女ともだちの文通 2-2


沙也加

何も変わらない、良いことです。
体温のあたたかさ、ちいさな鼓動、休みなく、変わりなく、心臓が鳴っていることを感じるのも、なんだか穏やかな気持ちになりますね。ヨガでは定番ですね。
自分の呼吸に集中しましょう。呼吸の音を聴きましょう。心臓のリズムを感じましょう。今日も頑張って生きている自分の身体に感謝…などなど。
ちなみに最も小さな哺乳類は"コビトジャコウネズミ"だそうです。体重わずか2g、寿命はたった15カ月。なんと1秒間に14回も心臓が鳴るそう。
動画でみるとしっぽが長くて、まるっこいです。
ちょこちょこ動きます。苦手じゃなければ見てみて下さい。変わらぬ愛と、生命の鼓動に、ちゅう🐭
Happy New Year.

M

オマケ
ちなみに最も大きな哺乳類といえば、地球史上最大といわれている"シロナガスクジラ"ですね。
体長は平均30メートル、体重160トンくらい、現存する最大の動物であるだけでなく、恐竜やその他これまでに地球上に存在したことが確かめられているあらゆる生き物の中でいちばんでかいそうです。
夏は"オキアミ"がたくさん食べられる北極やら南極やらを泳ぎ、冬になるとあたたかい海に移動してきて、そこで子作りと子育てをします。寿命は100年以上。最長記ろくは120歳ともいわれているそうダヨ(誰が調べたんだろう)


M

気づいたら年女になり、24歳になっていました。
でも、一体何が変わったというのでしょう。
あなたの言うように、休みなく心臓は鳴っていますし、新しく愛する人ができても傍らで画面の向こうの知らない男性と会話をしています。
わたしは最近、だいぶ愛情表現が素直にできるようになりましたが、今の彼はそれ以上にストレートに伝えてくれる人です。
疑わしいほど安心、という謎の心境ですが、とても愛おしいです。
ところで、最近はわたしの中で思い出される存在がA君からY君に変わりつつあります。大切な存在が容易く変わる尻軽か、自分が傷つきうることを変わらず繰り返す愚か者か。はたまたどちらもか。
変わるとは何なのでしょう。
変わらないとは何なのでしょう。
わたしはそれが、わからなくなってしまったようです。

ところで、シロナガスクジラの寿命はおそらく、一人ではなく何人かに研究が受け継がれて調べられたものと思われます。
日本を一周し地図を描いたとされる伊能忠敬という人物がいたと思いますが、彼も一人でそれを成し遂げたのではなく、実際は途中で亡くなり、弟子に引き継いだというような話を聞いたことがあります。
愛と同じように、紡がれていったのではないでしょうか。
Mの近況も教えてくださいな。
あなたから届くすべてのものに感謝の意を込めて。

p.s.
秋田に行ってきました。よかったら〜。

沙也加


※脈絡のない手紙になってしまいました…
あしからず…

沙也加

私は今、不思議な気持ちで居ます。
人生は、私たちに世界を見せてくれます。
自然のおりなす営みの、息を飲むような美しさ、
刻々と紡いできた星々の物語り、出会い別れ、それでも出会い、かけがえのない心の温かみを与えてくれる人。
そしてまた、身を切るようなら抗う術もない環境の厳しさ、泥水のように、救いようもなくいつまでも重く濁り続ける悪意、小さなすれ違いと誤解、悲しみ、喪失。
しかしなぜ人生は私たちに、そのようなものを見せるのでしょうか?どんな意味があるのでしょうか?
私のとても大切な上司(彼は直属の上司ではありません、イタリアと日本人のハーフで幼稚園の娘さんが居ます。何故か私のことをとても気に入ってくれてよく気にかけてくれます)が、あるとき言っていました。
"物事には理由がある。理由がないことなんて、ない"
彼は真っ直ぐな目で何度か言いました。
40歳をこえたおじさんなのですが(ちなみにスキンヘッドです)少年のようで、本当のところは嘘のない目です。
だから私は、彼が発したこの言葉をよく覚えています。人が生きる意味を考えるなんて馬鹿らしいことだと思うかもしれません。私もちょっと思います。
でもひとは必ず死にますし、だとしたら、私としては考えざるを得ません。例え馬鹿らしくても、そのことを考えることは人生にとってとても意味のある大切なことに思えます。
私はたまに、生きている世界、見るものや感じる風やその香り、出会う人々はすべて与えられたものだと考えることがあります。誰かが意図して、私に、それが見せたい世界を見せているのです。
そう考えると私は、少しだけ世界を捉えやすくなるのです。
私は自分で全部えらんできました。
誰かの決めた道は嫌だからです。呼吸さえ苦しくなります。選ぶということは責任があることなのです。
だからたまに、ふと、世界を俯瞰するために、与えられた世界として事象を組み立て直してみます。
これは私が選んだ世界であり、けれど私はまた、だかれかの世界に内包されているのだと、すこし難しいでしょうか?でも続けます。
その見えない何者かは、私に、生きることに関する、あるメッセージを示そうとしています。それは生命に関わるとても強いメッセージで、けれどもすぐに内容を捉えることはできません。しかもそのメッセージに言葉はありません。何者かは常に、ある景色や出会う人々の表情や、時として鳥の羽ばたきによって、そのメッセージを伝えようとしているのです。
私のこの直感は正しいのでしょうか。
そろそろ何かが繋がってもいいという気がするのです。
私はだいぶ長いことこのことについて1人きりで考えてきました。今のところ、ただ思うことは、それはいつでもすぐそこにありら、誰にでも触れることができ、誰にでも平等に与えられている物なのかもしれないということでしょうか。
そしてそれは、しかもとても繊細でとらえどころがないのです。
だから多くの人々にとっては気づきにくいものだという気もします。
それを見つけられるのは才能でも何でもありません。
もちろんお金持ちとか、美人であることも関係ないように思います。ただ、心が正直であるということだけという気もしています。

p.s.
私は実は観光旅行が苦手です。←最近気づいた
旅行をなんだかんだしておいてなんなのですが、理由は次の時にでも…
そしてお土産をありがとう!もう食べてしまいました。美味しかった!!

M



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