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一生を共にした愛おしい家族

愛犬が虹の橋を渡ってほんの少し時間が経った。

noteを書くのはいつも、気持ちの区切りや想いがまとまった時が多いけれど、このことばかりは途中も完結もない。
ただ日々のまんなかで感じたことをそのまま綴っておこうと思う。

まだまだ不意にとてつもなく寂しくなったり、泣いたり、悔いがあったり、愛おしく想ったり、会いたくてたまらなくなったりして過ごしている。

大好きな匂いが残っているタオルケットは手離せないし、嗅いじゃうし、それでまた胸がいっぱいになるし、自転車のブレーキ音やそれに似た音が聞こえると、泣き声と勘違いしてはっと飛び起きてしまう。

ペットシーツやおむつはまだたくさん余っているのに、日用品だったそれらは思い出のものとなり、彼女だけがいない。

こんなにも「居ない」が強いなんて。
14年間ずっと一緒にいた母にとってはもっとたまらなく寂しいだろうと思う。

気づけば家のいたるところに写真ばかり飾っている。

最後の夜

動物は、あちらに行くタイミングはじぶんで決めると聞いたことがあるけれど、本当にそうかもしれないなと思う。

夜はいつも私と犬のふたりだったけど、その日はなんとなく「今日は3人で一緒にいようよ」と初めて母に言い、夜通しぴったりくっついて揃って看病していた。
ほとんど眠らない日が続いていたのと、母もいて任せられる安心もあってか、朝方わたしは深く寝入ってしまい、そしたら犬も不思議と同じようにその時間すうすう眠っていたと後から聞いた。
それまでずっと泣き叫んだりとても苦しそうに呼吸していたから、少しでも寝られてよかったと話していて、

それから数時間後だった。

お互い大好きだったね、大好きだよと言っているような挨拶をしてくれて、旅立った愛犬。
最後いっしょに並んで寝たんだ。という思い出まで作ってくれて、なんて可愛い子なんだろうと思う。

お空に行く日、おやつをたくさん持たせたから、うきうきピクニック気分で虹の橋を渡っただろうし、天国の入り口にはおばあちゃんが迎えに来てくれていて、にっこり初めましてをしただろうし、そして今頃ふたりで楽しく過ごしていると思うと気持ちもすこし和らぐ。

どれだけ寝不足になっても、ひたひたに疲れてもいいから、もう一度目が合いたい、抱きしめたいなと思う時もあるけれど、それでもやっぱり、もう苦しくないからそれがいちばんだと思い直して、今を過ごしている。

一生を共にした。

妹のような姉のような子供のようなおばあちゃんのような存在だったのは、一生を共にしてくれたからなんだとあらためて思ったり、
私たちの元に来てくれてありがとうという言葉は本当にそのとおりで、とてもとても大切で愛おしい家族であり、美しい愛情を人生にもたらせてくれたことに感謝でいっぱいだ。

まだまだ寂しくぼんやりしてしまうけれど、母と写真や動画を見ながら、「可愛いよね、ほんとうに可愛かったよね」と毎日語り合い、愛でる時間もまた、彼女が残してくれた宝物なんだと感じます。

思い出はたっくさんあるし、また会える日を楽しみに生きていよう。そう思う。

まり、本当にありがとう。

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