらの世界にも遊びに来てくれました。

ハッピーは芸能人的存在になっていて、妖精の国で放送されるドラマなどに出ることがあり、私もそれに出ていました。

そして学校の帰り道でも授業中でも妖精達と話し、
妖精達の暮らしの日記を描き、常に妖精を目で追っていたら、
変な奴というカテゴライズをされ始めてしまいした。


ある日、図工の授業中、図工室の壁に貼ってある靴のデッサンを見て、
上手なのに「下手だな」と心の中で言ってしまったことがありました。
その時、なぜか、
「私が心の中で「下手だな」と唱えたことにより、
みんながあの絵を見ても「下手だな」と思うようになってしまったのではないか」という妄想に取り憑かれ、
「あの靴の絵上手だよね?」とわざわざ目の前にいたクラスメイトに聞くと
「え?…あぁ、まぁ、うん」と微妙な反応だったので、
「あぁ、完全に私の心の声によってあの絵が下手なものに変わってしまった」と思ったのです。
それから、私の心の声が世界に反映されてしまうと思い込み、
思ってもないこと(例えば「〇〇いなくなればいいのに」など)を心の中で言ってしまった後、首をブンブン振って取り消す癖がつきました。

合唱コンクールのリハーサルで、自分の伴奏がきっかけで歌がズレました。

家庭科の授業のために持参したバナナが、熟れているだけなのに腐っていると言われて大泣きしました。

夜、泣きながら眠ると翌朝目が腫れて、いつもの二重から一重になって顔がだいぶ変わってしまうので、登校したあとずっと顔を伏せて目を擦り続けていました。

友達と交換する手紙に猫の肛門の絵を描きました。「塗り絵だよ!塗ってね」と書き添えました。楽しんでくれると思っていたので、後日、その友達が色を塗ってないことを知り心底ショックを受けました。

鬼ごっこしていて転んで足が血だらけになっても保健室に行かずそのまま教室に帰りました。みんな見てくれ、と思ってました。

美味しい給食を口の中に残して、掃除の時間噛み続けました。

バレンタイン、好きな男の子にあげようと思って、油粘土で巨大なハートを作って、冷凍庫で凍らせました。溶けるとまた柔らかくなると知って渡すのをやめました。

親の転勤がきっかけで、4回ぐらい転校しました。

授業中なのに机にでっかい銀魂の絵を模写しました。

カラオケで早口のアニソンばかり歌いました。



友達がいなくなりました。
「私の好きな男の子に色目を使ってるでしょ」とか、「先生にえこひいきされてる」とか、「服をパクってる」とか
ベタな陰口も言われましたし、毎朝教室に入るのが本当に苦痛でした。



でも、私には妖精の国があるから大丈夫でした!

私にはハッピーがいて、ラッキーがいて…
妖精達と話せるし遊べるし、学校に友達がいなくたって何の問題もない!



本当には見えていないことを知っていたので、
七夕で短冊に「妖精が見えるようになりますように」と書いてつるしたことがあります。

休み時間はトイレの銀パイプに映って歪む自分の顔を見て楽しんでいました。


でも、その頃始めたブログがとても楽しかったのです。
絵日記を描いたりしていて、見てる人は少なかったけどたまにコメントなどがつくとめちゃくちゃ嬉しい。
あとはずっと漫画を描いていて、学校が苦痛でも漫画の設定を考えていればどうにかなる。
とにかくそれらの世界が私の楽しみのすべてでした。

中学も友達は少なくて辛いことのほうが多かったけど
相変わらずブログの更新が楽しみでした。

あと、オードリーにどハマリしてずっと追ってました。

そして志望していた高校のデザイン学科に受かりました。絵を描いたりなにかをつくるということを生業にしたかった。

この3年間が、めちゃくちゃ楽しかった。
出会えてよかったと心底思える面白い人たちがたくさんいて、そしてみんながそれぞれ才能をもっていて、
自分の才能のなさに落ち込むこともあったけど、
頑張らなきゃと思えて、毎日があっという間で、
メキメキと明るくなりました。

小中学校のクラスメイトだってきっと面白くて色々な才能がある人たちばかりだったと思うけど、嫌なことが多すぎて、そういうことに気が付く余裕がなかった。

学校に心許しすぎて机に弁当置いて寝てる。食えよ

ハッピーたちがどんどん薄くなっていって
やがて見えなくなりました。


その頃、好きで読んでいたオモコロさんがオモコロ杯という大会を開催しており、蛇使いだったけど自分が蛇になっちゃうみたいな(なんだそれ)ブログなどを書いて応募しました。
あぐ味というよく分からない名前で……。

ある日、ツイッターのフォロワーがめっちゃ増えており、何事!?と思ったら、私の記事をツイートしてくださった方がいて、それがたくさんリツイートされていました。
そして、糸井重里さんが、ツイッターで私のブログに触れてくれました。
この日のことは忘れない、本当に本当に嬉しかった…

でもオモコロ杯は落選しました。

落ち込んでいたら数日後、オモコロさんから連絡があり、
会いに行くと、記事を書かないかというお誘いでした。
この日も忘れない。めっちゃ嬉しかったし、
それからの日々は夢のようでした。

ただ、インターネットで記事を書いてる人たちだから、私みたいに暗くてごもごもしてるだろうと思ったら(すごい偏見)
全然そんなことない、オシャレで、記事みたいな面白いことを実際に言い続けるすごい人たちで、
自分が本当に暗くてうまく喋れなかったのが今思い出してもちょっと恥ずかしい。

NHKの番組にブロガーとして出たりと、本当に「なにこれ?」みたいな日々でした。私がブログを書いてる様子とか、なんか専門家の人が私のブログを考証してくれてるのがテレビで流れてるのを母と見て、すごい世界線に来てしまったと思いました。

一方、映像の授業が楽しかったり、芸人が好きだったりで、
テレビの仕事がしたいなと思うようになり、
大学は日芸の放送学科を選びました。

受験勉強だなんだとなかなかブログとか書けなくなり、
締め切りを守れなかったり雑になってしまったりでオモコロの方々に迷惑をかけた記憶があります。本当に申し訳なかったです。


大学に受かって、漫才とかやりて〜と思って落研に入ったら、
全然、超真剣に落語をやらされて、
大学生活の7割ぐらいが落研になってしまいました。

放送学科は有志で文化祭などに向けて番組を作ったりするのですが、
それにも参加せずずっと落語をやってました。
みんなテレビ番組作ったりバーベキュー行ったりしてるのに
なんで私はずっと江戸時代の人演じてんだと思わなくもなかったですが、落研の人は面白くてとにかく楽しかった。ずっと部室にいました。

でも、落語中の、登場人物の会話の間合いがうまくできなくて、
「会話になってない、学生時代友達いなかったでしょ」
と稽古で言われたことがあり、そういうの分かっちゃうんだなと思いました。

ずっと下手でしたし、枕話でスベったり、めちゃくちゃ怒られて地獄でしたが、先輩たちに鍛え上げられて、
四年目になって全国大会で優勝できました。
トロフィー持ちながら、なんでこんなことになったのか、意味が分かんなかったです。


胸に手を当てていますね



そんな学生生活でした。
小学生のときの自分に、
楽しい未来があるから頑張って!と言いたいです。




嘘。

未来の自分に頑張ってと言われたって、
今、今生きてるこの時間が辛くて、
この辛い毎日はこれからまだしばらく続いてくんだし、
大人になったら別の生きる場所があるなんてこと分かってんだよ、それでも今が嫌なんだよ、バカ!
と言い返して鬱屈とした日々をまた濁った川を泳ぐように生きてくことでしょう。


この記事を書きながら、妖精が見えてたときどんな感じだったっけなと思って
7年ぶりぐらいにハッピーに会いました。

寒いねと言っていました。



(今は元気にテレビディレクターの駆け出しをやっています!)

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