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ケチの末路

 私は物心ついたころからケチで倹約家で、自分でもみみっちくて嫌になるけどやめられない。買い物の基準は「割安」で、とにかくお買い得に弱く、安いと思って買ったものが違う店でもっと安く売られていると、信じられないほど落ち込む。
 大人になって、そんな自分が嫌になったので、「いいと思ったものは高くてもお金を払おう」と決めました。しかしその時点でもう「いい=割安」が魂に印刷されていたので、どんなに素敵なものを見つけても「割安」と感じられないものは何かと心の中でケチをつけて結局買わずじまい。

 そして、ケチが過ぎてお金を使わなくなった。

 かつて勤務していた頃、隣の席の大先輩に「あなたお金使わないから貯まってそうやね」と言われ(関西出身の方でした)、「使うの下手なんで」と返したら、「俺、使うの得意やで。代わりに使ったろか」とにっかり笑われて、その時は「はぁ」としか言えなかったけど、「使うの得意」と公言できるのがちょっとうらやましかった。

 なんで自分が遣うお金が正しいって思えるの?

 つまりはそういうことで、私は私のセンスに自信が無いからお金が遣えない。
 損してもいいからこれが欲しい、と思えるほどの「好き!」が無い。
 ほかの何かに使える可能性というお金を、可能性のままにしておきたい。     でも、もう私もいい大人なので。
 その瞬間に心情的に抵抗があっても、次の日後悔しないようなお金の遣い方を自分なりに模索して、その結果、投資を始めました。

 池田清彦先生(好き)が「日本人はケチだから損切りできなくて投資に向かないよ」と言ってて、自分でもそうだなあと思うんですが、投資における含み益と含み損の振れ幅が、私のケチをちょっとずつ治してくれてる感じがします。
 サウナ(含み益)と水風呂(含み損)の間を行ったり来たりして、たまに椅子で一息(利確)してととのうみたいな。

 相変わらず「高くても良いもの」には手が出せませんが、自分が「安さ」に価値を見出す人間だということが自覚できたので、今後もケチ人間として目先の安さだけにとらわれないようお金を使っていきたいです。


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