20240223


ごとん

帰宅中の地下鉄で、左側から物が落ちる音がしたかと思いきや、女性がばたりと倒れた。
状況を把握する数秒の間に、周囲の乗客がその女性に駆け寄る。
わたしは駆け寄っても野次馬にしかなれなそうだったので、大人しく席に座っていた。
ほどなくして地下鉄は次の駅に停車し、体調不良者を救護する旨のアナウンスが流れた。

「看護系の方はいませんか?」と呼びかける女性、「水買いに行ってくる!」と勢いよく飛び出した男性、はらはらと見守るその他の人たち。
騒然とする車内で、わたしはついさっきまで調べていた退職時の社会保険料の支払いについての画面とその女性を交互に見やっていた。

駅員がやってきて、「一旦降りましょう」と女性に声をかけるも、かろうじて意識を取り戻した女性は「次で降りるので」とか細い声で言い、そのまま地下鉄に乗ることになった。
迷惑かけないよう降りた方がいいのでは、と思ったが、倒れた人間にそんな冷静な判断を求めるほどわたしも冷酷ではない。
ひとまず社会保険料はせめて降りてから考えることにして、今はその女性の心配をすることにした。

言葉の通り、その女性は次の駅で数人の乗客に付き添われながら、おぼつかない足取りで降りていった。
車内に少しの安心感が戻る。

さらに次の駅で降りたわたしは、社会保険料よりやはり女性のことが気になった。
女性のその後もだが、なぜ女性が倒れたのかを想像する。
急な貧血、もしくはより酷い病気かもしれない。
もしかすると、最愛の人からの別れの連絡を受けたショックだったかもしれない。
真相はわからないが、楽しそうに笑いながら歩くカップルとすれ違ったあたりで想像は途切れた。

わたしは今日店長に、今の職場を辞める意志を伝えた。
倒れた女性の人生と同時進行で、わたしの人生がある。

マンションに着く頃、そんなに遠くない場所で救急車のサイレンの音が聞こえた。
あの女性の元にいくのだろうか、などと考えながら、わたしはいつも通り結露がひどい玄関を開けた。


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