20240626


「ラジオ体操しまーす!」
上司が元気な声で呼びかける。
そして、天井近くのモニターに少し手こずりながらその映像を映し出した。

朝礼は店内で広い円をつくるように向かい合わせで行われる。
そのフォーメーションから、まさに肩幅に広がり体操が始まった。
しっかり行う者、わからず周りを見渡しながら行う者、全く別の体操を生み出す者。
その中で自分は、自分の記憶を頼りに体を動かす。

自分は驚いていた。
小学生の頃、夏休みは毎日近くの学校まで行き、スタートの6:30からラジオ体操に参加していた。
参加の証のハンコを、日替わり担当の保護者から体操後いかに早くもらうかさえ周りと競っていたくらいだった。
だから、間違いなく完璧にできるはずだったが、メロディは口ずさめても、動きはほぼ頭から抜けてしまっていた。
6年間の数ヶ月分ではあるが、真面目に取り組んだことは、数年の中で静かに失われていた。

綺麗であることはだいたいが得である。
真面目は"綺麗"かもしれないが、得とイコールとは限らない。
真面目に練習しても賞が取れないこともあるし、真面目に人を愛しても別れるし、真面目に働いても批判されることもある。
ラジオ体操もどうせ忘れるなら、30分多く寝て身長を少しでも伸ばせばよかったとも思う。



と、夜の高台にある公園で、自分はお世辞にも真面目とは言えない格好で座りながら、真面目な自分を見つめていた。
夜なのでほぼ人通りはない。傍らには、歩きながら食べたアイスクリームの空のカップが、まるで聞き上手な友人のようにそこにいた。

しばらくしてカップルが自分の座る空間にやってきたので大人しく席を譲った。
これはどちらかというと真面目だと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?