女ともだちの文通 2-1


M

クリスマスカードを送ろうと思ったのです。
でも、クリスマスカードというのはとても華やかで、楽しげで、かわいらしいのです。わたしは、そのカードにMに伝えたいことを書く姿、そしてそのメッセージでうめられたカードを想像しました。あまりにも滑稽だったのです。なぜなら、わたしが書く文章は、華やかでも、楽しげでも、かわいらしくもないからです。決して手抜きの手紙を送ろうとしているわけではありません!証拠に、せめていつもより特別感のあるレターセットで送りたいと思い、ロフトで選んできました。滞在時間なんと30分。シンプルにいや悩みすぎやねんと思いました。でも、自分でこのレターセットが気に入っています。どこかふりつもった雪を感じさせるような封筒でこの季節にぴったりだなと、誠に勝手ながら思っています。この気持ち、伝わるかな。
クリスマスの映画といえば、ホーム・アローンはご存じですか。ちょっとずる賢い男の子がどろぼうたちからコミカルに逃げていくストーリーが人気です。描かれている季節がクリスマスなので、よくこの時期に金曜ロードショーとかでやりがちです。
ここでやっと同封した鳥のオーナメントにふれるのですが、ホーム・アローン2で、主人公のケビンはおもちゃ屋のおじさんから対になった鳩のオーナメントをもらいます。それは永遠の友情をあらわすもので、1つは自分に、1つは大切な人に渡すようにと、おじさんは言いました。ケビンは愛する人を失い、住む家もなくなった中年の女性と出会い、友達になり、物語の最後でその女性に友情の印として鳩のオーナメントを渡すのでした。
なんとなくそれを思い出し、そうだ、Mに渡そうと思いました。鳩かどうかは微妙なのと、対はなかったのでゴールドとシルバーで買い、Mにはこちらを送ります。この子がMに幸せを運んできますように。Merry Xmas.
でも、永遠なんて、ほんとはないのかもしれません。そもそも、永も遠も長きにわたって、みたいな意味があるわけですが、続く、と言っているだけで終わらないとは言っていないのです。終わらないように感じるのは生きている間ずっとそれを感じ続けられるからで、死んでしまえば感じているということ自体が終わってしまうため、やはり "永遠" ではないように思います。
核心的な話はどこかで語るうちに矛盾が生じてしまうと又吉直樹は言っていました。鋭いMがその矛盾に気づいてしまう前にこの話はやめることにします。何が言いたいのか。ただわたしは、永遠がほしいのです。生命ではありません。若さでもありません。ベタかもしれませんが、永遠の愛です。わたしはただ、愛し続け愛され続けたいだけなのです。
永遠は永遠じゃないからこそ、魅力的なんでしょう。もしかしたらみんな、知らないうちに気づいているのかもしれません。まどかとわたしも永遠ではないでしょう。でも、永遠でありたいとどうしようもなく願ってしまう私を、あなたは愛してくれますか?

沙也加


沙也加

永遠は存在します。
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鳩は2羽います。それには理由があるはずです。
愛は小さな子どものように、繊細でやわらかく、傷つきやすいので、それをとても正しく扱える鳩が2羽必要です。
***
沙也加のくれたかわいらしい鳩を私はちゃんとうけとりました。
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永遠は存在します。
ほんものの永遠の愛は、鳩と鳩のようにつむがれていくものではないかな。
***
けれど愛を差し出すのは、たいへん勇気のいる行動です。今回は、私に、鳩をくれてありがとう。
お互い愛を信じましょう。

M


M様

沙也加


賀春

穏やかな日々
幸せ多い一年でありますように
今年もよろしくお願いします

元旦

結局、たぶん、わたしは何も変わらなかったんだと思います。ただ、Mとの友情、愛が、これからも変わらないのだと思えることが、幸せです。
ありがとう、お互い愛を信じましょう。


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