20240619.5


かれこれ2時間で5回くらいはトイレにお世話になっている。
そろそろ排泄は睡眠を勝たせてあげてほしい。

もう10年も前になるが、シチューが起因でトイレと離れられなかった夜を思い出す。
あとから母親に「数百円の手料理が数万円の治療費になるんだから気をつけなさい」と言われて以来、食べてもいいか怪しいものを食べようとする人にはこの言葉を送るようにしている。

酒は相変わらず弱く、むしろより耐性が低くなっているような気さえする。
以前は2〜3杯を早めのペースで飲むとダメだった。しかし、今日に至っては空きっ腹でもなく、はじめの1杯のみだったにもかかわらず、立ち上がった瞬間に思考が2割くらいになった。そこから店長とやりとりをしたはずだが、パンチのある名前であったということしか覚えていない。
そうして店を出て10歩でしゃがみ込んだ。

一緒にいた彼は、落ちつくまでゆっくりしていいよと自分に気を遣わせない距離感だった。
背後で心配するような第三者の声が聞こえ、彼が代わりに返事をした。
この第三者を自分は店長だと思ったのだが、振り返るとそれは店内の対角線上にいた中年男性客だった。
対角線上なので、前を向くとどうしても視界に入る。一方、男性客は前を向けば自分と視線が交わる席ではなかったが、2時間ほどの滞在で数回目があってしまい、複雑な気持ちでいた。
そのため、声をかけてくれたのがその男性客だとわかったとき、とても情けないような気持ちだったが、それは酔いが回っていた勢いの感情で、覚めた今となっては純粋にありがたいと感じた。
彼が自販機で買ってくれた水を受け取り、立ち上がれるようになってから帰路に着いた。

近くまで見送ると彼は言い、自分の家の最寄駅で解散する前に、自分たちはそれぞれトイレに入った。
一番手前の洋式で用を足す。
ところが、そこに紙はなかった。見渡してもない。
この時はまだ思考が半分くらいしかないので、もう済ませて出ているであろう彼にラインを打つ。
「紙ないとこに入っちゃった」
ほぼ待たずに返信がくる。
「それは助けられない...」
そりゃそうかーとあっけらかんとし、そういえばとかばんに水に流せるティッシュを入れていたことを思い出した。
このティッシュは家を出てから忘れたと気づき入れていたものだった。

彼と解散ののち帰宅し、早めに寝ようと布団に入ってからは冒頭の通りである。
酔いも覚め、眠れないならと借りた本の続きを読んだがそれも読み終わってしまった。
しかししつこく便意はやってくる。ここでも問題になるのは紙で、今ローラーにつけている分しかないので、切れたらチェックメイトである。
店で口にしたものはどれも大変美味だった。3日常温で保存したシチューとは訳が違う。一体何がそこまでそうさせたかはわからないが仕方ないので気休めでこの記録を残すことにした。
そうしているうちに、落雷のような便意より睡眠の勝ち目が見えてきた。
こんなことが総評して楽しいと思えるのは、自分がそういう人間であるということ、そこに一緒にいてくれた人、この話に誰かがクスッとしてくれるだろうという期待のおかげである。

読んでいた本で、「気休めにしかなりませんが」を「おまじないにしかなりませんが」と表現していた。
この記録が便意を抑制するおまじないには残念ながらなりそうもない。

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