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【研究ノート:天野氏】序 伊豆の国市天野

母の旧姓は天野といい、先祖は維新時まで旗本であった。松平氏が西三河を支配し始めた最初期に従った一族で、元は遠江の犬居城主だった遠江天野氏の出だという。
遠江天野氏は、頼朝の挙兵時より従った天野遠景を始祖とする。
天野氏は一般に藤原南家為憲流といい、遠景の父・藤原景光が伊豆国田方郡天野郷(現静岡県伊豆の国市天野)に住んだことから天野を称したのが始まりとされる。

自粛が始まる前の2月末、初めてその地を訪ねてみた。

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天野氏の本貫、伊豆の国市天野。以前は伊豆長岡町天野であった。
ご覧の通り狩野川が流れているくらいで特に何もない地区である。強いて言えば、天野柿の産地だ。生産量が少なく、市場には殆ど流通しないらしい。

この地が何故「天野」というのかは判っていない。和名類聚抄に既に「天野郷」の名が記されているから、平安中期にはそう呼ばれていたようだ。

ここへ向かう目標物として最適なのが、すぐ北にある順天堂大学医学部附属静岡病院。ドクターヘリを運用している県東部の救急医療を担う大病院…と思いきや、外観は意外とこぢんまりとしている。ヘリポートのドクターヘリがやけに大きく見えるくらいだ。拡張増床工事をしていたから、近い将来にはもっと大きくなるのかもしれない。

長岡から天野にかけては西側がちょっとした山で、その山に沿うようにうねる県道129号を北から向かっても南から向かっても、かなり近付かないと病院は見えない。が、見えれば建物にはっきりと「順天堂」と書かれているのでそれと判る。

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県道129号を南下し、順天堂を過ぎて少しすると、天明山東昌寺がある。
東昌寺の門前に立てられた市教育委員会の看板にはこうある。

東昌寺と天野遠景
 本寺は天明山東昌寺と称し、浄土宗に属している。本寺に現存している「薬師如来縁由記」によると、はじめは、ここより三〇〇メートル南方にある「薬師の段」と呼ばれる高台に、天野遠景が建立した薬師堂であり、真言宗であった。僧智源法師を迎え、遠景が崇拝した薬師腹籠を安置したものであった。その後、慶長二年(一五九七)、僧信誉が薬師の段から現在地にに薬師像を移し、遠景の娘萩野氏が念じていた行基作の阿弥陀如来を本尊として、建立されたのが本寺である。現在、本寺には遠景、子の政景、弟の光家の位牌と共に遠景自身が彫刻した毘沙門天像や馬の像が現存している。
 薬師の段には、遠景・政景・光家の墓が今も並んでいる。遠景は、治承四年(一一八〇)、源頼朝が韮山で挙兵した当初より頼朝に仕え、数多の功をたてた武将である。西国での平家討伐の際、遠景は流れ矢を受け、傷に苦しんだ。このとき、現れた異僧より聖徳太子の作といわれる薬師腹籠の像を贈られた。遠江は、この像を身辺よりはなさず、当地に持ち帰り、薬師堂に安置した。これが、先に述べた薬師堂の本尊である。

保存されている位牌は安政3(1856)年に尾張家代々の家臣である天野藤十郎宣重が納めたものという。徳川に従った天野氏の中には、尾張徳川家に附けられた家が複数確認できる。「塩尻」の作者である国文学者天野信景の家系もそうだ。水戸家に附けられた家もある。

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東昌寺の先に八幡神社があり、その少し先の酒屋の角を曲がって路地を山の方へ向かうと、天野遠景の墓の案内板がある。脇の階段を登った先が薬師の段で、ここにあるのが、遠景、政景、光家の墓とされる小さい宝篋印塔である。宝篋印塔は、鎌倉の「やぐら」をごく小さくしたような浅い掘り込みに納められている。中央が遠景、左が政景、右が光家の墓とされる。

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現存する墓は、鎌倉時代に遡るようなものではないだろう。彫られた紋は「丸に荒枝付三本松」だろうか。恐らくは薬師堂がここから東昌寺へ移されてのち、遠景を祖とする天野氏の誰かが建てたのではないか。その天野氏の紋が「丸に荒枝付三本松」だったのだろう。天野氏には松紋が多い(うちもそうだ)が、その始祖たる家系の紋に荒枝のような装飾は付かないはずだ。
卒塔婆の施主は「天野区」であった。現在、天野の地には天野姓の者はいないらしい。

順天堂向かいの最明寺には、執権北条時頼が分骨されている。
川向こうの韮山には頼朝配流の地とされる蛭ヶ小島があり、北条氏邸跡もある。
頼朝が配流された地は当時の記録には伊豆としかなく、蛭ヶ小島というのはあくまでも伝承である。吾妻鏡には蛭島と書かれているらしい。昔は狩野川の中洲であったか、小高い丘のような土地だったのだろう。

ともかく狩野川が北流し、富士山を仰ぎ見るこの辺りで、頼朝と政子が出会い、遠景は頼朝に従ったらしい。
鎌倉前夜ともいうべき土地。

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行きは伊東市消防の救急車、帰りは順天堂から飛び立つドクターヘリを見た。今は伊豆の救急医療の最前線。ここより南に三次救急病院はない。
今も昔も要の地なのだろう。

流刑地になるほどの僻地。
そんな場所から歴史が動く。
でも毎日毎日あんな富士山見てたら、天下くらい取れるって思うかもね。


先祖天野氏について研究を進めています。
少しずつ、判っていること、判ったこと、思うところ、考えたことなどを書き留めておこうかと存じます。

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